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教科書問題に感じるもの
右翼も左翼も、所詮はただの時代への過適応だったんじゃない?)

2001/06/15
2006/06/02

教科書問題の報道に思う

私は意外とゴーマニズム宣言というマンガが好きです。
作者の感覚的にニュートラルな感性は、様々な論理により切り裂かれている現代の病巣(ゲシュタルト崩壊脚注1)を突いていると思うからです。さまざまな論理の果てに、根本的な過ちを犯している世界観や社会状況を的確に突いているなあと、いつも感心しています。
作者の小林よしのりさんは、私に年が近いだけではなく、職場にしている場所も近かったりするので、マンガを読んでいるだけで「ああ、あの店だな」とわかる場所もあるため、よけい親近感が湧きます。
オーム真理経に命を狙われていたときに、マスコミは宗教弾圧をしてはならないという美名の下、世界でも最も先端的であった犯罪組織を持ち上げて報道していました。そのときに、「直感としてオーム真理経こそ坂本弁護士事件の犯人だ!」と主張したマンガを書いたその感性には、驚いてしまいました。
エイズ訴訟を支援したときにも、その的確さに驚きましたし、勝訴後に、共産党系のイデオロギーに汚染され利用されている姿を告発したことにも、爽快感を覚えました。私自身も、そのような組織の手で踊らされれた人たちを目の当たりにしていたからです脚注2
また、禁断であった戦争の問題に触れたときにも共感を覚えました。小林よしのりさんは、祖父の記憶からその感覚を得ていました。そして共感を覚える読者たる私は両親なく祖母に育てられたので、感覚が近いのだと思います。今の時代であっても、明治時代の人に育てられたり、感覚を引き継いでいる人は、私たちの世代には少なくありません。私の小さいときも、学校で学んだ戦争の話題をすると、祖母が「今はそんな風に教えているんだ」と残念がっていました。勝てない戦争とわかっていても、戦争に突入していく悲しさと、そうした時代背景をなんとか伝えようとしていました。
戦争の話題、台湾問題などは、今も盛り上がっています。
このような中で、日本という国を大切に思う小林よしのりさんて、今は右翼とか極右として海外に紹介されているみたいです・・・(^^;
小林よしのりさんも作品で反論していますが、私もそうした報道を見ながら、今の表面は平和で豊かな時代に過適応してステレオタイプでステレオタイプとして報道すればいい姿に安穏としている時代錯誤な報道関係者の悲しい性に同情したい気がします・・・。

右翼も左翼も、時代に対する過適応

21世紀に突入した現代において、右翼思想も左翼思想もバランスを欠いているものであるという認識は、一般化しつつあると思います。もっとも、世界全体では、論理的根拠に基づかない宗教的な基盤を基準とする政治形態も依然として多くの地域を占めていますので、右翼も左翼もない世界も少なくありませんが・・・。
このような時代を今から総括すると、一言で言えば、生産力が高くなり、また、大量殺人を可能とする技術を所有した私たちが、社会をすべる原理の開発が間に合わず、人類史上最悪の殺戮を繰り返したということでしょう。
20世紀初頭は、帝国主義が基本でした。国を愛し、国民を愛することで、世界はうまく管理されるはずでしたが、国家間の競争の中で勝者と敗者の線引きが避けられなく、その結果として人類史上稀に見る憎しみを生み、軍備拡張の果てに第一次世界大戦を引き起こしました。そして、第二次世界大戦に突入したキーワードも、結局は同じだったと思います。第一次世界大戦の戦敗国ドイツは当時最も進んだ民主主義国になっていたわけですが、その中でドイツ民衆はナチズムを強く支持していったわけです。民衆が選んだものを否定できないのが、民主主義です。日本だって資源封鎖の中で国家滅亡の秒読みに入っていました。国を愛し、国民を愛すれば、戦争にいたることは当然のことです。このころの論理の基本が、今右翼として理解されている論理の基準です。この時代のメンタリティーとして民主主義とか全体主義なんて、そんなに重要ではなかったと思います。戦争の宣伝文句が後世に残っただけのことです。正しい、誤っているという考え方で思想をさばくことはできません。結局のところ、右翼思想とは高度な生産力を実現し、すでに狭くなっていた世界で、しかしメンタリティーが国家の概念にやっと到達しつつあった時代に、最も適合した思想であったからです。問題は、行き過ぎたことであり、このような状態を過適応といいます。
第二次世界大戦前に左翼思想が生まれていますが(マルクスの思想は19世紀のもので、古い社会構造を前提としてました)、第二次世界大戦後に強い影響を世界に与えました。つまり、強力な社会保障体制を生み出す源泉になったのです。社会保障制度が最も進んでいるのはヨーロッパですが、それに続くのは日本です。日本の医療保険制度はアメリカと比べれば天と地ほどに違います。みなさんは、病気になって医者にかかれないと状況を想像できるでしょうか・・・南米やアフリカのように未開発地域では当たり前なのですが、実際にはアメリカでも人口の1/3はそうした状況にあるのです。ですから、このホームページでも紹介していますが、日本よりも強力な薬品が市販されています。たとえば、万能の鎮痛薬であるアスピリンは日本では手に入りません。医者にかかれない人がいる以上、アメリカ社会ではアスピリンくらいは必要なのです・・・根本治療はできないのですから・・・。お金がある人は日本よりもかなり進んだ医療を受けられるのですが・・・・。それを解決しようと考えることの現代背景こそ社会主義の思想の反映です。

■アスピリンは2001年の薬効拡大に伴い、日本でも薬局で普通に買えるようになっています。2003年には、明治製菓からアスピリン100が発売開始になり、欧米並みに発売されることも今は検討されています。ちなみに、アスピリンは1899年に発売が開始された薬品です・・・(^^;

2006/6/2

左翼思想では、国を超越した社会的理想に基づいた世界を理想として考えました。たしかに、理性としてそれは正しかったのですが・・・民族の知識、伝統、尊厳、宗教の根本を否定することはできなかったのです。そして、経済の基本も・・・社会主義体制の崩壊は、その始まりの20世紀中に起きてしまいました。かつてのソビエトが、科学的指導と称する管理の結果、激烈な民族問題と、自然破壊/汚染にみまわれ、崩壊した経済から立ち直ることがなかなかできないでいることを、いまではだれでも知っています。中国も似た問題を多く内在してます。
社会主義とは、戦争に飽いた豊かになった人々が飛びついた19世紀に端を発する新しい思想でしたが、右翼思想と同様に新しい状況に適応した、いや、結局は適合しすぎた、つまり過適応であった思想に過ぎませんでした。国や民族、宗教の変わりに、科学と称するものを持ってきたようなものです。
結局のところ、右翼思想も左翼思想も、それまであった基本的なパラダイムの焼き直しであり、時代に合わせて自分を正当化していた、いや、それだけの価値があったものなのだと思います。でも、それまでの精化されたものであったことは事実で、失ってはならない大切なものだと思います。ただ、同根であるために、お互いに排他的にならざるを得ないのでしょう・・・同根とは、そこに至る基本的な基準が「理性的」であることにおいてですが・・・このような分離のことをゲシュタルト崩壊というわけです。神と悪魔の永遠の戦いは、必然です・・・。

新しいバランスがある

今から見てみれば、右翼と左翼とは対立するものではなかったのです。人は、自身の文化の尊厳に基づいて次の時代を紡ぐものであり、また、相互に助け合う社会を作りうるものだったからです。つまり、対立するのではなく、超越するより高い観点が必要であったのです。ここでそうしたことを深く述べる気はないのですが、だれにでも、そんなことは実は自明のことであると思います。だからこそ、資本主義社会では社会主義を超えるほどの社会保障を実現してきたのです。
小林よしのりさんのマンガには、そのバランスが、理論的ではなく、情としてある。だから、人を納得せる力があるのです。
そうした状態を見て取れない報道関係者に対して、憐憫の情を抱くことは避けがたいですし、また、危惧も感じます。

すべての戦いの原因は、世界を統べられない私たちにあった

過去の日本、アメリカ、いや、すべての国や地域で、人は戦いを進めるキーワードがありました。それは、総意に基づいて戦いを決定していったことです。ドイツでも、日本でも、アメリカでも、イギリスでもそうでした。確かに歴史は個人に帰するように結論を誘導するように作られていますが、事実ではない。ナチスを徹底的に憎む教育が世界で最も進んでいる国ドイツこそ、ネオナチの温床になっている背景はそうした事実があるのだと思います。あの時代の悲惨を極めたドイツの実情があるがゆえに、そして戦争を忌む気持ちもあり、当時のイギリスもフランスもヒトラーに対して、今からは理解できない対応をしたのではないでしょうか脚注3。ドイツではパンを少しか買うために手押し車一杯のお金が必要になっていたのですから・・・。それを解決してドイツを再生しつつあったのがヒトラーであり、アメリカにもナチス賛美の声がありました。
前世紀において、あらゆる個人は戦いを忌んでいたのに戦争を繰り返しましたし、20世紀に戦火の止んだときはいくらも無かったといわれています・・・。その理由を右翼思想、左翼思想に求めるのはあまり正しくないでしょう。私たちにはちょっと信じがたい破壊や弾圧を行っているイスラム原理主義ですら、その内容に踏み込めば、反論できないほどに崇高で美しいものなのです。イスラム教が世界で最大の勢力を誇ることは、様々な人に救いを示すその内容にあります。同様な話題として、結局のところ、右翼とか左翼とかレッテルをかぶせても無駄です。
実のところ、総意に基づいた戦いは、マスコミが介在しないと実現しません。いかなる意味でもマスコミが中立であれば問題は何もないですし、そうした意味で言論の自由は保障されているのですが・・・実際のところは、マスコミの行うところはナチスのゲッペルスみたいなものです。つまり、宣伝で世論と動向を扇動している。もっと悪いのは、マスコミに従属している人にも制御できていないので、自身も流されていることです。集団的意識が形成された場合、もっとも意識の低いレベルでその結果が動作することは良く知られています。尊い血が繰り返し流されて確立された自由な報道を守る理想は、実際には人気や動向を反映することを保証するだけとなっており、最悪の結果を誘導しています。ですから、報道関係者は信じられない姿勢で取材していることが少なくありません。つまり、いちばん受けのいい形の報道を選ぶのです。日本では極右思想が台頭してきている、これは不景気な社会ではよくあることだが、危険な兆候だ・・・とか・・・(^^;
日本を訪れた欧米人は、日本が本当に大不況なのかと質問をしてきます。かれらが報道をとうして知っている日本の知識と、日本を目の当たりにした印象がまったくかみ合わないからです。町は綺麗ですし、欧米よりも整備されています・・・田舎の片隅ですら十分に舗装された道路が通っています。地方公共団体の主張に拠ればまだまだ不十分だそうですが、そうした主張の背景には、土建業しか産業が無い地方の実態が見え隠れしていると感じるのは、私のような都市在住者だからでしょうか・・・日本の企業の1/6が土木建設業であるという事実を考えると、そうではないと思います。
あまり深刻な話題ではなんなので、報道の面白いお話を・・・
東京都庁ができたときなのですが、あまりに立派な建物と報道各社は批判を進めました。よく考えてみれば、東京都の予算は中国の国家予算と同じ金を集めて使っていたので、別に凄いものではないのですが、見た目が凄いので遡上に挙げやすかったのと、官公庁は報道機関に反論しないという特徴から、報道しやすかっただと思います。で、そんな批判の中に、こんな大きな建物にたくさんの職員がきたら、新宿のランチタイムが大変になって迷惑そのものだというのがありました。当時私は新宿で仕事をしていました。で、ランチタイムに行きつけのとんかつ屋さん「豚珍館(とんちんかんと読みます)」に並んでいました。ご存知の方であればわかるのですが、西新宿に下水処理場しかない時代からあるこのお店は、ランチタイムは人がたくさん並ぶのはあたりまえです。そんな中、テレビの撮影クルーが騒ぎながらきました。悪の権化「東京都庁」のために、お昼を食べられなくなった哀れなサラリーマンを撮影にきたのです。「あったー、ここだー」で、並んでいる客を押しのけて、撮影に入ろうとします。私は声をかけました。「あのー、このお店は昔から人が並んでするんですけど・・・」。ディレクターらしい人は「え、本当ですか」といって「だめだー、他にあたるぞ」といって、行ってしまいました。大体の報道は、報道される前に結論が決まっているのです・・・。ランチタイムの混雑でこの騒ぎですから、より高度な話題であれば、なおさらです。で、視聴者からは見透かされていますね・・・(^^;

論理的と称する非合理を超えて

旧ソビエトが科学的と称した社会改革と産業構造改革の結果、ロシアには癒しがたい障害が残されてしまいました。破壊され汚染され尽くした生態系、踏みにじられ破壊された民族の尊厳と人の生活、初歩的な社会的正義すら守れないマフィアの支配する社会の実態・・・目を覆いたくなるのは私だけではないでしょう。
結局のところ、宗教の虚偽を見出した科学にも、虚偽があったのです。全能の名を語るものが変わっただけのことでした。
小林よしのり氏が「情」と語る、人の基準になるものが、人に共有される日がくる時に、論理的と称する次の時代がくるのでしょう。それは、旧来のすべてを非難し置き換えるのではなく、包含し超越する形態になるので、すぐにわかるのではないでしょうか・・・脚注4
うーん、ここまで書いたものを読み直したら、表現が遠まわしすぎるみたいですね。言いたかったことは、21世紀は旧来のパラダイムを越えて、イデオロギーや宗教を統合した観点を人の基準に定めないといけないのだろうなということです。すでにそうした思想はインテグラル・セオリー理論等で整理され用意されつつあると思います。



脚注1

ゲシュタルト心理学で使用される用語で、統一的に理解しなければならない事柄を分割して認識することにより、混乱していく状態を言います。たとえば、人権を守らなければならない、そして、精神障害は病気である、したがって凶暴な素行があっても日常であっても拘束してはならない・・・なんていっているうちに、そう処遇されている人が大事件を引き起こす、こんな矛盾はゲシュタルト崩壊により全体的認識の統一欠如が根本的原因であると考えるわけです。

脚注2

昔、西新宿のエルタワーという高層ビルに事務所があり、10年ほど通っていました。当時は、浮浪者はいましたが地下街に段ボールハウスなどはほとんどなく、ダンボールで寝ていたとしても人目につかないようにしていました。テレビで繰り返し報道されたダンボールハウスの登場は、青島都知事になった直後からなのです。突然に、新宿地下街の人が通るところに段ボールハウスが密集して作られ、人が住み始めました。当時、多くの人がなぜ強制排除しないのかと不思議に感じていたと思います。でも、そうはされませんでした。その理由はそうなりはじめた冬にわかりました。例年は公園でキリスト教の救世軍などが食事を配るのですが、その冬は共産党系と思われる(幕で仕切られた内側から聞こえる声が話す用語がまったくの共産党用語でした)組織が、地下街の中に幕をしきり、浮浪者の人たちに様々な話をしながら、いろいろな支援をしていたからです。
このような支援から、段ボールハウスは新宿の名物になってしまいました。テレビでは昔からあるように報道していましたが、それは人知れない公園の片隅の話題であり、迷惑を顧みない非常識な人たちのことではありません。作り上げられたものだったのだと思います。通る際にいつも見ていたのですが、中心的に印刷物を配布して扇動している人たちも散見され、オーム真理経並に危険なものを感じましたる
この問題は、利用価値がなくなったと思われたのか、支援が下火になり、ついに火災を引き起こし4人が焼死するという事態になるまで続いたのでした。石原都知事になり新宿の地下街の無秩序も解決しましたが、本当の犠牲者たちは、ここに段ボールハウスで住むように扇動された人たちだと思います。

脚注3

ドイツの暴走に対してイギリスやフランスが毅然とした対応をしていれば第二次世界大戦はありえなかったという意見が多くあります。そうした背景から、当時のイギリス、フランスの当時の政権に対して、よくやったという評価は皆無です。当時のドイツの国力や軍事力でイギリス、フランスに対抗することは、不可能なはずでした。
誤解が多いのですが、ドイツも日本も国力が小さく、戦争を行うことそのものの目的が明らかでなったという事実があります。国力の差は簡単にわかります。当時のハイテク兵器であった爆撃機は、イギリスもアメリカも、ドイツや日本よりも2桁も多く製造していたのです・・・。戦争を何年も継続しえたのが、奇跡みたいなものです。窮鼠猫を噛むというほうが正しいのではないでしょうか・・・。

脚注4

ここではインテグラル・セオリー的な観点で説明しているのですが、その本題に踏み込みません。


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