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テロの世紀

2001/10/15,16 2010/02/21

長らく、テロの世紀の超越について説明していませんでしたが、なんとアニメの解説である、「マクロスF 虚空歌姫 論」で、書いちまいました。 私は至ってまじめなのですが、その論調に驚かないでください…実は、このコンテンツを書いた時から確信していたことを書いただけです。

2010/02/21

テロと戦争の区別、わかってんのかな

アメリカに対するテロに関連して、国会では自衛隊の出動について(社会党?のお馬鹿さんたちとか)なんだか楽しそうにすら見えるくらいに議論しています。日曜日にテレビで国会議員が議論しているのを見ていれば、いい加減な議論に呆れるばかりでした。テロの世紀といわれている21世紀に、こんなことで大丈夫なのか本当に心配になります。
ちょっと一例をあげてみます。
社会党の不人気なおばさんがこんなことを話していました。

「自衛隊が向かうパキスタンはちゃんとした国で、難民は警察や軍が保護しています。そうした中で、狙われるのは軍です。自衛隊が難民保護のために武器を携帯するのはおかしい・・・行くほうが難民が危険です」

このおばさんは、秘書の給与を搾取したので、辞任しました・・・あはは・・・言葉だけではなく、やることもおかしい人でした・・・

で、これに同調したことを言う議員(どこの党だか知りません)もいました。
不思議な議論です。相手が正規軍で戦争をしているならばいえるでしょうが、テロリストが相手であれば、攻撃する対象は弱い相手から狙うわけです。難民なんて、ちょうどいいターゲットのひとつです。難民保護のために正規軍の力を削ぐことができるからです。そしてパキスタン軍が難民まで保護できることが出来ないことは、自明です。
このおばさんの話しは、はちゃめちゃなので理解するのに苦労しました。戦闘と戦争、テロ、全部まぜこぜです。どうも 武器を使う=戦争=テロ と頭の中がショートしているみたいでした。平和な中で、もともとは興味もないことを国会議員としてのテーマとして勉強したらそうした頭脳の構造になるのですかね・・・黙っているとまずいと思ってるみたいで、意味のないことを繰り返し言っていました。
もっと面白い話しろかったのは、民主党の議員が「バズーカ砲はいけない」と得意げに話していたことでした。どうも日本の国会議員は戦闘組織に対するシビリアンコントロールとは、現場指揮のことだと勘違いしているみたいですね。自民党の国会議員は「バズーカ砲というか対戦車兵器ということですね」と、この議員の知識のなさだけ困りながらフォローしていました。本論として述べると、戦闘は戦闘の専門家に任せるのが、基本です・・・シビリアンコントロールとは、戦闘の意味と意義、そして実行を管理することです。兵器の種類について、一生懸命微にいり細にいり、ごちゃごちゃと現場に口出しするなんて、お馬鹿のやることです。だって、この場合は・・・(興味があれば以下の小さい字の説明をご覧下さい)

バズーカ砲とは第二次世界大戦においてアメリカが開発した化学炸薬弾を発射する砲です。この原理はナチスドイツにより開発されたもので、ナチスドイツではパンツァーファウストと言われていました。その原理は、戦車に命中した際に前方に高熱を集中的に発生させ装甲を熱と衝撃で突破して戦車を破壊するものです。ですから、対戦車兵器として知られています。もっとも映画ではそうした用途でなくても使用していたので、このお馬鹿な議員みたいにライフルよりも強力な武器と思う人もいるかもしれません。ちなみに今の自衛隊ではこのような用途にはドイツ製のパンツァーファウスト・ドライ(3)を使用しています・・・バズーカ砲じゃなくて・・・。写真は自衛隊が90年から正式採用しているパンツァーファウスト・ドライです。

国会議員だけではなく、いろいろな記事なんかも、わけがわからないことを一杯書いています。テロとは弱者が強者に行うことだとか、報復だとか、報復の報復だとか、もう、めちゃくちゃでした。そこで、テロの意味と、なぜ21世紀がテロの世紀であるといわれているのか、そして欧米が今回のテロに対して断固とした態度を取っている理由を整理してみようと思い、このコンテンツを作成しました。

暴力、テロ、そして戦争

言葉の定義は、事象の後を追います。日本語は漢字を使用するため、漢字がもつ文字そのものの意味のため断絶的に言葉の定義を誤解しやすいのですが、暴力、テロ、戦争は同根のもので、相手に対して暴力的な力の行使を行うことで、以下のような規模的な関係を持っています。

暴力 < テロ < 戦争

暴力は、1対1、少数対少数など小規模なもので、相互に戦えばけんかとか闘争、一方的であれば暴力って感じでしょうか。
テロは少数対多数で、少数から不特定多数に対する暴力的行為です。別に弱者対強者ではありません。少数が強者である場合も少なくないからです。テロとはテロリズムの省略形ですが、テロリズムつまり恐怖政治は、過去に幾度となく行われてしまったことで、少数が強者で、その少数が弱者である多数に対して横暴を極めたことに語源があります。現代のテロの場合は、効果的に行うためになんらかの武器を利用することが多くなります。素手で少数が多数に挑むことは出来ませんから・・・。
もちろんゲリラ戦的なテロも昔からありました。時代時代でいろいろな形態をとっています。たとえば海賊だってテロの一種です。今から300〜400年前はイギリスは単なる海賊国家に過ぎなかったわけで、スペインなどヨーロッパ諸国の船を国家を上げて襲っていました。そう、つい最近までテロのほうが戦闘の主流だったのです。
ちなみに最近ビンラディン一派がアメリカこそテロを行っていると主張しているのには、暴力的な行為という以外に、イスラム社会全体に対してというメッセージを込めていると思います。たしかにそうした観点では、少数(アメリカ)対イスラム社会ともいえないことはありません。もっとも、口先の話題と思いますが・・・。
戦争は多数対多数というか社会主流派対社会主流派の戦いで、現代では国家対国家である場合がほとんどです。しかし、国家の概念が生まれる前から戦争はありました。部族間などの戦争が多く行われていたからです。国家が生まれてから、大規模な戦争が行われるようになりました。古代の戦いでは何十万人もの人が会した戦いも行われていました。現代よりも遥かに人口の少ない時代でしたから、もの凄い大戦争だったようです。そうした時代を経て、中世のように戦争が職業として選ばれていた時代においては、騎士とか武士のようにルール化された戦いをしていました。そうした中で、経験的な知恵として戦争の常識が作られてきて、一般大衆を対象に戦争することは正しくないと考えられるようになりました。戦争には多くのコストが必要なので、政治的な目標があることが多く、それを最大限に達するために、文化として形式が生まれてきています。戦争はその時代時代で形式が定められています。戦争には宣告が必ずあり、その前には回避の努力がありました。現代では、戦争そのものが国際法で定義されているくらいです。いずれにしても、戦争の原理は暴力やテロよりも洗練されていましたし、その力でもテロや暴力を圧倒していきました。
ただし、このような形式的に整備された戦争の考え方は第二次世界大戦のときには、ある意味ではもう滅びています。
第二次世界大戦は、総力戦でした。すべての国が相手国の一般大衆も攻撃対象にしていました。相手の国の産業を破壊するためでしたが、そのために市民に膨大な死傷者を生んだのが第二次世界大戦です。連合国側も枢軸国側も相互に無差別爆撃などにより大量虐殺を相互に行いました。もっとも、枢軸国側と連合国側では爆撃機の製造数が1:100くらいでしたので、枢軸国側が派手に爆撃されました。まあ、虐殺といっても南京大虐殺のように数字が大きく誇張され過ぎてしまうと、ちょっと滑稽にもなるため問題の真実味がかえって薄れてしまうのですが(中国文化圏は数字が一人歩きする風習があります。日本に伝来した中国語版仏教も、その経典であらゆる数字の桁数が大幅に増やされていました)、いずれにしても膨大な一般人の死傷者がありました。
写真は写真家山端庸介氏が長崎原爆翌日の惨状を撮影したものです。詳しくはこちらをご覧下さい。

科学技術の進歩がすべての人を戦争に巻き込んだ

人類は戦争という暴力の形式を発明してから、段々とその内容を整え、相手の絶滅をその選択肢から排除してきました(紀元前の戦争では、相手の絶滅を目的とした戦争が多くあり、様相が現代の戦争観から大きく異なります。たとえばローマとカルタゴの戦争では、破れたカルタゴのすべての人は殺されたか奴隷にされ、その都市は完全に破壊され、さらにカルタゴの地は大量の塩を撒かれ、本当に廃墟になりました)。この経緯は、完全な相手の破壊を目的にするよりも、政略的に相手を取り込むことのほうが最終的に成功するという厳然とした事実から学ばれてきたものです。ローマ帝国などの繁栄は相手の文化と人民、そして権利を認めることによりもたらされました。言い換えると、文明の進歩により、相手の絶滅を目的とした戦争は影を潜めていき、一般人を可能な限り巻き込まない戦争システムが確立していきました(といっても、戦場になれば焼き野原になるわけですが・・・)。そうしたなかで、戦士の戦いというものが戦争となることにより、一般大衆と戦闘員が区別され、より戦争が社会にインパクトを与えることが可能な限り回避されるようになりました。つまり、戦士という職業が確立し、社会と共存した時代があったのです。
ただ、近代に至りそうした形態は破れてきました。国民戦争の様相が現れてきたのです。兵器の進歩のため、旧来の騎士や武士階層のような専業的な兵士以外も、トレーニングにより充分な戦力となるようになったため、様々な人が戦場で戦えるようになってしまいました。左の図は18世紀の主流兵器であったマスケット銃を構えている図です。この時代、もはや歩兵は市民から徴用による軍となっています。ちょうどローマ時代の市民が兵士の義務を負っていたように・・・。
悲しいことに20世紀の戦争は総力戦の様相を取り始め、国家や社会の間での戦いが、戦争となっていきました。
まとめると、科学技術の発達が、中世から近世に開発された戦争システムを、根本的に変えていったのです。この状況が究極に達したのが20世紀でした。世界から戦火の消えた火は、20世紀中に何日あったのでしょうか・・・。

テロが効果的に行える時代

科学技術の進歩がもたらした兵器の進歩は、テロという言葉の意味を本質的に変えてしまいました。過去にテロという言葉が為政者による恐怖政治の代名詞であった時代と決別し、権力がなくても、少数の力で多数の人々を虐殺するという意味になっていきました。
技術の進歩のためです。また、現代のように科学技術が進歩してしまうと、兵器でなくても、様々な破壊的行為を実行することが出来ます。たとえば、もしもあなたがプルトニウムをある一定量入手できるとしたら、東京の水源になっている貯水池数箇所に広く撒いてしまえば、東京という都市を滅ぼすことが出来ます。広汎に散布されたプルトニウムに汚染された貯水池を浄化する方法など、人類は知らないからです。ライフラインを使用できなくされた巨大都市を維持することは不可能です。
また、もっと直裁に、オウム真理教が行ったような、細菌を利用したテロ、毒ガスを利用したテロなど、様々な行動を実現することが出来ます。日本はこのようなテロについて、最先進国です。日本が平和である社会であると信じる理由は、失われています。
さらに直裁な事例ですが、日本に兵器を密輸してテロを行うことも、難しいことではありません。先日も銃で武装した中国人が現金輸送車を襲撃しましたが、武器の使用を極めて制限することに成功した稀有な社会である日本は、わずかな武器の利用に対しても脆弱な社会であり、数丁の拳銃を使用することですら簡単に襲撃を成功させてしまうのです。欧米であればガードマンの銃による反撃で成功させることはないでしょう。強盗ですら簡単に行えるのですから、テロはもっと簡単です・・・。銀座の真中でマシンガンを乱射して、車で逃走するだけで、その犯人はきっと逃げおおせることが出来てしまうでしょう。
このようなテロは、どのような背景から行われるのか、そこに現代社会の置かれている位置を理解するキーワードがあります。心理学者などは、テロリストの精神的異常性を理由にしようとしていますが、それには誤りがあります。心理学者が主張する論拠の根本のいくつかが、人は死にたくないとか、人を殺したくないとか、論拠が不明確なものが多く(現代科学一般において、突き詰めると仮定としている世界観について論拠が不明確なものが少なくありません。科学の限界とはその脆弱な哲学的背景にあります)、アメリカで行われた同時多発テロが行われた背景を理解することは不可能でしょう。

アメリカが狙われる理由

世界で最も繁栄している国、そして世界最強の軍隊と、強力な政治を行う国、いろいろな理由がアメリカが狙われる理由として説明されています。
アメリカの暗躍が恨みを買っている:アメリカの規模になると、自国の利益を守るために主張すると、必ず相手からすると困る話題になります。また、過去には本当に暗躍しており、様々な国家の転覆など、平気にしていました。もっともこれは時代の問題で、世界中で相互にしていた時代があったわけでアメリカだけではありませんでした。いずれにしても、アメリカが恨みを買わないわけは無く、それがテロで狙われる理由だという見解が多くあります。これはある程度当たっているのですが、アメリカを憎むのが国家単位ならそれで説明できるとしても、様々な国にまたがり世界最大の規模を誇るイスラム教文化圏全体からアメリカが狙われる理由は説明できません。
唯一の超大国だから狙われる読売新聞がネットワークで垂れ流したものみたいな話題です。力があるから狙われるというのは、日本人的な発想で面白いですが、根拠の無いあきれるばかりの話題です。もう滅びた共産主義的発想の人たちは、最後に権力志向になっていましたので、そうした感覚から思いつく話題かもしれません。社会の安定を前提とした子供の論理としか思えません。
唯一の超大国だから、恐れられているのです・・・テロにより狙われるようになる・・・どう発想しても、とても納得できません。その説明は簡単です。アメリカがソビエトのように分裂し無くなったと考えたときに、テロが世界からなくなると信じることができないからです。逆にそうなってしまえば、テロはもっと増えることがだれにだって想像できるのではないでしょうか。旧ソビエト崩壊後に、今日のような世界の状態が現出したという事実を無視しすぎています。
イスラエルを支持するから狙われている:イスラム社会からアメリカが憎まれる理由に、イスラエルを支援する立場を明確にしているということに原因があるという主張があります。これは、なかなか説得力があります。イスラム教国家の最高位はサウジアラビアです。なぜ最高位なのか、それはサウジアラビアの国王の正式な称号である「2つの聖なるモスクの守護者」が示しています。イスラム社会すべての守護者という意味です。2つの聖なるモスクとは、メッカ、そしてエルサレムのモスクを示しています。そのエルサレムを(イスラム文化圏の観点からすると不当に)占拠しているイスラエル、その国を支えているアメリカ。しかもアメリカはユダヤ社会に牛耳られているというのは、イスラム教文化圏でなくても語られています・・・真実は別として・・・。これも小説的で面白く説得力があります。
イスラム教の聖典クルアーン(コーランは英語訛りの発音です)アル・マイーダ章12〜16節から引用します。

アッラーは、以前にイスラエルの子孫と約束を結ばれ、われはかれらの中から12人の首長を立てた。そしてアッラーは仰せられた。「本当にわれはあなたがたと一緒にいるのである。もしあなたがたが礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、われの使徒たちを信じて援助し、アッラーによい貸付をするならば、われは、必ずあなたがたの凡ての罪業を消滅し、川が下を流れる楽園にきっと入られせよう。今後あなたがたの中、これ(約束)を信じないものは、正しい道から迷い去る。
しかしかれらはこの約束を破ったので、われは見限って、かれらの心を頑なにした。かれらは(啓典の中の)字句の位置を変え、与えられた訓戒の一部分を忘れてしまった。それで彼らの中の少数の者以外は、いつも契約を破棄し、裏切りに出るのである。だが彼らを許して見逃しなさい。」本当にアッラーは善い行いをする者を御好みになられる。
われはまた、「わたしたちは、キリスト教徒です。」と言う者とも約束を結んだ。だがかれらも授けられた訓戒の一部分を忘れてしまった。それであれは復活の日まで、敵意と憎悪の念とをかれらの間にこびりつかせた。アッラーはかれらに、その行ったことを間もなく後で告げ知らされるであろう。
啓典の民(ユダヤ、キリスト教徒)よ、使徒(ムハンマド)が正にあなたがたの処へ来た。あなたがたが啓典(律法、福音)の中の隠したきた多くのことをあなたがたに解明し、また多くのことをそのままにした。アッラーからの御光と、明瞭な啓典が今正にあなたがたに下ったのである。
これによってアッラーは、御好みになる者を平安の道に導き、またさの御許しによって、黒から光明に連れ出し、かれらを正しい道に導かれる。

このようにクルアーンが教えていることらも、イスラム文化圏とユダヤ文化圏、キリスト教文化圏の対立を見て取ることがわかります。
文明の衝突:昔話題になった本のタイトルから話題になっているものです。文明の違いから衝突しているという説明です。これは、一聴に値するようにも思えるのですが、実は文明の衝突はもっと昔から発生しているという事実を考えると、ちょっと?な話題です。はじめて相互の文明がめぐり合ったわけではなく、現代のほうが相互に文明の違いを理解できているように思います。このキーワードは、後に説明しますが、文明が衝突しているというよりも、文明そのものが融合を進めていて問題になっているのではないかと思っています。
貧しさがテロを生んでいる:イスラム教は相互扶助を基本原理のひとつとしている宗教です。世界の中でもイスラム教が広く普及している地域は、経済的な成功から遠い地域でもあります。このような地域は、不平等な社会でもあり、貧富の差は激烈です。そうした中でイスラム教は人々のよりどころとなっています。このような地域では、富裕な階層を狙った犯罪は多くあります。でも、犯罪とテロとは本質的な違いがあります(国家を維持する立場からすると同一であるという議論が進んできていますが・・・行為者が自身の利益を求めていない犯罪というのは、理解しにくいように思います)。アメリカでもイスラム教はその活動圏を広げており、様々な人々の心の平安と拠り所を提供しつつありました。今回テロの対象になったニューヨークは、特にイスラム教が普及しつつある都市でした。同じイスラム社会でもアフリカでは貧しさが確かに悲惨さを生んでいるように見えます。アフリカ諸国の貧しさの本当の理由は、ヨーロッパによる数百年にわたる植民地支配の中で第一次産業しか発達させることができなかったことと、元来はほとんど無かった民族対立をヨーロッパ諸国の植民地政策で植付けられたことにあります。貧しさはそうした中から生み出されたものであり、そうした中で行われる抵抗がテロとして表れるならば、原因は同根です。しかし一般論として、貧しければテロが発生する原因とはなりえません。日本でも他の国でも、貧しくても心豊かに暮らしていた時代があり、貧しさがテロの原因にはならないという証拠が多くあるはずです。
憎しみが憎しみを生んでいるから:過去の経緯から、憎しみに基づいてテロが行われており、それに報復するからテロが再発するという論調もあります・・・。人の心が玉突きのボールみたいなものであれば、憎しみの連鎖は断ち切ることは不可能でしょう。残念ですが憎しみは、テロや戦いが無くても生まれます。そうした中で、様々な過去と憎しみに流されない力をもつものが人なのです。イエスキリストやモハメッドは二千年近くも前から人を許し愛することを教えています。遠い昔から・・・。人は憎しみを超える事を古くから知っているのです。そうした知恵があったとしても、憎しみに関係なく行われるテロがあったとしたら、どう対応すればよいのでしょうか?
そもそも戦争やテロを憎しみだけで理解することはできず、そうとしか考えられない人こそ、その人そのものが、人の心が至るべきスタートラインである高みにまだ達していないと語っているに過ぎません。もっとも、このような憎しみを超える知恵は時代とともに変わっており、紀元前にはそうした戦争があったことが知られています・・・。もとを辿れば、今日につながる宗教そのものが、憎しみに翻弄されるという問題に対して、ひとつの解答を与えていたのです。
イスラム教圏対キリスト教/ユダヤ教圏:タリバンは聖戦を叫び、アメリカはついうっかりと十字軍的な説明をしてしまいます。これは、タリバンの理想的なシチュエーションでしょう。少数に過ぎないイスラム過激派は、世界のイスラム教徒の支援が無ければ、どうしようもありません。
すでに紹介したイスラムの聖典クルアーンの一節にもあるように、宗教そのものは対立する構図を内在させています。しかし、いくつか大切なことが忘れられています。こうした対立は、もう千数百年も続いているのです。昨日/今日の話題ではないのです。文明の対立と同様に、いまさら取り立てて説明するのには、無理があります。
これまでご紹介したように、いろいろな説明してくれる話題があるのですが、自身の命や、関係の無い第三者を数多く巻き込んでまでテロを行う理由は、これらでは説明しきれないと思います。その背景は、もうちょっと根源的であると考えるほうが順当です。

イスラム社会はなぜアメリカを忌み嫌うのか

イスラム社会にいる人たちにとって、アメリカは憎むべき国です。直接にアメリカを非難する教育も行われていますし、アメリカが世界をおかしくしている理由を、いくらでもイスラム社会の人たちは上げるでしょう。これは国家に関係なくいえる傾向で、全世界的なものです。この意味の背景を理解しないと、テロの意味は理解することができません。
タリバン発祥の地にあるイスラム学校にインタビューをしていた番組で、なぜアメリカがイスラム社会から憎まれているかについて、イスラム教の教師は以下のように答えていました。

「アメリカのやり方は、イスラムの教えを破壊し、またキリスト教も破壊してしまう。だからわれわれはアメリカに反対するのだ・・・」

イスラム教の教師がキリスト教について言及することに不思議な感じを受ける方があるかもしれませんが、イスラム教ではイエスキリストとは預言者の一人です。ちょうどキリスト教においてユダヤ教のモーゼなどが預言者であるのと同じように・・・ですから言及することは不思議ではありません。
また、タリバンの声明には以下のような一節があります。

「世界のイスラム教徒よ、いまこそ利己的なアメリカと戦うのだ」

タリバンはアメリカの特定の側面を非難しています。
これらの発言には、十分な背景があります。現代において宗教に心の基本を求めたときに直面してしまう、危機感です。それは、現代の科学中心の考え方そのものが、宗教的基盤を犯しているという現実からもたらされます。この説明は、宗教を忘れてしまった現代の日本人には簡単です。宗教にすがる人を見たときに、あなたはどう感じるでしょうか・・・その感覚の源泉こそ、現代における基本的な発想であり、思考原理なのです。この原理も、健全なものではありません。
これらの事実を別な観点で述べれば、現代文明において宗教は基本的な原理が崩壊する状態に至っているということです。これは20世紀の哲学界で「神は死んだ」と語られたことに近い点があります。
現代という時代の象徴がアメリカです。アメリカこそ、宗教の原理の破壊者の代名詞であり、本質的な敵なのです。そうした追い詰められた行動の際に、宗教者の常か、象徴を敵の中に求めて、アメリカの象徴的な建物、WTCやペンタゴンを狙うに至ったと理解することが順当です。世界の真理を破壊する対象との闘い、それが聖戦(ジハード)であるというのは、順当であり、自分の生命や他の人の生命を賭すことは不思議ではありません。アメリカでの集団テロが象徴を狙ったということは、その被害の規模から考えたとしても、大被害でしたが、間違いはないと思います。なぜならば、アメリカであっても本当に破壊的なテロを行うのであれば、原子力発電所や核兵器サイロに旅客機を特攻させたほうがより効果的だったからです。象徴を撃つ必要からWTCなどを必要につけ狙ったのです。

神が死んだ現代において

昨年に読んで震撼した本がありました。1998年に出版された書籍でKen Wilber(ケン・ウィルバー)著 : The Marriage of Sense And Soul : Integrating Science And Religion/感覚と魂の契り:科学と宗教の統合(邦題:科学と宗教の統合/春秋社ISBN4-393-36034-6)という本です。当時のゴア副大統領も絶賛したと出版社が宣伝した本です。アメリカは日本よりもこのような分野の教育が進んでいるので、充分にありえる話題ですね、日本じゃ信用できないけど・・・(^^;
ケン・ウィルバーに私は強く共感するものがあります。彼は20世紀有数の哲学者であるとも言われています。インテグラル・セオリー(超個)理論の中心的論客であり、心や魂のあり方に対する深い洞察をベースにした思想を展開しています。彼は、進化の構造という大著や本書で、人の社会の基本原理であったもの、神話と宗教、そして基本原理にはなれなかった科学について深い洞察と分析を述べています。
同書邦訳(22ページ/第2章死に至るダンスー現代における科学と宗教の関係)から、以下を引用いたします。

「 いずれにせよ、前近代的世界の科学には宗教を否定する傾向がほとんどなかったので、徹底して科学に対抗する勢力などは必要なかったのだ。しかし、近代が興隆し、宗教はすべて児戯に等しい行為だという近代特有の主張がなされるとともに、多くの原理主義的な宗教(とくにキリスト教とイスラム教)は科学の根本的な事実すら否定し始めたのである。進化などありえない、大地は文字通り六日間で創造された、放射性炭素による年代測定法はペテンだ、などと言い始めたのだ。たとえば、イスラム教原理主義者の急進派は、(真に輝かしい文明を築いてきた)イスラム教本来の姿ではなく、霊性全般を脅かし抹殺しようとする近代の企てに対する荒っぽい反動の産物だと指摘されている。狂気じみたパニックに陥った原理主義者が、報復テロリストと化したのである。
 これは決してテロリズムを弁護しているわけではない。人間の宗教的心情の多く(決してすべてではない)は実際は幼児的な遺物であり、いつかは捨て去る必要がある、と私は思う。この意味で、ほとんどの原理主義者は認識における成長を拒んでいると言える。しかしこれは、この近代における科学と宗教、真理と意味、論理と神、事実と<スピリット>、証拠と永遠なるものの双方に場所を見出そうとするこの闘いには、激しい感情がまとわりついていることを示している。」

ケン・ウィルバーは、テロリズムの動機そのものが、宗教が確立した(前時代的な)人間の本質的な存立にかかわる原理を侵食する(近代特有の科学がもたらしている)脅威への反動の産物だと指摘してます。私はこの主張に強く同意します。このような背景こそが、自殺的な、非道なテロを可能としている本当の理由なのです。かつて日本の赤軍派が自滅覚悟でテルアビブ空港で乱射したときがありました。パレスチナの人々は、英雄視はしましたが、自分たちには実行できないと語ったといいます。これは、戦いという観点では自然な発想であり、自滅覚悟の特攻のほうが、特殊な感覚です。このような゜感覚の背景には、宗教的熱狂とそれを後押しする宗教的危機感があります(ここでは赤軍派が信じるマルクス主義や世界同時革命も宗教として分類して説明しています)

以下は読売オンライン10/16が、CNNの放送として報じたものの全文です。
【イスラマバード15日=森太】米CNNテレビが15日報じたところでは、タリバンの案内でアフガニスタンを訪れていた同テレビ記者が、米同時テロの首謀者とされるウサマ・ビンラーディンの軍事組織アル・カーイダの代表と会談した。同代表によると、2日前にビンラーディンの元気な姿を目撃し、この戦争に勝つ自信を見せていたという。
ビンラーディンはこれはイスラム教を救う戦いと位置付け、米英はこの戦争を始めたことで膨大な経済的、政治的損失をこうむるだろう、と語った、という。
イスラム教を救うという意味が、ここでの説明でおわかりいただけると思います。

イスラム原理主義者が行っているテロに匹敵する事件は、日本でも発生しています。オーム真理教の地下鉄サリン事件です。日本の検察は、麻原彰晃が様々な自身の偽りの予言を取り繕う経緯として事件の真相を説明しています。しかし、そうした説明はマスコミや一般大衆には理解できても、オーム真理教の信者には役立たないようです。そのような精神的背景も、ここで説明しているような背景があります。私たちが日常使用している考え方の基本、つまりケン・ウィルバーの言うところの「宗教はすべて児戯に等しい行為だという近代特有の主張」に基づく批判では、信仰するものにはなんら影響を与えることはできません。
このような宗教的な原理を防衛するために過激な傾向を示すものは多く、各種の宗教(キリスト教、イスラム教、仏教etc)における原理者義的主張、もう滅びつつある共産主義(科学的と称する宗教)、第二次世界大戦とともに滅びたファシズム、そして現代のエコロジストの主張があります。これらは、突き詰めると説明の難しい、宗教的原理を中核に据えています。そして、同様な狂気を繰り返しています。
このように考えると、もしもイスラム原理主義の過激派が完全に一掃されても、新なテロ組織がこのような温床から生まれてくるでしょう。それは、イスラム教に限るわけではなく、キリスト教かもしれませんし、他の宗教であるかもしれません。
また、本当の戦う相手は、実は特定が困難です。これから行われるテロの背景には、テロ組織と一言で述べるには困難なほど、様々なものが登場してしまうでしょう。それは、あるときは国家、あるときはちゃんとしたテロ組織、あるときは個人となります。文明を守る側としては、象徴的に敵を特定せざる得ませんが、実のところ、本当の敵は人の中の無明の闇なのです。

テロの時代の本質

実は、前出のケン・ウィルバーの書籍でご紹介したところを読んだとき、深く同意するとともに、背筋が寒くなってしまいました。それは人の心が広く覚醒するまで、世界はテロの恐怖を避けられないからです。
現代において、宗教の原理と科学の原理は人の中で深く錯綜しているだけで、まだその次の時代へ突入できないでいます。そうした人の中の対立は、形になることが避けられません。数百年前であれば暴力で済んだ、そうした状況の表出が現代では科学技術の進歩の結果、激烈なテロとなってしまうのです。
かつて世界に国々が生み出されたときに、国家を成立させる原理として神話が生み出されました。この神話に基本があった時代を神話の時代といいます。そして、神話の力では人を統べれないだけ人が進歩したとき、人の基本は神話から宗教へと移行していきました。その移行を進めていた時代、世界中で様々な抗争が発生しました。国家が宗教を弾圧し、宗教が国家を打ち倒したのです。混乱の時代でした。それと同じようなことが、宗教とその次に来るものの間で起きるようになります。人が抗争無く乗り切ることができてほしいとは思います。そうした時代は、これから到達します。
科学が宗教の替わりになることはできませんが、宗教そのものの原理はすでに人の中心から退きつつあります。そうした状況に対して、宗教を拠り所にする人々のごく一部が激しい抵抗を示しているのが、現代のテロの本質的な背景となっています。これは西洋的(で科学的な)な教育が行われていない地域と重なるため、貧しさ、イスラム教、民族などの問題と混同してしまいますが、混同してはいけない問題です。それこそが、差別と同じです。
しかし、このような背景は、深刻な現代の持つ病的側面を示しているものでもあります。人の中には宗教や神話、そして科学が無くても核になりうるものがあるのですが、それを認識できるかどうかが問われているのが現代なのです。それができない場合の殺伐とした状態、それが現代の日本でわれわれを震撼させる事件の各種から感じられるものの正体です。日本の教育が、現代科学という空っぽの原理に基づいていたため招いた事態について、多くの人が憂慮することは、自然なことといえるでしょう。
現代においてテロを本質的に根絶するためには、ほとんどの人の心のあり方が、科学や宗教の彼方に至る必要があります。この厄介なことを避けられないことは、理性的に考えれば、当たり前のことです。人ひとりの力で、信じられない惨劇を行えるのが、現代の事実だからです。そうした現代が到達した力にふさわしい人のあり方が、私たちに必要なことは、自明です。しかし、そうした時代が21世紀の内に到来するのか心配になるものがあります。

当面は闘うしかない・・・

アメリカやイギリスでは、報道は慎重に行われているように思います。イスラム教、民族、文化を非難しないよう注意を払い、テロとの闘いについて集中して主張しているからです。その背景には、根絶が当面困難なテロのもつ本質的な問題を残したままで行う、次善の策の模索があります。今までの暴力抑止の原理、つまり報復によりテロを思いとどまらせようという試みです。欧米では長い間テロと対峙しており、当初は懐柔的な政策、ゆるい懲罰的報復など様々な方法が試みられました。しかし、当面テロを抑圧する手段としては、力による方法しか有効な手段がありませんでした。そうした手段は、現代の文明の原理に抵触するものとなるでしょう。多くの中にいる一部の人と戦うことは、戦争によって成せるものよりも暴力によって成せるもののほうが実り豊かになるからです。テロにはテロをもって闘うことが大切です。言い換えると、国家が暗殺を励行し、小規模なテロを特定の人々に行う時代を開始する幕開けとなります。これを将来において「暗黒の時代」と記すときが人類史にあるでしょう・・・。テロの時代を超えるとき、それは人が宗教と科学、国家と思想、民族と地域、憎悪と愛を超えるときでしょう。


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