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かるばどすの日本文化論…02

神無国(かんなくに)、日本
インテグラル・アプローチから見た日本人の神と生命観

2006/02/22〜2008/08/10
のんびり書きましたので…(^^;

「あにめヤまんがニエガカレテイル、神ハ、マチガッテイマス〜」

丸の内の会社で打ち合わせをして、一杯飲もうかなーとか思いながら東京駅に向かっている時に、片言の日本語で、街宣車で走りながら叫んでいる外人さんがいました。

「アニメやマンガに描がかれている神は、間違っていま〜す。
神は、あのようなものではありませ〜ん!!!」

思いもしなかったあまりに異様な話題をガナリたてる街宣車に驚いて、聴いた瞬間に思考停止して、立ち止まった私は、その、白いバンを改造した街宣車を見つめていました。
なにを言っているのか、聴いたときに全く理解できなかったからです。

で、繰り返し同じことを叫んでいるその街宣車を見ると、乗っているのは青い眼の牧師のような人物でした。そして、言葉通りに、その意味を理解しました。

で、私の独り言は、こんなものでした。

「こいつ、アニメやマンガに描かれているように、日本人が考えていると思っているんだ…(^^;」

私は、そうした欧米人らしい素直というか単細胞な発想が、あまりにも日本人の理解の水準を超えているので、その御目出度さに、プッと噴出してしまいました。
もっとも、この人物は、きっと日本のアニメやマンガを読んで、本当にショックを受けたのでしょう。

このトンチンカンな、理解しにくいお目出度い奴は、きっと、アメリカ人だと思いました。別に、偏見からではないのですが…理由は後述している内容から想像いただけると思いますが、ある程度の経済規模の国で、宗教の示す神を、そのままに、言葉どおりに神の実在を信じている最右翼って、アメリカ人なんです…(^^;

ちょっと古い統計ですが、2000年の世界価値観調査では、神が存在するかという問いに対して、アメリカ人は94.4%がyesでした。そんな国の人から見たら、日本のアニメやマンガの世界は、狂気の世界です。

私がこのときに連想したのは、この人がトチ狂った原因になったものって、萩原一至のbastard!! 暗黒の破壊神とか、永井豪のデビルマン魔王ダンテみたいな作品かなーということでした。

「BASTARD!! 暗黒の破壊神」
これは映像化されたDVDです

デビルマン
これは映画のパンフレットより、シレーヌです

ダークシュナイダーという転生した古の魔法使い…ハチャメチャな性格なのですが、彼とヨーコという女の子という純情に感じさせるよくわからない関係の延長の中で、破壊神アンゴラサクスや天使の軍団と戦っていくという、いつになったら終わるのかわからない作品です。まあ、ジャンプ出身の作品なので、売れる限り続くのかもしれませんけど…大丈夫なのかな、日本の漫画は…(^^;
神も悪魔も人と対立する辺りが、まあ、日本的な作品です。
肉感的な天使とか、ハチャメチャな性格の主人公、収拾のつかないストーリーとか、まあ、今風の作品です。

永井豪が、神と悪魔を同一次元で描いた日本の漫画家のはじめての人といわれています。ひょっとすると、世界でも初めてに近いかもしれません。
デビルマとンは、先住生物であった悪魔の力を得ても人の心を失わない人のことです。原作は、マンガでも人気があり、テレビアニメでも人気が出ました。
原作ではデビルマンは人の側に立ち、ともに、神の軍団と戦い、デビルマンは死んでいきます。戦いの結末は押して知るべしですが、明確には描かれていません。映画では、神の軍団は登場せず、人類は己の性の中に自滅していくという悲惨な作品です。
救いがない作品ですが、日本人の感覚をベースにしているものだと思います。

これらの作品では、神は悪魔とは、おなじようなもので、一言で言うと、単に人外のものです。人と別な場所にいるのが神や悪魔という感じになっています。

ですから、人は、神とも悪魔とも戦う場合があります。言い換えると、人は、自立した、神や悪魔と対等な存在です。つまり、宗教的な世界における神や悪魔とは、イメージが違います。人は、悪魔と、神の力なしに戦い得ますし、神とだって、悪魔の力なしに戦うこともできます。ですから…宗教の世界では、存在しない概念です。

日本のこうした感覚は、海外のクリエイターにも強く影響を与えていると思います。たとえば、映画のコンスタンティンなんか、まるっきり日本のアニメとかマンガ、小説の世界そのままの設定です。

もっとも、コンスタンティンは、天国と地獄というわかり易い設定です。神に悪魔は対抗できないイメージもあります。でも、天使は人の世界のものに近いですけど…。しかし、日本人の作品なんて、悪魔ばかりで、神なんかもう登場しないものも少なくありません。欧米人には信じられない、文字通りの、魔境を描いているのです…。

「CONSTANTINE」

「妖獣都市」
映像化されたDVDです

神と悪魔のエージェント、コンスタンティンは世界のバランスを維持するために、正義でも悪でもない殺伐とした戦いを続けています。そうした中で、世界のバランスを崩そうとする天使の陰謀が…日本人には、なんだ、またかという設定が、欧米では戦慄を持って受け止められた…らしいですね…(^^;
この程度で戦慄を感じるようでは、現代日本の作品を楽しめるのは、まだまだ遠い先じゃないのかなと思うのでした。

あちらの世界とこちらの世界…古の協定を守る組織/闇ガード。その協定を破ろうとする妖獣と戦う滝。あるとき、協定の再調印が行われることを守るために、あちらの世界の闇ガードマキエと任務に就くが、そこを襲う、妖獣と凄まじい戦いを繰り広げる。しかし、ここには彼らの知らない新しい秘密が…
今でも、欧米の「オタク」にすら受け止められない、でも、日本人ならワクワクするようなストーリーです…最低限、私には…

例えば、菊池秀行のデビュー作である、妖獣都市の世界観、人の世界とは別の妖魔の世界があり、共存しているなんてストーリーは、今の日本の作品でよく見かけるものです。世界は、「あちらの世界」と「こちらの世界」だけ…神も悪魔も登場しません…教会も出てきますが、それでも、神も悪魔も出てきません。代わりに、妖獣と人間だけが登場します。つまり、悪魔と人だけなのです。このストーリーをしていると、後日に映画化が行われた陰陽師みたいなストーリーは、それの古代版みたいなものです…(^^)

日本のこうした作品の特徴って、悪魔はいても、助けてくれる神はおらず、しかし、絶望的ではなく、人が自身で悪魔(や神)に対抗可能です。ですから、悪魔も絶対的なものではありません。言い換えると、(神も)悪魔も、人と相対的なものであり、いかえれば、もう気にしていないということなのでした…(^^)

そんな作品を見て、「こんな馬鹿なことを信じている狂った世界は、正さねば」と信じたトチ狂った(アメリカの田舎育ちの)牧師が、街宣車で、冒頭のようなアホをやらかしたのでしょう…(^^;…その行為から、こんな阿呆は、きっとアメリカ人だろうなーと思う私の感覚、ご理解戴けるのではないでしょうか…(^^;

でも、私、思うに、日本人の宗教観についての認識…宗教を忘れた民族らしく、いろいろな話題について違うんじゃないかなーと思うことがとても多いです。

それは、日本人が宗教を話題にした途端に、もう外れっぱなしだと、感じています。

日本が多神教の国ですって…そりゃ、いつの話…(^^;

三内丸山遺跡の出土品
このタイプの出土品は多くが首を折られているので、
なにかの儀式的意味があると考えられています。

現代日本人は宗教を知らないなーと感じるのは、いろいろな人が…信仰も何もない人が…日本は「多神教」であると、論じている時です。面白いもので、聴きいている人も、そうかなーと、無批判に思っちゃうみたいです。

ですから、人の文献を見て書き物をするような人たちが書いている本も、同じように「日本は多神教」と書いています。へんなの…(^^;

これから詳しく説明しますが、日本人が、クリスマスを祝い、墓参りに寺を訪れ、神社のお祭りに参加しているからといって、それは「信仰」しているわけではありません。宗教ではなく、人生を豊かにする「イベント」に過ぎません。

おおよそ、多神教として宗教を語るならば、社会の中で様々な神を「信仰」するからこそ、「多神教」であり、「信仰しない」のでは、それは宗教ではありません。信仰もしていない神々をもって、日本は多神教であるなんて、とんでもない勘違いです。

確かに、戦前には、ある程度は宗教はしっかりとあったと思いますが、戦後半世紀以上経ち、現代日本では宗教らしいものは、なりを潜めつつあります。

現代日本でよく見られる、様々なものに「神が宿る」という考え方は、宗教そのものではありません。多神教であれば、いろいろな神そのものが信仰されているはずです。

日本人が感じる、様々なものに宿る神性を思う気持ちは「汎神観」といい、そうした認識は宗教とは異なります。

厳密には、この発想には仏教で言うところの「仏性(協議により呼び方が違います…たとえば真言密教では大日如来ですね)」の概念に端を発しているという見方もできますし、かるばどすほふの他のコンテンツで説明しているように、縄文時代に端を発している感じ方の可能性もあります。そういう意味では、ある意味では確かに宗教的な世界観ですが、それは多神教という意味にはなりません。

ちょっと詳しくこの話題を掘り下げてみましょう。

日本でよく見かける「日本は多神教」という話題は、こんな感じです。

「日本は八百万(やおよろず/古代日本で無限という意味で使われる単位です…もう、数えられないだろうという意味であるといわれています)の神を祭る多神教の文化である」

「多神教は寛容で、一神教は不寛容である」

「多神教は争いのない平和な考え方で、一神教は他を認めない争いを厭わない考え方」

こんなような話が、いろいろな書籍に登場しています。
どこからこうした話題にこじつけたのか知りませんが、こんな話題をある程度知識を持った(宗教に未だにどっぷりとつかっている)欧米人に話したら、「宗教をなにも知らない」といわれかねない話題のような気がします。

このような論旨で書かれている書籍は多く、私が見かけたものでは、有名なところで、塩野七生の「ローマ人の物語」の後半の巻とか、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」とか、私が面白がって読んでいる書籍にも、頻繁にこうした概念が登場しています。

これらの著者には、尊敬すべき点が多いのですが、こと、宗教に至るこうした話題を見ると、うーん、神や宗教に疎い、典型的な日本人の感覚だよな…と、私は感じます。

なぜならば、多神教の意味が理解されていないようにしか、思えないからです。きっと、現代日本人として、宗教の世界から遠く離れた生活をしているため、宗教の何たるかを、忘れているのでしょう。日本人は、だいたい同じ感覚であるため、国内からは「そうした宗教観は、ちょっと幼稚じゃないの?」と注意されないのでしょう。

確かに、日本には八百万(やおよろず)の神が祭られています…それらの神々を祭る神道は、今では、大きく別けて、神社神道、皇室神道、教派神道に分類されますが、神道そのものの始まりは良くわかっていません。恐らく、日本の古代文化…1万年もの幅を持つ縄文時代に端を発しているのではないかと、考えられています。

ですから、呪術の初期の時代から今日に、神道はつながっているのでしょう。

そうした長い歴史を超えて、今日に至るまで、神道の歴史は続いていますし、今後も続くでしょう。私たちの、大切な文化ですから、途絶えさせることは、世界的にも損失以外の何者でもありません。

八百万(古代では数え切れないという意味と同じでした)も神がいるのですから、日本が多神教の国…というのは、表面だけで考えれば、言えない話題でもないのですが…本当に、言葉通りに考えてよいのでしょうか。文化的に、「残っている」としても、私たちの中心に、神道は本当にあるのでしょうか…。

多神教について、塩野七生氏が、かいつまんだ説明をしているので、引用してみましょう。

多神教のほうだが、日本の辞書には「複数の神の存在を信じて、礼拝する宗教」としか説明していないが、これでは誤解を生みやすい。古代の多神教徒たちとても、あるとされていた神々のすべてを信じていたけではないのである。ユリウス・カエサルもアウグストゥスも、哲学者のキケロも歴史家のタキトゥスも、ギリシア・ローマの神々や自分の守護神は信仰していたであろうが、ユダヤやガリアやゲルマンの神々への信仰はなかった。だが、それを信じている人の信仰心は尊重したのである。お稲荷さんを祭った神社の前を通ってもお参りはしないが、その前で不敬な振る舞いはしないということだ。

ローマ人の物語 XIV キリストの勝利 P159より
ISBN4-10-309623-3 新潮社

太線は、私がわかりやすくするために示したものです。

この文章を読んで、まさか塩野七生氏が、多神教について、辞書を例にしているとはいえ、たくさんの神々を信仰するという意味の可能性を考えていたという事実に、驚愕してしまいしました。民族や社会において多くの神があるという意味は自明であると思っていたからです…。私には想像もつかない発想で文章を書かれているので、印象深いのでした。

多神教とは、自分の神に信仰していて、他の神も信仰はしなくてもそれなりに認めるものだ…ということだという見解が示されています。このような見方は、とても日本的で、日本人の多くの人がそう理解しているような気がします。

でも、ちょっと不思議です…今読まれている方に、お伺いします…あなたの信仰している神は、なんでしょうか?

自分の神に信仰…していますか…(^^?

そもそも、あなたに、信仰はありますか…(^^?

信仰とは、人生の大切な瞬間に、あなたの信じる神を忘れずに、信じ、拠り所とすることです。

アメリカ人であれば、何の迷いも無く、主と精霊とイエスキリストを、信じると答えるでしょう。なにしろ、裁判などで宣誓するときに、聖書に手を置いて宣誓するお国柄なのですから…。

日本において、この質問の答えは、混乱したものとなります。
なにしろ、信仰するためには、なんらかの意味での神の実在を信じているということでもあります。

先にご紹介した2000年の世界価値観調査では、神は存在するかという問いに対して、存在する、存在しない、わからないという答えが、日本では比率で拮抗しています。これは、世界的に特異なことで、このような傾向は日本だけです。他の調査されている数十カ国では、神は存在する、存在しないといういずれかに答えが多く集中する傾向(存在するというのが多い)が、一般的です。たとえば、中国では、神は無いという回答がほとんどです。拝金主義で、公共モラルがわれわれから見ると皆無に見える背景は、世の中、人を超えたものなんかいない、だから、人がわかるものがすべてさ…という、こうした宗教観の、影の側面かもしれませんね。

本題に戻りますが、神の存在についての質問について、日本で答えがばらつく理由は、実は簡単です…神の概念が、実のところ、わかっていないのです。あてずっぽうで答えるから、きれいに平均的にばらついてしまうのです。誰しも、神という言葉と、その教義は知っていても…。

日本人の思う神…それは、神ではない…

この説明は、別な形でするとわかりやすいと思います。

神という概念について、こんな風に書くと、日本の結構多くの方が、そうだよなと、思われるのではないでしょうか。

「この宇宙には、自然には、私たちにはまだ理解できていない、すべてを超えたものがあるのではないか…自然を見たときに感じる荘厳さや、夜空の中に感じる神聖な気はそこから来るのではないだろうか…自然には、それが宿っており、私達にもそれは宿っているのかも知れない…そして、そうしたものは、あの木々にも宿り、いたるところに満ちているのかもしれない」

このように思うから、木々を奉り、山々を奉り、海を奉り、人も奉る日本の神道のあり方を了解するのではないでしょうか。ただ、これは、神道や多神教を、そのまま、理解する視点とは、実は違うものであることを知る必要があります。

Helix Nebula GC 7293 日本ではらせん星雲として知られています。
ハッブル宇宙望遠鏡が撮影しました
これを見て神の目と連想したら、あなたの発想は欧米人に近いですね

これは、定義だけで言うと「汎神観/汎神論/Pantheism」とか「汎生命観/汎生命論/Panvitalism」といいます。まあ、もともと欧米の概念ですから、そのまま日本人の感覚にはマッピングし難いのですけど…。ここでは、神の話題ですので、汎神観という用語で説明を進めていきます。

「汎神観」は、古い資料に拠ると、比較的幼稚な世界観に分類されます…なぜならば、汎神観は、呪術的な世界観の延長として見られる場合が少なくないからです。特に、欧米の神学的な資料にそう登場している場合が少なくありません。

ですから、そうした資料を読んでいる人は、ここで説明したような、日本人の感じる「木々にも自然のいたるところにも感じる神性」という感覚について、これを呪術的な宗教観の延長で未分化/未発達な考え…と勘違いして解説している書籍や論文を書いている場合が、少なからずあります。宗教をある程度知っている人からすると、そう分類したいのでしょう。なぜならば、神の概念の発達の歴史がすでに知られているからです。

神の実在を信じる気持ちと、神を否定する気持ちには、対立するようですが、実は同じ基盤があります。
そこには、神という概念が明確に存在しているからです。

しかし、日本人的ないわゆる汎神観は、神の実在について、ある意味であやふやであり、実在の認識が不明確であるために、神を信じる世界観の対極であるという見方もあります。つまり、好きの反対は嫌いではなく、無関心…というわけです。ですから、キリスト教の中では、汎神観は、無神論と同様な、場合によってはそれよりも良くない、ひとつの異端思想に分類する場合があります。

これは、神の概念としては、呪術的な世界観で、神の概念に、まだ昇華して到達していないから…という見方があります。実在としての神をまだ見出していないのですから…そして神が無ければ悪魔もないわけです。ですからそこに現れるのは、物の怪と邪神の世界観になる…という感じに理解されていきます。まあ、日本の神話を見ると、そうした話題の展開そのものですが、これは古代神話の特徴でもあり、人の心が黎明期の世界観そのものでもあります。

こんな風に説明できちゃうので、神の概念に到達していないという見方があるわけです。
でも、対極的な見方で汎神観が見出される場合もあります。

汎神観が未分化な精神の産物ではなく、また宗教を否定するものでもない、いう形で登場する場合もあるからです…宗教的な世界観が行き着いた結果である、ドイツロマン主義の源流も、こうした世界観なのです。ですから、いわゆる汎神観にはいろいろなものがあり、あるものは、呪術とはまったく異なる世界観であり、未分化な幼い精神の産物であるだけではないことがわかります。

実は、この答えは、同じ汎神観であっても、異なる源流のものがあるということです。
このような、概念そのものが持つ「多義性」は、私たちにはおなじみの出来事です。

たとえば、子供の無垢性と、聖人の無垢性…などです。
いずれも無垢であるので尊い…という人もいますが、子供の無垢は無知からの無垢であり、聖人の無垢は超越からの無垢です。これを同じに扱うと、「人は生まれてから堕落を続ける」とか考える原因になります…(^^;

実際には、これらの違いは、前個(個我が確立する前)と超個(個我を超越した後)の違いとして理解されており(Wilber Iっていいます、Wilberが初期の段階で示した考え方で、Wilber I 〜 IVで説明するのですが、日本ではこうした説明の仕方はなじみが無いのかな…)、同じ無垢でもまったく異なるものです。

これと同様に、汎神観も、神の概念以前の汎神観と、神の概念を超えた汎神観があります。
いずれも、実在としての神の概念に拠らず、実存としての神に拠るのですが、まったく異なるものです。

つまり、汎神観には、未成熟な精神の描く世界観の時代のものと、成熟した精神が描く世界観のものがあり、同じ汎神観ではない、2つの汎神観があるわけです。

ちょうど前個と超個の意識の違いと同様な、外見上の相似と、本質的な「ステージの違い」があるわけです。呪術/多神教の考え方から生まれる、「様々な神」とは異なるものです。

人とつながりの深い神々 から 人を超えている神 へ

神道や他の呪術/多神教の感じ方には共通点があり、それは、現代日本人の感じる汎神観とは、明確に異なる特徴があります…それは、神と人の関係が近く、神は、人の何らかの働きかけで助けてくれたりするような関係が、呪術/多神教には存在する点です。たとえば、神社によっては「神の祟りを封ずる」ためのものがあったりします。いわゆる、どこにでも神は宿る…という概念であれば、封ずることなどできるわけは無く…実在として認知して、働きかけあいうると感じていない限り、そうした概念が生まれることはありません。畏敬の念が信仰の根源という考え方では、呪術/多神教を説明することできないのです。

余談ですが、式神は古代中国に端を発しているみたいで、現代中国指導者もこうした話題を熱心にしているというい資料があります。そうした連中が国家指導をしているとなると、なんとかに刃物のような気がします…(^^;

日本の歴史を見てみると、「神」という言葉が、かなり異なる意味をもって登場していることがわかります。
平安時代に、存在を信じられていた「式神」は、今で言う使い魔のようなものですし、神社などの縁起に記されている、障神などは、私たちの知っている神とはかけはなれている、災いを成す神です。そして、そうしたものは、人のより「鎮める」こともできますし、「祈祷」により望みを成させるようにすることもできます。式神に至っては、術者により操られてしまいます。

そのような神には、「(神も含めて)支配して使う」という概念が、伴いっています。
これは、呪術、多神教の重要な特徴でもあります。

ギリシャ/ローマ時代に作られた神殿は、神を称えることで、益を得るためのものでした。
ネプチューンの神殿に赴き、航海の無事を祈る…という感じですので。

日本人には、これを、ご利益(りやく)として説明すると、わかりやすいと思います。

ルイス・フロイスの書いた日本についての記録の中には、「日本人は現世利益を神に求める」という話題が登場しています。

(魂の救済は、仏に求めるともあります。そして、仏教は、邪教であるため、救済されることはない…とも…彼らは、ローマ教会と仏教の和解を受け入れませんでした…後の世代に仏教徒とローマ教会は和解しています)

このように、呪術〜多神教における神は、人との一定の関係を保っています。

しかし、一神教や、より進化した形での宗教の神に至ると、人と神の関係は全く違ってきます。神が人からなんらかの影響を受けることはありませんし、神になにかを求めることもできないという概念が登場します。

旧約聖書のヨブ記などはいい例で、(もう30年以上前に読んだのでうる覚えですけど)ヨブの信仰を悪魔に示すために、神はヨブの幸せな家庭を絶滅し、財産を失わせ、業病に苦しめます。神が悪魔とそんな話をするなよと思いますが…(^^;…神はかくも人は違うということです。

ですから、「神は称むべきかな」となるんですけど…。

神に対して、現世利益を求めるのではなく、ただ、神の栄光に帰するため、一神教では、受け入れないものに対しての排斥が実行されます。神が、至高の価値であるからです
人との関係が、利益を介して存在する多神教の神には、そうした激しさは存在しえません。
でも、神聖なものとして神を受け入れ、もはや人との利益関係がないと感じる人には、やはり、このような激しさは存在しません。神を自身と同一視する必要のない、成熟した世界観だからです。

JohAnn G. Fichte/フェヒテ(1762-1814)無神論論争
知識学(
Wissenschaftslehre)を唱え、神を、超自然的摂理/道徳的世界秩序()として理解して、それなしに実体としての神を考えることができないと講義したところ、それは、「実体としての神」を否定している…無神論であると投書があり、神を否定していないにもかかわらず非難され、Jena(イェナ)大学を追われました。
当時のシラーなどの著作を見ても、フェヒテのような世界観は、少なくありません…ちなみに、有名なベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」の歌詞は、シラーの詩です。

ユダの福音書:近年になってやっとNational Geographic財団に保護された、数奇な運命を辿ったこの朽ちかけた福音書は、歴史的には存在は知られていても、もはや失われたと考えられていたもので、キリスト教成立時の様々な考え方を今に伝えています。特に、この福音書は、ギリシャ/ローマで考えられていたグノーシス的な思想が色濃く述べられています。実は、グノーシス的な考え方って、日本人の発想に近い点があります。

旧約聖書ヨブ記:信仰心厚いヨブは、それが故にすべての幸せを奪われ、試練を与えられます。理由は、神が悪魔に呼ぶの信仰心を見せつけるためです…(^^;。まあ、最後はハッピーエンドなのですが…。「神は与え、奪う」…人のために、人とかかわりを持つ神は、もはやそこには、いません。

一神教の神は、このように人を超えているので、呪術や多神教などで基本となっている「神への支配」は、もはや存在しえません。

一神教における神は、呪術的世界観における神々を遥かに超えた、別な存在です。これはも呪術/多神教の時代にはありえない考え方であり、神はもはや、人と交渉はしません。

そうした超えた神を知らず帰依しない人々は、もはや、文化的なものではなく、簡単に言うと人ですら、ありません。ですから、そんな連中には、神の名の下に、なにをしても良い訳です。

このような背景があり、一神教に至った社会の初期には、残虐な話題が数多く出てきます。率直なところ、不愉快な話題がいくなくありません。塩野七生のローマ人の物語は、ローマ帝国がキリスト教化してから、急に記述が荒くなり、東ローマ帝国だけになってからの記載は最終巻にほんの少し…もはや、ローマ帝国ではないという感じです。キリスト教と一緒に、東ローマ帝国も嫌いみたいです…ローマ帝国ではないとも書いていたような気がします…(^^;

このような歴史的な残酷な話題は、一神教の特徴…というよりも、神と自分を同一視してしまう、未成熟な精神のあり方に問題があります。多神教であっても、同じ問題はあるわけですが、神そのものに妥協がない分、神の名の下に、激しい行動に出やすくなるのでしょう。

一神教は、神の概念が呪術/多神教よりも純粋化しており、そした意味では、進化しています。

ですから、人が、神と自分を同一視しなくなるだけ成熟すると、神の概念は、より純粋なものになって行きます。

キリスト教からもたらされた人権

私たちが、「人権」として知っているものは、一神教にまで「深化」した神の概念のおかげで、生まれたものです。具体的には、キリスト教のおかげです。

なぜ、人は平等なのか…
なぜ、人には幸福に生きる権利があるのか…

キリスト教の視点では、簡単に説明が出来ます。

神の愛は、万人に等しく、私たちは神の前で、同じであるからです。特にキリスト教では、人は神の似姿として作られたとあるくらいです。

もっとも、人とは何かという別な議論があるのですけど…(^^;

別に、人が生物として、等しい権利を有しているという、科学的結論から、人が平等であるとか、幸福に生きる権利があるというわけではありません。まして、「憲法に書いてあるから…」でもありません。法は、人の思いの最小公約数に過ぎないからです。

呪術/多神教が宗教の主流の社会では、神にも序列がある場合があるほどで、人が本質的に平等であるという世界観は皆無です。

このような純化した一神教的な神の概念を突き詰めていくと…神の祝福の元、世界が見渡されるようになり、やはり神が、広く「行き渡っている」という感覚で、神を理解する見方になりやすくなっていきます。

そうした見方に至ると、神は、人に干渉することはありません。
呪術的/多神教的神とは、異なる感覚であり、このような視点での、あらゆるものに、神聖なものが行き渡っている…という感覚は、一神教の神の概念の、さらに次にあるわけです。

このような感覚は、原初の汎神観ではない、新しい汎神観として分類されるものです。ただ、用語は別けられていません。

実は、この神についての感覚は近代から現代において見られる、かなり現代的なものです。

こうした概念がおきはじめた時代は、それを表明することだけでも、さまざまな排斥がありました。ドイツロマン主義に登場する、イェナ大学を追われた知識学のフェヒテなどは、いい例かもしれません。

汎神観/汎神論では、神がすべてに宿るという見方となるため、神の具体的実在を「無視」してまいますし、悪をなすものにも神は宿ることを理解しにくくなるようです。そのため、汎神観/汎神論は、無神論に近いもの、もしくは、より神を愚弄するものとして理解される傾向があります。

キリスト教は、その成立の初期の時に、いろいろな神に対する認識がありました。その中には、ここで説明している「汎神観」のような観点をもつ宗派もありました。グノーシス主義は、世界を2元論で見ますが、物質と霊の様に捕らえるその見方は「汎神観」に近いものであり、原始キリスト教には、強い影響がありました。何回も論争が行われ、教会の権威の維持に役立たないものが、排除されていったのです。

そうした背景があるため、キリスト教本流…てのは、なんだか私にもわかりませんが…(^^;…からは、汎神観/汎神論は、しっかりと「異端思想」に分類されています…

日本人の宗教観に近い、そんな汎神観とは、多神教ではないんです…多神教というのは、信じる神がある人が、他の宗教の神も重んじることです。なんの「具体的な神」も信仰していない人が、神を否定しないことではありません。

あなたの人生の中心に信仰はありますか…??

ちょっとややこしい説明になっていたかもしれません。
もうちょっと、別な形で、汎神観をご説明します。

昔なら、日本のいろいろな家で氏神様を大切にしていたと思いますし、さまざまな願いをかけたり、いろいろなお祭りもしていたでしょう。でも、現代日本では、ほとんどお祀りをしていませんし、お祀りしていても、形式的な場合がほとんどです。それをもって、形式が満たされているから信仰であるといのは、ちゃんちゃらおかしい点があります。

信仰とは、儀式のことではなく、人生の「信念」であるからです。
つまり、信仰とは、人生と、その人の世界観の、中心のひとつなのです。

信仰とは、人生の儀式ではなく、人生の中心に来るものです。

何の神も自分の人生の中心に置かない人に、なんらかの信仰心があるというならば、信じられているという神も困ってしまうでしょう…(^^;…先に例にした旧約聖書のヨブ記のテーマのように、どんな苦難になっても神を忘れず信じることを、神は求めているのです…。

信仰から縁遠い人に(現代の日本人に)、多神教も一神教もありません。
私たちに、神なんて、ないのですから…。

クリスマスにプレゼントを彼女にしても、キリスト教徒ではないし、
日曜日に人生の幸せを感謝しながら一日寝ていても、ユダヤ教徒ではありません。
初詣に行き、三拝二拍手してお賽銭を投げても、それだけなら神道の徒ではないし、
お墓にお参りして数珠を手にしても、仏教徒とは言えません…だいたい、仏教そのものには、経典を見る限り、祖先崇拝の概念だって無いのですから…(^^;

結局のところ、このような宗教に端を発するイベントですら、単に、文化的儀式として、もしくは、なんらかのチャンスとして、それらを日本社会は受け入れているだけに過ぎません。

日本では、神とは、知識のものであり、私達の価値観の中心にはないものです。

現代の日本人は、多神教の文化も一神教の文化も受け入れている、しかし、そこにはなんの基準も置く事がない…無宗教の民なのです。

信仰に縁のない民

「存在する」と思いますか 神 (価値観データブック2000年)
ある
ない
わからない
無回答
日本
35.0
31.6
33.4
-
アメリカ
94.4
4.0
1.6
-
インドネシア
99.5
0.1
-
0.4
エジプト
100.0
-
-
-
ドイツ
61.1
30.0
7.3
1.6
「存在する」と思いますか 死後の世界 (価値観データブック2000年)
ある
ない
わからない
無回答
日本
31.6
30.5
37.9
-
アメリカ
75.8
17.2
7.0
-
インドネシア
98.8
0.5
0.3
0.4
エジプト
100.0
-
-
-
ドイツ
33.4
54.8
10.8
1.0
Paris Whitney Hilton (1981〜)

保護観察中の飲酒運転で45日もの禁固刑を言い渡され、収監後5日で保安官が自宅監禁に切り換えた後、裁判所が刑の執行を命令…三権分立の徹底した日本ではありえない支離滅裂な展開ですけど…再収監される際に、泣きじゃくった彼女は、ABCテレビの電話インタビューに「神様は私に(試練という)新たなチャンスを与えたのね」と答えたといいます。

本心かどうかは別として、こうした発言をする発想は、神を信じる人に特有で、日本人にはちょっと見当たらない、典型的なアメリカ人の発想ですね。日本人なら、自業自得って反省するか、有名人は辛いよと思っても、神様が何とか思うことはありませんでしょ…(^^)

Adam Smith (1723-90)

神の見えざる手」というのは、アダムスミスの国富論に出てきる言葉です。18世紀の時代、科学者を含めて、神の実在を信じていない人は、稀でした…アメリカでは、今でもほとんどの人が、信じていますし…。実のところ、今の投資家で、「見えざる手」は存在しないということが、定説になりつつあるみたいです。

Intelligent Design/インテリジェント・デザイン

科学が立つ、「偶然」により自然が進化することについて、ある程度否定手的な見方に立つのが、インテリジェント・デザインという考え方です。たとえば、星が進化する中で重元素が生まれ、そうした母体の元に、やがて星の上には生命が誕生し、生命が順調に進化したら知的生命がきっと発生する…そうしたことには、別な、なにかの背景がある…という見方です。特に神とか宗教とか関係ないのですが、欧米ではここで示しているように神の概念が強いので、自動的に宗教との連携でこの話題を理解する傾向があります。
この考え方の一番の特徴は、現代の日本人にはずいぶんと「納得し易い」見方であることです。人の思考パターンとして、自然です。だって、だれでも「自分はなんのために生まれたんだろう」くらい考えますよね…偶然に生まれたでは納得しないのが、人の発想だからです。ただ、宗教的なものが入ってくると、胡散臭くなってきます。

すでにご紹介しましたが、日本人の私たちには、にわかには信じられない話題ですけど、2000年の統計によると、アメリカ人の94.4%以上は神の存在を信じています…アメリカ人が、困った時に「oh! my god!!」というのは、伊達ではありませんし、実のところ、本心に近くて、意味の無い慣用句ではないんです…(^^;

しかも、この話題には、私たち現代日本人が神の実在についての感じ方が違うために、アメリカ人の神の概念について、気づかないで誤解を招き入れています。

現代日本の私たちは、自分たちの神の感覚を基本に、そのまま考えて、「まあ、神という見えないものがあるのかもと思っているんだろう」と善意に考えたりします。ですから、違和感がないと言えばないのですが…。

しかし、アメリカ人の信じる神は、私たちが知る、目に見えない神ではありません。アメリカ人の信じる神は、キリスト教の教義の中の神であり、その実在を実感を持って、信じているのです。

たとえば、経済の話題で、市場原理として、適切な価格に落ち着くという事について、「神の見えざる手」があるという話題があった時代があります。もともと、イギリスのアダム・スミスの国富論に端を発するわけですが、実は、この時代の欧米人には当然の発想でした。

この話は、適切な価格に落ち着く原理の根拠を「神」だと、本当に考えていただけです。実際のところ、そんなものは市場には無いので、市場が開放されると、ものすごいトラブルが発生したりすることは、現代ではよく知られてきています。

人の営みに過ぎない市場原理に神が登場するかと思えば、人の人生においてすら神からいつも見つめられている(と信じる)中で自分を思い返したり…まあ、わかりにくい限りです…神を知らない私たちからすると…(^^;

アメリカの映画を見ていると、民主主義がとても重要なテーマのように登場します。なにしろ、古代をテーマにしたファンタジー映画ですら、圧制者から開放するというテーマがあったりします。このように話題になる民主主義の中にも、「神の見えざる手」に近い発想があることも、否めません。ですから、民主主義至上に思う気持と神の摂理には、ちょっとは姻戚関係があるわけです。

アメリカが、世界に対して人権について、内政干渉みたいなレポートを出したり、それに基づいて制裁するという原理も、政治的な背景で無い点としては、こうした「神の見えざる手」の概念があるといえるかも知れません。なにしろ、アメリカ人の発想では、人権と民主主義は、神の摂理なのです…明示してそう語ることが無くても…。

もうだいぶ修正されましたが、アメリカでは、自然科学についても、宗教的な教育がまだ残っている点もあります。進化論の教育すら、慮られていた時代すらあったのでした。聖書では、すべての生き物は7日間で創造されたことになっているのですから、進化論とはまったく違います。それが理由で教育すべきかと、本当に議論していのです…(^^;

もっとも、アメリカの教育では、教材や教育には現場で裁量権が大きいため、地方政府の強制がない場合は、自由に教育を組み立てられます。そのため、場所によっては、「世界は神により7日間で作られた」と教育している場合が、まだあります。

詳しく調べてみると、そうした教育を行っている場所は、日本にもまだあるかもしれませんが…。思い起こしてみると、私が小学校のときにも、そう教育されているキリスト教徒の家庭の子がいて、学校で何を教わっても「間違っている」といっていた子がいました。また、時々報道されるように、新興宗教によっては子供を隔離して教育する場合もあります。

インテリジェント・デザインと神

もっとも、キリスト教会も、知恵があるので、いろいろと最新の科学的結論に折り合いをつける努力をしています。そうした中心はヨーロッパですが、アメリカの連中だって負けてはいません。

自然科学の研究が進み、世界についての見識が進んでいく中で、日本人の私たちから見ると「なんでそんな議論が大切なの」という話題で論争があったりします。

たとえば、「宇宙が誕生してからたかだか160億年程度で、世界がこのように生まれ、私たちのような知的生命が生まれ、理性が生まれるのは、偶然のなす技ではない…大きな力を感じる」なんて話題です。これって、いわゆるインテリジェント・デザインの話題ですが、本来は宗教の話題とは関係ないところから出たのですが、宗教が飛びついて、ややこしくなっています。アメリカの主だった宗教団体は、インテリジェント・デザインの推進を図っています。ものみの塔なんか、有名です。

ただ、宗教団体が入ってくると、インテリジェント・デザインの話題はおかしな方向になっていきます。進化の過程とかで、飛躍的なものをあげつらって、そら見たことか、神の采配の証拠だぞって言い出すからです。多くの宗教は、世界の原理を説明する位置に過去にあったので、科学がそれにとってかわるのが嫌なんでしょう…(^^;

本来的なインテリジェント・デザインの発想は、神とか宗教とかあまり関係なく、どこでいわゆる「汎神観」と違うのかというと、18世紀のそれとはとは、世界の認識と神の認識が違うくらいで、似たり寄ったりです。

言い換えると、インテリジェント・デザインの発想って、私たち日本人の「汎神観」とは大して違いません。言い換えると、私たちの「汎神観」とは、現代の主流な感覚なのです。

でも、現在のアメリカでのインテリジェント・デザインのように宗教に毒されてきている考え方は、宗教の世界観と戦い続けたいわゆる科学者の世界観には癪に障るので、ずいぶんと論争の種になったりします。「今日の世界は自然淘汰により作られたのであり、なにかの力で作られたのではない」なんて感じに、事あるごとに反論していたりします。

私の感覚では、自然淘汰が世界を支配していると信じるのと、神が創ったと信じるいずれも、似たもの同士に感じる点もありますが…どうせ完全にはわからないものを、信じるもので説明しているだけですから・・・(^^;

インテリジェント・デザインをめぐる論争の根底は、欧米のように、「宗教的な世界観における神」の概念が、科学的な視点に立つ人たちと宗教的な視点に立つ人たち双方に共有されているために意味があるわけで、私たちみたいに共有していない門外漢の人間には、実感が伴わない、意味のない議論です。

ですから、日本人の感覚では、インテリジェント・デザインの話題なんかを表面的に聞くと、そうかもねー…と思ったり、しやすいかもしれません。

宇宙で発生しているすべての事象がいわゆる「偶然」や「自然淘汰」で成立していることは、「すべて」であると前提を考える以上、すべてを確認しえない私たちには根本的には証明できないですし、そうした事象になんらかの必然性があることも、同様に証明できません。それどころか、科学が発見した不確定性原理が示す揺らぎは、あらゆる可能性を示しているわけで、インテリジェント・デザインを巡る諸議論とは、所詮、どう「感じているか」程度の問題です。

ですから、感覚的に納得できるように各自が勝手に思い理解していれば言い訳で、神のもたらす必然があるのか、偶然がすべてを決めてきたのかなんて議論なんか、必要ないのではないか…というのが、多くの日本人的な感覚だと思います。なにしろ、日本人にとっての神なんて、具体的なものではないのですから、議論の余地がそもそもないのです。

言い換えると、私たち現代日本人は、神の概念が、希薄というか、ないために、神にまつわる議論の意味が、存在しないのです。

しかし、神の概念がないといっても、全く知らないわけではありません。
知識としては、ひょっとすると欧米の人たちよりも詳しいかもしれないのです。

アメリカ人やイスラエルの人で「色即是空」なんて知っている人、ほんどいないと思いますが、私たちはイエスの「互いに愛せ」という山上の垂訓を「色即是空」と同じくらいに知っていたりします。最近は、人によってはマホメットの言葉まで知っているかもしれません。

結局、現代の日本人は、神を自分の中心にしていないだけで、神を知らないわけではないのです。

私たちは、信仰を知らない民である…のです。

なぜ信仰は失われたのか

信仰が失われた訳…(私には、あまり関心がない話題なので)深く研究したわけではないのですが、2つの原因があると感じています。

■伝統となった神の概念と宗教の希薄化

物部守屋

廃仏派の敗北により、
日本は仏教と神道が併存することとなりました。

出雲の阿国

天下一の歌舞伎の創始者。実は、かなりエロチックものであったようで、現代の歌舞伎が男性だけで演じられる理由がその点にあったと言われています。内容については、わかっていません。

神の概念には、系統的な類似性が、地域、民族を問わずに存在しています。

遺伝子の研究によると、現在の人類は、5万年前にアフリカ大陸から出た1部族…150人ぐらいの集団です…が、源流となり、広く繁殖して現在の全世界の人々へと発展しました。

5万年前の段階で、すでに言葉を取得していたとも、考えれています。遺伝子の研究者たちは、このタイミングで宗教や神の概念も生まれていたと考えており、世界はひとつの民族、ひとつの言葉、ひとつの概念がルーツとなっている、と考えています。

世界に人々が広がる過程で、そうしたものは別個に発達していったのですが、それでも、その変化の仕方に類似性がありました。人の心の発達の過程にも、現在の地域や民族に関係ない、類似性があることに起因するのかも知れません。まあ、インテグラル哲学ではそのように考えています。

現代日本で神道として知られている、昔から今日まで伝わる神の概念にも、時代に応じた変化があり、昔から今まで、同じものではありません。

初期の神道は、多分に呪術的で、多神教の神という以前の水準であったかも知れません。この初期の神の概念は、様々な地域と同じように、集団の中で、祭祀として、中心的な概念のひとつになっていきました。

しかし、仏教が伝来してから、日本的な展開が始まります。他の地域であれば排他的に展開するはずの宗教が、日本では、併存していくのです。

日本に仏教が伝来後、用明天皇(585-587)の代には、崇仏派と廃仏派は激しく対立していました。廃仏派は、渡来宗教である仏教を廃して、日本固有の神道を尊ぶべきであると主張していました。この時代、政治と祭祀(宗教)は切っても切れない関係であり、旧世代は神道を尊び、新世代が仏教を押すという時代でした。結局のところ、廃仏派(神道派みたいなものでしょうか?)であった物部守屋は滅び、政権の変動とともに、日本に仏教は定着していきます。

日本では、仏教と神道が併存する形にとなっていきました。

仏教には、本質的には、神に相当する概念がありません。
仏は神からも崇拝されるものであり、世界から尊ばれるものですが、だれでも「善知識によって仏と成るを得る」からです。

仏教にも神は登場しますが、その神とは、人を超えたものですが、人は仏となり、神を超えることになります。ただ、これらの神々は、日本の神々と同列ではありません。

やがて日本では、神仏混合という、日本の神と仏を同一に考える方向が見出されます。
もちろん、仏の化身が神だ、神の化身が仏だという論争はありますが…いずれにしても、すでに紹介したように、日本では、神も仏も、理論的にも、受け入れられるようになっていきました。

やがて時代は過ぎ、日本は戦国時代に突入します。
種子島に伝来した鉄砲は、日本ですでに完成していた鉄加工技術もあって、瞬く間に日本中に伝わり、ヨーロッパすべてのマスケット銃よりも日本の戦国大名たちのもつ鉄砲の方が多くなった言われています。

戦国の世、仏教も退廃しており、世俗権力のひとつの担い手でもありました。
戦国の覇者、織田信長は、戦国大名だけではなく、そうした宗教勢力とも戦っています。

比叡山焼き討ち、本願寺や一向宗との戦いなどが知られています。

この時代でも、戦国大名たちはいろいろな神や仏を敬っていましたので、織田信長の行動はかなり時代の先を行っていた感じがします。

そうした織田信長は、自身の思いを形にしたといわれる安土城を造ります。
安土城の天守閣は、巨大な吹き抜けを持った五層七重で、絢爛な信長のいるべき最上層は、天皇の居城や仏閣を城下に備えた安土城で、信長がどのような位置にあるのかを示していた…と言われています。

この時代からは、「天下…」という言葉が多く残されています。天下人、天下布武…このような言葉を生み出した思想を十羽ひとからげにして、「天道思想」といいます。

天道思想とは、人が成すことと、天の意志の合一を考えるもので、人らしいダイナミクスを天という概念から支えるものです。中世ヨーロッパであれば、「神のご意思」となるところを、日本では「天の意志」とするわけです。旧来の仏教や神道に依るわけではありません。認めてもらう必要はないのです。だれかから認めてもらうのではなく、自身が成していることを、多くの人に認めさせることが、「天下」という時の、大切な発想となります。

たとえば、「天下一」という言葉です。様々な分野で「天下一」が多く登場したこの時代、天下一とは、だれかから授けられるものではなく、自身から主張し、それを様々な人々から認められることで、「天下一」と言えるものであったといいます。

天道思想とは、神仏混合の考えの先にあるもので、「天」のもとに運命づけにれた人の在り方を理解するものです。中国の孟子などに端を発する思想にも同じ用語である天道思想がありますが、日本の場合は、神仏と併存しているため、同じに類すべきものではありません。

天道思想は、明治維新の時代まで続きます。
明治維新の際に、政治的な目的から、神道の概念が強化されます。

明治維新の際に、欧米を視察してきた人々が、欧米の基本にあった宗教的基盤の強さを目の当たりにして、日本の国の思想的礎として、天皇に宗教的機能を集約していったのでした。

そして、明治時代から、神道は宗教ではないものとなり、いわゆる国家神道というものになっていきます。このときに、現代に知られているような、天皇を中心とした考え方が確立したといわれています。

なにが国家神道か…実は、複雑に日本の伝統的文化と組み合わされてしまっているため、この話題は、今でも明確に説明できない状態が続いています。

時々話題になる靖国神社は、明治時代に日本帝国政府が建立した東京招魂社に端を発しています…招魂社は、日本全国に建立されました。

ここで重要なキーワードは、神道が国にと統合され、シンボルとしての天皇に集約されていったことです。

実のところ、神道の変革は、日本における宗教感が、本質的にかなり無くなっていたからできる、荒業でした。だからこそ、神道は国家に統合が可能であったのだと理解することが自然です。神の概念が強ければ、既得権益にも手が入ってしまうそうした動きに、大きな反対があって当然ですが、この時代に反対した人々の話題が、とても少ないのが事実です。おそらく、明治時代には、神道そのものは、ほとんど力がない状態になっていたのでしょう。

世界に特異な、日本の戸籍制度(韓国は日本帝国時代の名残でありますが、廃止を決めています。ですから、この制度は、実質的に日本にしかありません)も、寺を中心とした過去帳、宗門帳や、幕府の人別帳の発展したものです。寺は、日本では、実質的な社会機構として働いていたわけです。仏教ですから、宗教的な概念から、すでに離れていたといっても、大局的には外れていません。

ただ、神道と国政を合一させた形態は、欧米から見たときに、異様なものでした。
第二次世界大戦中は、日本の神道は、欧米からカルトとして理解されていました。
今のイスラム教国に対する感覚と、近いかもしれません。

そして、日本は第二次世界大戦で敗戦し、GHQ/アメリカは国家神道体制を破壊するために、神道指令を発し、現在の神社本庁や靖国神社の系列の大勢となっていきます。アメリカは、信仰が厚い国ですが、政治と宗教は分離されているので、日本の国家神道の在り方について、危険なものを強く感じたのかも知れません。

もっとも、それほど気にすべき話題ではないほど、日本の宗教は人に影響を与える力はなかったかも知れません。国家神道は解体されましたが、神社本庁や靖国神社として、体制は残りました。

このときに、大きな影響を受けたのは、そうした体制だけではありません。わずかに残っていた神や仏に対する気持ちも、敗戦により、完璧に近く払しょくされたのです。

■理由2 第二次世界大戦の敗戦

すでに説明しましたし、また、多くの人たちが指摘していると思いますが、日本は明治維新以降、天皇制中心とした宗教体系の統合と政治の統合を実行していました。いわゆる、国家神道です。それまでの神道は、大日本帝国の神社庁により管理されました。つまり、八百万の神は神社庁により管理され、神の体系と天皇家の対応を進めました。これは、18-19世紀の欧米列強がキリスト教的世界観を背景とした政治を展開していのですから、対抗上当然といえば当然でしょう。

しかし、こうした展開により、神道そのものは、大日本帝国と天皇に、そのまま対応するものとなって行きました。

そのためか、太平洋戦争前には、「神国日本」でしたし、有名な零式艦上戦闘機の「零」は、天皇家の年代を基本にした「皇紀」の最後の2桁から来ています。皇紀は、うがった見方をすれば、グレゴリオ暦がキリスト生誕を基本に0年とすることに対しての、対抗であり、当時の、宗教的世界観で欧米とは一にしないという日本人の意思が感じられるような話題です。

戦争中は「石に矢の立つ例(ためし)あり」とか、今では「精神論」と批判される話題が多くありましたが、なに、神道を基本にしたら、なんにでも神は宿るのですから、伝わるべき思いの大切さにはそうした意味で理論的背景があり、自然な発想でもあります。

でも、戦争に負けて、日本人はこの世界観をがらりと変えました。

Douglas Macarthur と 昭和天皇

会見の際に出迎えることは無かったマッカーサーは、会見後昭和天皇を見送りました。その理由は、命乞いではなく、すべての責任は自分にあるとした昭和天皇に、感銘を受けたからといわれている。
人間宣言とあいまって、この写真が新聞で公開されたときに、いろいろな感想があったそうです。

「天皇の人間宣言」により、神の中心に置かれていた天皇は現人神ではないと明らかになりました。

実は、戦前だって当時の人たちの常識を集めたともいえる美濃部博士の「天皇機関説」があったりしました。総動員体制を実現しようとする政府/軍部にとって具合が悪いので、封殺されたりしていたのでした。ですから、人々は天皇を現人神として言葉の上でだけ理解していただけで、本当の神とは思っていない点も本音はありました。「人間宣言」により、以前に戻っただけに過ぎないのではないかと、個人的には思っています。ですから、人間宣言によって天皇に対する敬愛は失われなかったのだと思います。

ただ、葬られてしまったものがあります。それは、それまで総動員されていた、日本にあった神道や仏教などの古来からの宗教です。手段として動員されていたこれらの宗教は、歴史的背景から、もともと弱くなっていたのに、さらに形式化されてしまい、人の中心から大きく離れていきました。だって、不殺生を教える禅宗で、戦争ができるものですか…(^^;

戦争を経由して、国を守れなかった八百万の神々は、文化としての神々となり、教えを貫くことなく戦争に賛同した仏教は、儀式としての宗教になっていたのではないか…と思っています。

ただ、神々がそうして「変質」していったときに、代わりのものがないと、私たちの人間としての中心が揺らぎます。宗教が人の中心にあるなら、それが失われれば、当然のことです。人の中心が揺らげは、社会は中心とする「摂理」を失うわけですから、大きな混乱の中から、いつまでも出られなくなるでしょう。でも、日本は、そうはなりませんでした。

混乱の極みで、暴力が大手を振るっていた社会の中で、弱体化した警察機構は、生命を賭して、強力になった暴力団などの組織と戦いました。今は無い旧警視庁庁舎にあった警視総監室の扉には、鉄板が埋め込まれていました。暴力団との抗争に備えたものでした。国民はそれを支持して戦いましたが、だからと言って、別に暴力団を一掃したわけではありませんが、やくざは社会の中に併呑されていきました。先進国で「ヤクザ」のような組織が一掃されていないのは、日本だけであると言われています。

日本の社会は秩序の中に急速に再建され、戦後の奇跡的復興を果たし、戦前以上の国力と世界的立場を築きあげました。現代では、日本は、世界の文化的、科学的、経済的中心のひとつとまでなっています。

余談ですが、アメリカ人には山口組をはじめとする、いわゆるヤクザや、極右団体がまだ日本に存続しているのか、理解できません。日本人からにすると、法治国家なんだから法律ギリギリの連中がいるのは仕方ないと思うのですが…。あらゆる法よりも先に神を信じる民には、それはありえない話題で、どのように法を変えても、絶滅させようとすることが、正義なんでしょうね。

その基本である、神に変わる新しい考え方の中心点が、当時の日本には、もたらされていました。
それは、科学的な世界観です。社会や人は、客観的に測ることができる…というもので、足りないところは、「人らしさ/人間性」というあいまいな言葉になっていきました。ですから、経済的発達など、客観的指標が最重要となります。現代でも、お金持ちかどうかなんて、大切な評価基準の一つですよね。

もしも、時代が違い、そうした代替できる考え方が日本社会で存在しておらず、宗教的な考え方が一貫していたならば、ひっょとすると、日本は今のイラクのような状態を続けて、手に負えない状態になっていたかもしれません。なぜならば、欧米による占領は、異宗教による、宗教的/文化的侵略でもありるからです。人の基本にかかわる話題ですから、それを犯されれば、占領軍と命を懸けて戦うことも、おかしくはないからです。それが、宗教であり、世界観というものです。

日本の戦後処理がうまくいった背景は天皇制であったという意見もありますが、それは表面的なものであり、次に説明する科学的な世界観の普及が、本質的な戦後処理の成功の背景ではないかと思います。

天皇制よりも意味があるという説明は簡単です。
現代日本では、天皇という言葉に、神聖なものが無いという事実があるからです。
私たち現代日本人の心の拠り所が天皇である…朝に夕に天皇に感謝し、天皇のことばかり思う人…という人は、きっと、すくないでしょう…(^^;
価値観の中心に、天皇はありません。

■理由3 科学的世界観の普及

敗戦の時、日本はドイツに落とされた爆弾の1/8に過ぎない爆撃だけで、焦土と化していました。当時の日本の軍事力には、ドイツのように徹底的に戦う力はなく、後述するように、戦争らしい戦争を展開する力はなかったからです。人々は、飢え、多くを失っていました。人としてのプライトも失っていのだと思います。

そんな軍部は、兵器と比較的訓練された軍人を温存して、本土決戦に備えていました。爆撃され蹂躙される日本の都市を見かねて迎撃に出撃した戦闘機隊があったときに、帰還したその人々を守るために天皇から「良くやってくれた」と言葉があり、軍事上層部からの懲罰を防いだという逸話があります。

まあ、この時代の軍部等の葉、馬鹿なだけではなく、恥ずかしい限りで、戦後、日本の兵士は勇敢であったが、日本の指揮官は無能であった、といわれるだけのことはあります。

人々は、戦時中から、闇市で食べ物を入手して、やっと暮らしていました。闇市を嫌い、配給だけで暮らそうとした人々で餓死した人は少なくなかったそうです…私の祖母の話ですが…。

戦前から戦中にかけての話題ですが、私の祖父は宮内庁嘱託の画家であったのですが、闇市の米の値段を知らなかったため、宮内庁の人たちから驚かれたのだそうです。今は亡き私の祖母の自慢話で、そうした時代にも、祖父に生活の心配をかけたことがなったのだという意味なのですが…。

敗戦後、占領軍(当時は進駐軍とよんでいました)が来て、マッカーサー元帥についての祖母の話は印象的です。それは、日本の食糧事情を解決するために行ったマッカーサーの努力についてであり、天皇の人間宣言よりも印象的だったそうです。

マッカーサーは占領後の日本の現状を知り(逸話がいろいろと残されています)、アメリカから多くの空母や輸送船を使用して、日本に膨大な食料を支援したのです。アメリカ議会だってそうした要請には驚きました…どっちが戦争に勝ったのかという感じですから…。政治学的に見れば、世界は冷戦の時代…日本が共産化するのを防ぐためですが、実際に生活していた祖母の感覚は自然だったと思います。

配給で渡されるさまざまな缶詰や食料…蔓延していたダニに対する対策…そうした生活の根本に対する支援や、財閥や大農家による実効支配の構造の解決…そして、生活の好転…当時の日本は、中華事変以来十数年にわたる国家総動員の戦時体制の果てに疲弊していのですから、すばらしい変化だったでしょう。

今では忘れられていますが、当時に学校給食がスタートしました。当時、子供を学校に送ることができる家庭はほとんどなく、食べるものも事欠いた欠食児童で日本はいっぱいでした。この問題に対しての解決策が給食でした。まあ、パン食の普及を狙ったという点もありますし、アメリカでは当時家畜の餌であった脱脂粉乳も飲みましたが、なにも食べないよりは、遥かにすばらしい事です。

祖母は、素直にこう話していました。「日本は戦争に負けたら皆殺しになると言われていたけど、戦争に負けて助けられたの。あんなに豊かな国と戦争して勝てるわけがないとだれもが思ったわよ」

boeing B29 Superfortress/超空の要塞

開発は、太平洋戦争前にスタートしていました。もともとは、ドイツとの戦いのために開発されていました。ターボチャージャーと与圧室により、10000m以上の航空を500Km/h以上の速度で航行できました。日本の戦闘機は、その高度に飛行してまともに活動することは出来ず、高射砲もその高度に届くものは皆無…迎撃が不能でした。

norden Bomb Sight/ノルデン爆撃照準器

アメリカで長い期間かけて完成された、アナログコンピューターのような爆撃照準器です。アメリカの秘密兵器とも言われていましてた。ただ、高度と速度についての限界があり、ジェット気流のため対地相対時速が750Km以上になってしまうと、命中させることが出来ませんでした。そのため、B29は10000mの高空から爆撃することが、日本上空では極めて困難でした。余談ですが、日本軍はノルデン爆撃標準器よりも、レーダー爆撃のほうに驚いたようです。とは言え、撃墜したB25から取得した装置を真似して、四式照準器を日本軍も作りました。当時の日本軍の兵器は、真似、真似、真似です…(^^;

硫黄島からの手紙

多大な被害を出して占領した硫黄島ですが、延べ1万機以上のB29が硫黄島に不時着できているので、戦略的にはその犠牲に見合う結果が得られたと考えられています。

ここでは話題にしませんが、第二次世界大戦の基本原理は、ドイツのナチズムや日本の民族主義を見ればわかるように、民族主義的対立の構図が強くあり、そうした下では、敗北は民族の滅亡と考えるのが自然です。ヒトラーも、ドイツがソビエトに(ヒトラーがスターリンに)破れるならば、ドイツ民族には生存権はないのだ…と考えていましたし、日本でも似たような発想があったことは否めません。

実は、祖母は敗戦の2年前くらいに(実際に配備されたタイミングですね)、祖父からこう聞かされていたそうです。「宮内庁で聞いたのだが、アメリカではB29という爆撃機が完成したそうだ。これで日本はもう、どうしようもない。戦争に勝ち目はないそうだ。」

B29の完成は、外電で世界に伝えられていましたが、普通の日本人は知る由もなかったのでしょうか。

B29は、日本を焦土にした爆撃機として有名ですが、なぜ、日本はどうしようもなかったのでしょうか。それは、B29が高度10000m以上を飛行して爆撃できる爆撃機だったからです。当時の日本のエンジン技術や航空機技術は、戦前に欧米から導入された技術の水準に過ぎず、高度10000mでまともに動作する飛行機用エンジンが開発できませんでした。それどころか、性能もまったく追いつかず、戦場でまともな戦争になど、なっていなかったのです。高高度を迎撃する高射砲も実験的にしか作れず、レーダーとの連権射撃もままならず…お手上げでした。

もっとも、実際には、日本の高度10000mには、ジェット気流が存在していて…こりゃ、本当に神風ですね…画期的なノルデン爆撃照準機を搭載したB29の高高度からの爆撃は、ちっとも当たらず効果を出すことができませんでした。結局は高度3000mからの飽和爆撃(地上全土を完全に破壊するだけ爆弾を落とすことです)と焦土爆撃に方針は変更されたのですが…。

B29の航続距離はかなり長いので、サイパンを基地として日本全土に爆撃を行うことが可能でした。

初めて日本上空に来た偵察機f13(B29の偵察機版)ほ迎撃するため、日本軍は300機以上の戦闘機を発進させますが、超高空のため、その高度にたどり着くことも出来ませんでした。

はじめてB29が襲来していらい、国民の前で醜態をさらした日本陸軍/海軍の航空隊は(日本は防衛のために陸軍/海軍が統一した戦闘を実現することを最後まで出来ませんでした…それで本土決戦も無いものですね)、それを目撃していた国民の批判の中で、体当たり攻撃までするようになります。そのため、B29にある程度の被害は出ていますが、結局はたいした被害ではありませんでした。

余談ですが、神風と体当たりは、ちょっと違います。体当たりは、必ず死ぬというものではありませんでした。もっとも、パラシュートで脱出しても、この時代になると、ほとんどの場合でアメリカ人は脱出したパイロットを銃撃して皆殺しにしていましたけど…。日本人も、撃墜した機から脱出したパイロットのパラシュートを機の翼で引きちぎったり、地上にたどり着いたパイロットを民衆が撲殺したりしていました。お互い様でね。

迎撃のしようが無いために、B29の基地であるサイパンに、硫黄島から出撃して爆撃/特攻も行われました。
もっとも、機動部隊も壊滅し、また、本土決戦という陸軍の方針のため、攻撃隊は小規模に留まり、そう大きな成果は得られていません。

詳しくは、後述の決号作戦の項をご覧ください

アメリカ軍の攻撃方針が変更され、高高度からの爆撃だけではない方針となってからは、日本の迎撃を受け易い可能性が高いため、B29だけでの爆撃ではなく、戦闘機を護衛につけた(戦爆連合といいます)状態にする必要がありました。戦闘機はB29ほどの航続距離をもっていないため、硫黄島を基地にする必要がありました。また、傷ついたB29の緊急避難のためにも、サイパンよりも日本に近い硫黄島は必要でした。

2006/11に公開になった、クリントイーストウッドの「父たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」で、なぜ硫黄島があれほど戦場になったのかの背景…これは、ここで説明したB29の爆撃のための基地の獲得を目指したアメリカ軍と、それを阻止しようと必敗の中で戦い続けた日本軍があったからです。

所詮は輸入技術の延長のような当時の日本の戦闘機では、新しい技術を投入されているアメリカの戦闘機に対抗することは困難でした。戦爆連合(戦闘機と爆撃機が一緒に行動すること)が日本に来るようになれば、日本はさらなる火の海になることがわかっていたのです。ですから、日本軍は、必死の抵抗として、精鋭師団を送り、しかし、陸軍の本土決戦の方針のため(海軍は沖縄決戦の方針でした…どこまでも阿呆な日本軍…決戦とか行って何回も繰り返しているだけですし…(^^;)、援軍を派遣することはなく…精鋭師団は死を前提に戦ったのです…万歳突撃ではなく、可能な限り戦いを続けました…この戦いは、ヨーロッパにおける戦いに似ている点があります。

このような時代であったため、戦争が終わってから、多くの人々は思いました。

なぜ、戦争に負けたのか…

ある人たちは、科学技術の差として理解し、会社を興していました。また、戦中に開発した技術を売り物にするためにも…(SONYなんかは、そうした創業の経緯です)

政治的な観点では、民主主義の導入とか、旧来の価値体系の破壊があった…とか、物質信仰に走った…なんて簡単に説明する資料が多いですが、実際には、当時の日本の人々は、合理的な世界観を積極的に受け入れて行ったと理解すべき時代です。戦争は、科学的合理主義にに敗れたわけであり、そして、戦後は、それに生活を救われていたのです。

もっとも、この時代の人は、物質信仰とか拝金主義の亡者みたいな人も少なくないので、忌み嫌う見方も、そんな外れていない気もしますけど…。

日本人は、天皇制のために手を加えられた神道や仏教などか知られる神を中心に据える生き方を捨て、科学的な合理性を中心に据える生き方を選びました。選ばされた点も少なくないですが、人々は拒否していません…そのための戦いも起きていはいないのではないでしょうか。これは、表面的には、アメリカ的な生き方と思われているものです…でも、キリスト教に帰依しないで、アメリカ的も無いものです…(^^;

科学の時代の狂気…

Adolf Hitler(1889-1945)
知らない人はいない、独裁者…合法的に独裁者になったわけで、当時のドイツ人たちの圧倒的な支持があったのですが…。その主張であるナチズムとして知られているドイツ民族主義の主張のひとつひとつは、目新しいものではなく、当時のいろいろな節の寄せ集めでした。ドイツ民族が「汚染」されることは、当時アメリカで生まれた優生学に裏打ちされていました。

Иосиф Сталин(1872-1953)
Adolf Hitlerに並ぶ同時代の独裁者。大粛清が有名ですが、膨大な餓死者などを積算した結果か、昔のギネスブックではヒトラーを抑えて、虐殺者のトップでした。

実は、第二次世界大戦の前後の時代は、世界的に科学的世界観が宗教的世界観を圧倒しつつあった時代でした。

言い換えると、宗教ではなく、科学が、恐るべき狂気を支えつつある時代でもあったのです。

たとえば、いわゆるナチズム…ナチス・ドイツが基本としていた思想…それは、アーリア人の他の民族に対する優越性に対する確信というか、信仰そのものです…つまり、アーリア人中心の民族主義です。その基本的な考え方には、なんとアメリカで生まれた優生学に端を発する「優秀な血統」という概念も組み込まれています。

アーリア人とは、インド・ヨーロッパ語族のルーツと当時の科学の成果で考えられた民族で、他の民族を圧倒した優秀な血統と、ヒトラーとドイツの人々は信じていました。

ですから、優生学上、劣等な血筋を「混血」させることで、汚染され、純粋なアーリア人は滅んでしまうという考えになります。

そして、ソビエトの制圧を目指したナチスドイツのバルバロッサ作戦が失敗し、ドイツ陸軍の精鋭部隊がスターリングラードで壊滅してしまうころ、つまり、ドイツがとてもソビエトとの戦争に勝てそうもないことが見えてきたときに、ヒトラーは劣等民族であるユダヤ民族の根絶を指示します…組織的なユダヤ民族虐殺…ジェノザイド(ジェノザイドとはユダヤ民族虐殺から使用できる用語と定義されています)です。ヒトラーの研究家によっては、ここにヒトラーの意思を見出す人がいます。

つまり、彼は本心から、アーリア民族/ドイツ民族のためになにかを成そうと信じており、敗戦したとしても、民族にあだなす汚れた血の抹殺を図ろうとした…ということです。もっとも、ヒトラーは、ソビエトというかスターリンとの戦いは、ドイツ民族が滅ぼすか滅ぼされるかであるとも言っていましたが…ヒトラーという人物にとって、自分とドイツ民族は同一なので、そうした世界観になるのでしょうけど…ヒトラーは、オーストリア生まれのなんですけど…(^^;

ここに見出される、民族という概念や、優生学の概念は、すべて当時の科学的世界観からもたらされたものであり、宗教的世界観にあるものではありません。今から見れば馬鹿馬鹿しい議論ですが、実のところ、この時代のひとつの先端思想でした。

もっとも、優生学の発祥の地アメリカでは、今でも「優秀なDNA」なんて概念が良く出てきます。そんな話題は、優生学の現代版みたいなものですね。

優生学そのものは、別に間違ってるわけではないのですが、優生学に「優秀」とか「劣等」という価値の概念が組み合わされると、それはもう、狂気そのものとなります。元来、科学とは、客観的な物事を取り扱うものてあり、「優劣」のような主観的概念をもつことはできないのです。そこを誤ることにより、科学は、単なる狂気に成り下がってしまいます。

こうした科学に端を発する狂気の例は、民族主義や優生学だけではありません。この時代の共産主義だって、科学的とか自称していました。

今のギネスブックには載っていませんが、世界で最悪の虐殺を行った指導者の順位が昔は掲載されていました。驚くべきことに、第一位は、ヒトラーではありません。ソビエトの指導者であった、スターリンです。第二位はヒトラー、第三位は中国共産党の毛沢東、第四位が日本の東條英樹でした。

一位と三位が、社会主義/共産主義国家であることに、不思議はありません。政治的に見る人は、このような過去の共産主義国家を、独裁者の国と思うかもしれません。でも、別な見方があります。共産主義という、当時としては科学的な世界観を中心として、宗教を抑圧した国です。そして、神の代わりに、共産主義/社会主義を配置し、その結果として、国家の指導者が現人神の代わりとしてなりおおせた国です。

つまり、科学的という名のものに、人が至高の存在として独裁を実現した、国家です。

虐殺の原理…それは簡単です…人の命よりも大切なものが、それを命じること…ただ、それだけです。
科学的な世界観は、神よりも無慈悲に、人を殺す結論を出せます…科学には、感情的/主観的世界観が存在していないからです。

万人に生きる権利を見出す人権の根拠である「神」よりも、得体の知れない科学や思想を中心にすることは、ある意味では恐ろしい世界観です。

日本でも、似たような話題があります。

つい最近までライ病患者を隔離する法律が続いていました…法が作られた明治時代には、隔離がもっとも「適切」であったからです。法そのものの見直しが遅れたのが本質的な問題ですが、視点を変えれば、その法を作った時代に「将来に治療が可能になった時点でこの法は効力を失う」という一文が入らなかったのはなぜか…簡単で、隔離こそ、科学的真理だと信じていたためでしょう。どのような処置にも期限が必要なことは、昔も今もわかっていはずですから…。

現代でこそ、科学の成した悲惨な現実の多くを私たちは知っています。破壊された環境、大災害、信じられないほど危険なテロの結果…科学によりどれほど豊かになっても、その危険の大きさは忘れられるものではありません。

科学とは、私たちのひとつの道具なのですが、それは現代だから言えることであり、戦争が終わった当時の日本には…いや、世界には、まだわからないことでした。

私たち日本人は、旧来の宗教の系譜を捨て、当時主流であった科学的な世界観を、世界観の中心に据えたといえるでしょう。もちろん、表向きは違います。日本人の美徳は、神に基づくような裏打ちの無い、社会に伝統的に共有されている良識やモラルと、誤解していきました。実のところ、根拠も無ければ共有もされていない概念ですので、うつろな概念です。ですから、全く異なる発想の人がいると、大混乱になります。近年によく話題になる、いわゆるモラルの無い事件とは、成文化も出来ていない、根拠の不明確な議論である場合がすくなくありません。

いわゆる、ベビーブーマー、今の60代の人たちは、日本でもアメリカでも、情緒的で自分本位な行動をする傾向があることが分析されていますが、そうした人たちの基本は、それなりに合理的なものがあります。単純な発想と、価値観が連動している人たちなので、お金は多いほうが良い、会社や組織は多いほうが良いなど、シンプルです。

このシンプルさは、目で見える客観的なものに基準を置くこと…つまり、科学的であることに端を発しています。実のところ、科学は科学であり、価値観とは関係ないものなのですが、それを理解することは、この世代の人たちにはちょっと難しいようです。ですから、行き過ぎてしまい、バブル経済を引き起こしたり、公害社会を作ってしまったりという、大ポカをやります。神を信じている方が、まだ良いくらいかもしれません。

私たち日本人は、神を知識でしか知らず、宗教を儀式としか理解していません。

しかし、だからこそ、国土は、合理的に復興しました。
そして、社会も、家庭のあり方も、戦前とはまったく異なった姿となっていきました。

神社は荒廃し、寺院は、墓守となって行きました。

廃墟の中で、旧来の慣習を科学的な視点で合理的に解決し、しかも、社会体制といったら十数年続いた国家総動員体制に近い状態で復興したのですから、奇跡的な「経済的」復興は、当然であったといえるでしょう。

ただ、このような単純な合理性では、人の価値観すべてを説明しきれるものではありません。
そこで、もうひとつの補完的な価値観…命の重さ…も、登場しました。

命の価値が最大となりやすい日本の精神文化

すでに説明しましたが、日本では戦前から、神道も仏教も国家による統制下、利用されていました。これは、日本文化の特徴的な点の一つで、宗教が社会的生活の中心となっていた時代は、他の国に比べるとかなり短い可能性があります。

平安時代は、宗教というよりも呪術ですが、毎日の生活は、現在の私たちには理解不能に近い、呪術的な話題と慣習に満ちていて、明らかに、人の世界観はそこに集中していました。この時代は、飢饉が発生し、疫病が発生しては、大規模な祈祷をして、大仏を建立していたのですから…。

世界最古の文学といわれる、「源氏物語」に出てくる、さまざまな生霊や式神の話題など、別に紫式部の素敵な思い付きではなく、当時の人々の常識なのでした。

時代が進み、戦国時代になると、だいぶ様相は異なってきます。
ルイス・フロイスの記録によると、

「現世の利益を神々に求め、魂の救済を仏に求める」
「仏教は11の宗派に別れ互いに批判しあっている」

とあります。そうした中で、人々が宗教に対して、相対的な感覚になるのは当然で、これをもって多神教というなら多神教なのでしょうが、人と神の間が相対的に近くなるのも当然です。

織田信長の比叡山焼きや本願寺攻めも、お下劣になった僧侶や僧兵、政治的な邪魔という理由だけではなく、神や仏の神聖さを理解する気のない信長という時代の寵児だからこそ、そして多くの人々にとっても、それほどには神や仏が重要でなくなってきていたからこそ、起きてしかるべきことであったでしょう。本当の信仰があれば、そんなとんでもないことは、成せない事であるからです。

こうした文化の中では、最大の価値を、神や仏に置き切れるものではありませ。
最大の価値とは人の命である…と思うことは、自然なことです。個人の最も大切なものですから…。

自身の命を差し出すことで、代償とする、詫びとする文化が生まれることは、自然です。もしも、至高の価値が神にあれば、命を差し出すことよりも大切な形があるので、人の命との優先順位が必然的に変わります。

そうした視点で考えてみると、戦国時代は、出家することで命を奪われることを避けることができる場合もありましたので、宗教的な世界観と、それと相対的な、命中心の世界観は拮抗していたか、宗教的な世界観が強かった点もあるかもしれません。

いずれにしても、世界に有名な「ハラキリ」という文化は、そうした考え方、命が至高であるという考え方の現れであると理解することができます。
つまり、もっとも大切なものを差し出すことにより、究極の「手段」を示すのです。

責任を取って「ハラキリ」すれば、次はない…追求は終わる…ということです。

日本以外の国では、だいたいからして、人の命が至高とも思っていませんので、「ハラキリ」してお詫びしても、「ほー、そうかい」程度のことであり、さらに追及されてしまいます。

神道や仏教には、人の命について、さらに別な理論的説明が加わります。

神道であれば、命を差し出し、神の世界に加わります…神の概念は、明治維新以降は1つの系統にあることになっていますので、不可分な全体のひとつになります。

仏教であれば、宗派によりますが、そもそも、「あらゆるものの本性こそ仏性なり」ですから、やはり、本来の世界になるわけです。

このように、日本古来から発達してきた宗教の世界観は、人の命の価値が至高であるという考えと実のところは一致しているので、自然な発想でもあります。

江戸時代から明治時代まで、橋の工事で「人柱」を立てた記録が、日本各地に多くありますが、そうした背景は、呪術的なものという以外に、人の命の価値が至高であるという感覚から、それを利用した工事を妨げるものとの「契約」という概念を感じることができます。

現代でも、この感覚は変わらないと思います。

いじめで自殺者を出した学校の校長や教師が、学校では「命の大切さ」を説いて、自分は自殺したりします。なんでそんな矛盾しているのか…「苦しさからの逃避」と理解するべき点もあるでしょうが、一番大切なものを差し出すことによる「お詫び」という見方もあります。そして、そう納得するあなたは、やはり、日本人だと思います。日本の文化圏以外では、そう理解してもらえる可能性は、少ないと思いますので…。

命を、道具や手段にしてしまう、日本人

比較的最近の神や仏という概念は、呪術の時代の神々(本当は、多神教の神々ってのは、こうした神々です)と大きく異なります。
それは、神や仏は人の制御を受けないという点です。

天照大神と天岩戸

日本の神々は、伝承のはじまりが古い時代のものが多いので、調べてみると、多分に呪術的です。ですから、日本の神々は、なんらかの方法で、機嫌を直したり、言うことを聴いてくれたりします。

たとえば、日本神話では、天岩戸に隠れてしまった天照大神は、天宇受売神の踊り見たさに天岩戸を明けてしまいます。日本にあるいろいろな神社の縁起を見ても、人間的なんですね。

こうした神の有り方は、この視点で見れば、ギリシャ/ローマの神々だって同じですし、マヤや他の地域でも似たような世界観があり、神は人間的ですし、人と交渉もします。

言い換えると、人は、神とある程度は近い位置にあります。

しかし、ユダヤ/キリスト/イスラム教は、違います。
人の働きかけで、これらの神が言うことを聞く可能性はなく、人は、神の意思/求めるみのの反映となります。つまり、神は、人の上位に位置しているのであり、命よりも至高の位置にあります。

ですから、ユダヤ/キリスト/イスラム教の下では、神の意思にかかわらず、勝手に命をもてあそぶこと…自殺…は、本質的な犯罪です。

でも、神の求めるためであれば、喜んで命を差し出せるものとなります。

イスラム世界で、神にあだなすアメリカや、誤った神に集う輩を「自爆攻撃」で戦うのは、当然です。至高の意思がそこにあるのであり、自身の命が使われることはある意味の喜びであっても、本質的な苦しみであるはずはありません。

いずれにしても、このような背景があるため、宗教的な世界観が強い社会では、神を中心とした倫理感で犯罪となる自殺の発生率は極めて少ない傾向があります。逆に、神を信じない社会では、自殺の発生率は高くなります。いい例が中国で、神を信じない人々が大半ですが、年間の自殺者もずば抜けて高い比率で発生しています。

仏は、一神教の神とは違い、人を支配しませんが、万物に仏性があるという世界観は、世界を不可分に理解しやすくなる傾向があります。特に、幼稚な人物がそうした概念を持つと、仏と自分を同一視しやすくなる傾向の原因となり、その結果として自意識肥大になったりして、「ポアすることは、誤った人生から救うこと」とか、やらかすことといったら、ヒトラーとかと変わらなくなる場合だってあります。

基本的に、仏教では、悟れば「仏」です。とは言え、ほとんど大部分の人は、まだ悟っていないのですから、自称悟っている人たちの下で修行するので、その影響下に入りやすくなります。ですから人の思いのままになってしまうので、自分の思い通りにならないという点では、ちょっとだけ一神教に似ているかもしれません。もっとも、悟ったと自称する人たちの恣意的な環境にあるので、もっと具合が悪いかもしれません。

すでに説明したように、神、仏という世界観のほかに、命の価値を信じる私たちは、私たちの意志で取り扱うことのできる、しかし、至高のものがあることを信じています。

それは、命です。

責任を取って、「ハラキリ」をする…命を賭するという言葉の意味を知る日本人として、書きにくいのですが「命を道具として使用する」ということは、否定しようがありません。

至高の価値を持つ「命」という概念は、私たちに、命を利用したなんらかの手段が至高である…という概念をもたらす原因ではないのかと、思うのです。

自殺攻撃を、はじめから手段化した旧日本軍

第二次世界大戦の時代を取り扱ったテレビ番組を見ていて、あーあ、と思う番組がいくつかあります。それは、特攻兵器や、特攻隊の話題です。

番組を見ていると、神風特攻隊とか、人間魚雷 回天とか、ドラマ付きでいろいろな番組があります。結構感動的なときもありますので、よくできているなと思いますが、それは、お話としてであり、いくつか大切な話題が、そのドラマから飛んでいて、含まれていないと思います。

神風特攻隊の合理性

第二次世界大戦で、日本軍が行った特攻攻撃は、日本軍に特有に近いものでしたが、視点を変えると、実はそれなりに合理的でもありました。実は、神風特攻隊ぐらいしか有効な戦い方がなかったのです。日本軍の装備では、まともに戦えるものではなかったのです。

特攻に合理性などと書くと、怒る人もいるのですが、あえて書く必要があると思うので、書かせてもらいます。

もともとは、この点は私が自分で気付いた話題ではなく、飲んでいるときに、自衛隊の人から「神風特攻隊というのは三千余人の犠牲者があったが、ヨーロッパの戦いと比較して考えると相当少なくて、合理的なんだよね」という話題から、なるほどと思ったことがきっかけです。

日本での戦争時代のイメージは、戦後の戦記ものの漫画とか、旧軍人の書いた手記の影響からか、傑作機零式艦上戦闘機や優秀な海軍が緒戦で活躍したが、物量に押されて敗退して、敗戦に至った…なんてイメージがあるように思います。

これは、とんでもない間違いです。

プリンス・オブ・ウェールズ

太平洋戦争初期に、アジアの海で日本軍の航空攻撃で撃沈されたイギリスの最新戦艦。当時のイギリス首相であるチャーチルに、「大戦中で最も失望した知らせ」と言わしめ、戦後にオリンピックイギリス大会への参加を打診した際に「イギリスはプリンス・オブ・ウェールズを忘れない」と回答し参加拒否したという、話題が付いてまわりました。

マリアナの七面鳥撃ち

日本軍は、アウトレンジ戦法と自称する航空機の航続距離を利用した攻撃に賭けたが、アメリカ軍は日本軍が空中待機する状態からをレーダーで捕捉して、戦闘機集団で適切に迎撃…飛行機の性能の差もあるが、飛んで火に入るナンとやらで、日本軍攻撃隊は壊滅…マリアナ沖海戦/Battle os Phillipin Seaで日本の機動部隊も壊滅しました。このときの有様は、マリアナの七面鳥撃ち/Great MariANAs Turkey Shootと後日に呼ばれました。
パイロットの練度不足とか敗戦理由を説明する場合もありますが、アメリカからすると、日本のアウトレンジ戦法は単なる奇襲攻撃に過ぎず、対策されてしまえば通じるはずはないのでした。兵器、人、運用…すべてで劣った結果というのが真実ではないかと思います。

マリアナ沖海戦は、日本の「あ号作戦」の一環で、アメリカの機動部隊の壊滅を狙ったものですが、壊滅したのは日本の機動部隊でした。そして、フィリピン決戦を目指して、捷一号作戦を計画…それに敗れたら、海軍は沖縄決戦を前提にした天号作戦、陸軍は本土決戦を全体に決号作戦を立案…統一して運用することも出来ず、どこまでも阿呆な軍でした。

グラマンF6F
ゼロ戦に対抗して、
1942年から開発開始、1943年に正式採用
以後、日本の戦闘機は対抗できない状態となる

三菱 A7M2 試製艦上戦闘機「烈風」
1942年から開発開始、終戦まで試作の域を脱せなかった
原因は、エンジンやプロペラなどの基礎技術がお話にならなかったため…

VT信管/Mark 53 Vitual Time Fuze

当時の日本軍には想像することすらできなかった兵器
1つ1つの砲弾に、真空管を使用した近接信管を組み込むことで、対空砲火の命中率は20倍に向上しました。

確かに、旧日本軍の軍備は、開戦当初は世界の列強に伍する点もありました。今でいうならば、湾岸戦争の前のイラク陸軍の話題みたいなものです。

ですから、まあ、優勢に戦っていた時点というのは間違いなくあったのですが、そんなに長くは続きませんでした。だって、ハワイ奇襲(1941年12月8日/日本時間)から、ミッドウェー海戦の敗戦(1942年6月5日〜8日)まで、わずか半年ちょっとくらいです(太平洋戦争は4年続きました…日本は、全体の1/8の期間だけ優勢だったのでした)

ミッドウェー海戦は、山本五十六の構想にあった短期決戦構想の一環でしたが、圧倒的戦力を運用しながらこれに大敗、正規空母4隻を含む5隻が沈没、2隻が大破、1隻が中破…ベテラン搭乗員100名を含む3000名余が戦死しました。この時点ですら、装備の差はあり、日本軍の空母はレーダーを装備していなかったため、しかも、作戦計画も事前に知られており、アメリカ軍の攻撃を受けて、大規模な損害を出したのでした。

余談ですが、山本五十六の短期決戦構想と、ヒトラーのバルバロッサ作戦の短期成功の確信というのは、ある意味では、己の力の限界を知っているというか、話題としては、外観的に似ているというか…(^^;

ミッドウェー海戦での敗北で、日本海軍にあった短期決戦論はなくなり、ずるずると戦争を続けることになったのでした。

負けた決戦 その1…あ号作戦

アメリカ軍も、はじめはガタガタでしたので、一進一退を続ける期間が続きました。

そして、行われたのが、日本海軍が総力をかけた「あ号作戦」、決戦として挑んだ、マリアナ沖海戦(1944年6月19〜20日)です。

実は、「あ号作戦」は、それに先立つ1944年4月31日に発生した海軍乙事件(連合艦隊司令長官古賀の乗機と、参謀の搭乗していた二式大艇が台風のため遭難、古賀長官は死亡し、参謀たちは、あ号作戦を記した資料や暗号表をゲリラに奪われるとい事件・参謀たちはしらを切り、栄転しました)のために、計画の多くが漏洩していたのでした。

なにしろ、基本戦略であるアウトレンジ戦法、基地防衛航空部隊の動員などから、タウイタウイ島での連合艦隊の訓練まで書いてあったのです。結局、米潜水艦隊により、タウイタウイ島での訓練すら、連合艦隊はできませんでした。

日本海軍は、残る機動部隊と総空軍兵力500機余をあげてアメリカ機動部隊を強襲、そして2/3以上を撃墜されます。これは、アメリカでは、「マリアナの七面鳥打ち」といわれる大空中戦で、アメリカの機動部隊直衛戦闘機隊により、ゼロ戦を含むほとんどの戦闘機/攻撃機が叩き落されたのでした。

理由は、日本の分析ではベテランの欠如…しかし、本当の理由は、計画の漏洩もありますが、本質的には、もはや日本の兵器では対抗できない水準に、アメリカの兵器が進歩していたのです。

日本軍のとった戦術は、当時の日本海軍自画自賛の「アウトレンジ戦法」…日本軍機の、脆弱な防御性能と引き換えに得た航続距離を利用して、アメリカ軍機の到達距離外から攻撃して、アメリカの機動部隊の壊滅を狙ったのでした。これに対して、アメリカ軍は、日本軍が全力攻撃のために空母上空に待機しているときから、レーダーでこれを監視、戦闘機軍で日本の攻撃部隊を400機を超える戦闘機隊で待ち伏せして迎撃、これを壊滅させました。新戦略として、250K爆弾まで搭載してしまったゼロ戦による護衛機隊も、壊滅しました。もともと性能も及ばないところに、性能を劣化させる重たいものの搭載…しかも、訓練も不足…まあ、万を期して待ち構えられたら、如何ともしがたいです。

実は、この戦いの段階では、日本海軍ではゼロ戦の後継である「重戦闘機 烈風」の開発に失敗しています。アメリカ軍の主力戦闘機となったグラマンf6fは、日本軍のいうところの重戦闘機であり、ゼロ戦が対抗することなど、とてもできないのでした。そうなる事実が理解できているからこそ、日本軍も重戦闘機の開発をしようとしていたのでした。

しかも、アメリカ軍の迎撃に使用される対空砲には命中率が20倍に向上したVT信管が使用されています。重厚な迎撃機群を超えても、日本の攻撃隊に道はありませんでした。

この後、捷一号作戦の時に誕生する神風特攻隊は、自発的に発生したということになっていますが、日本の兵器では対抗できない現実を、「物量」という言葉に代えてごまかしていた現実を、軍の多くの人たちは、実際には理解していたのではないか…という気がして、なりません。

日本の兵器で闘うことができなくても、戦争は継続している時、兵士は、どのように考えるのか自然でしょうか?

ひとつは、敵前逃亡や投降です。対抗できない以上、ある意味で、合理的です。現実に、湾岸戦争や、イラク戦争ではそうしたシーンは多くあったようです。ただ、太平洋戦争は海での戦いですので、そうした選択肢は難しいですね。

もうひとつ別な考えは、兵器で足りないものを、大切なもので補うという方法です。すでにご説明したように、わしたち日本人が思う大切なものに、命があります。これを賭して戦えば…。

大切な人を守り、国を守るための最後の手段…神風特攻隊の誕生です。

劣悪な兵器を自らの命で補い、戦う…私たち日本人の最後の手段…

心情的には、大きなものに感じます。特攻隊の歴史には、三千余人の尊い思いがあります…でも、ちょっと待ってください。日本の戦死者は三百万人…ゼロ戦の損失機数だけですら18000機です。その中での特攻の比率は、大きなものではありません。

特攻攻撃は最後の手段というのは、心情ですが、実は、合理的な被害の中で戦う「手段」であったという側面を否定できるものではありません。その事実を理解するためには、第二次世界大戦の他の戦い、特にヨーロッパの空の戦いと説明したほうがよいのかもしれません。

しかし、その前に、まったく戦記物に登場しない、悲しいばかりの特攻兵器をご紹介しましょう

特攻兵器に頼った旧日本軍

99式爆雷

align="center">モンロー効果を利用しているけど、1941年のアメリカ軍のテストでは35mmの装甲を破るのがやっとで、とてもアメリカの戦車は破壊できませんでした。そのため、通常は、この爆雷を複数個、箱に詰めて使用したので、箱爆雷と呼ばれました。

当時の日本軍の攻撃法方が説明されています。
すべて、「肉弾攻撃」ですね…特攻とどれほど違うのか…

ノモンハン事件とBT-7、89式中戦車

BT-7は当時のソビエト最新鋭戦車でした。

日本軍の当時の主力戦車である89式中戦車
BT-7は軽装甲だったので、こんなものでも対抗できたみたいです。

Гео?ргий Константи?нович Жу?ков

白ロシア軍管区騎兵担当副司令官だったジューコフ師団長、後に救国の将軍となります。S.ジョフセンヌイ元帥の手助けがあり、ノモンハン事件初期の不手際で更迭されたN.フェクレンコ第57特別師団長の後任として派遣されました。

私が育ったころは、小学校や中学校の教師は、戦争で戦った世代ですので、現代の60-70代の人たちの、いわゆる、銃後の「戦争の時代の記憶」ではない、本当の戦争経験からの話をしてくれました。

中学のころの国語教師は、東南アジアの戦いをこう話していました。

「シャーマン重戦車には、日本の戦車なんか歯が立たないんだ。いくら弾を命中させても跳ね返してしまう。対戦車砲で至近から射撃してもダメ。上官からは、爆弾を抱いて飛び込めといわれたけど、そーんなことしてたまるかと思った」

私は、子供でしたから「シャーマンは中戦車でしょ」なんと思っていましたが、日本の主力戦車である97式中戦車は、アメリカのM3軽戦車よりも脆弱でしたので、日本軍の兵卒であった先生が当時に、シャーマンを重戦車と呼ぶのは、子供の私にも、不思議ではありませんでした。

このときに、「爆弾を抱いて飛び込めといわれた」というのが、実は、ずっと気になっていましたが、最近にやっと、意味がわかりました。

この爆弾とは、おそらく、いわゆる「箱爆雷」です。

その誕生の由来は、1939年にモンゴル国境で発生した、ノモンハン事件です。

ノモンハン事件は、内容的にはソビエトと日本の戦争ですが、相互に戦争としたくなかったという背景、もともと、ソビエト中央も日本の参謀本部も戦闘拡大をしないように指示していたという背景などがあり、戦争ではなく、事件とされたのでした。

(原因はソビエトの支援を受けたモンゴルの挑発に端を発しています…朝青龍みたいな性格は、モンゴルの人の特徴みたいですね)

ノモンハン事件は、太平洋戦争に先立つこと2年、満州ノモンハンで発生した、ソビエト陸軍と日本陸軍の間で発生した、本格的な戦闘で、その中には機甲部隊による大戦車線もありました。ソビエト軍の指揮官こそ、後日のドイツの攻勢からモスクワの危機を救う、ジューコフ将軍でした。当時は、政治的配慮からデビューした、騎兵出身の指揮官でした。日本軍を、ソビエトbt戦車部隊で蹂躙する作戦実行し、その時にソビエト戦車部隊の多くの戦車が燃え上がることになりました。

ノモンハン事件では、世界初の本格的な戦車戦も発生しました。日本軍は、戦車戦についての考えが低く、1日で日本の機甲部隊は壊滅的な打撃を受けました。もっとも、日本軍も善戦しており、被害はソビエト軍、日本軍ともに同規模程度でした。

日本軍の対戦車戦闘のための兵器は貧弱で、この戦いで日本軍は、火炎瓶攻撃などをしています。ソビエト軍の記録では、あまり効率的ではなかったようですが、日本軍では燃え上がるソビエト戦車を見て、有効であったと考えていたようです(ソビエトの記録では、撃破後火炎瓶で攻撃されてる者の方が多かったようです。ちなみにソビエトの戦車はガソリンエンジンでしたので、撃破されていると容易に燃え上がるのでした)。同様に、歩兵の戦闘手段として考えれたものが、爆雷を組み合わせたものです。ソビエト軍の被害は、歩兵による戦車攻撃が多かったのでした。この戦い方は、太平洋戦争でも実行され続けます。

ソビエトの分析では、歩兵が戦車に肉薄することは困難なので、日本軍が採用したような攻撃方法は、有効ではないと判定していたようです。

ノモンハン事件は、日本の大敗で、一方的に敗れたと当時から報道されていました。当初は日本ではあまり報道されていなかったのですが、ソビエトの新聞に撃破された日本の89式戦車などの写真が載り、日本でも報道されるようになりました。

実は、一方的に敗れたというのは、ちょっと事実と違っていることが、ソビエトの情報公開からわかってきました。日本の戦車部隊や歩兵部隊はかなり善戦しており、ドイツとの戦いで後のソビエト救国の英雄となったジューコフ将軍は、目の前で燃え上がる自軍の戦車群を見て「人生で最も戦慄した戦い」としてノモンハン事件を語ったといわれています(資料によっては、被害は覚悟していたとも語っています、まあ、両方とも語ったんでしょうね)

ノモンハン事件での日本軍の敗戦の本当の理由は、用兵がまったくできていないことでした。必要な兵力投入もできず、無為に日本の戦車部隊を壊滅させたのでした。

そうした、指揮官の無能を隠し、兵器の違いにしたのでした。それを報道する当時の朝日新聞なんかの論調を見ると、戦後に「軍の強制で書かされていた」なんて書いているのが、嘘だと実感する気になるほどです。

このノモンハン事件の結果、日本陸軍は、優秀な敵戦車に対抗するための兵器を研究し、作り出します。とはいえ、その内容はめちゃくちゃです。戦車戦のための対戦車兵器として開発をしたのは、肉薄戦闘用…つまり人が戦車に近づいて使用する、いわゆる特攻兵器だからです。太平洋戦争の前なのに…もう…です。人を使うことに躊躇ないだけではなく、人そのものが、武器と同じなのでした。

その中で有名なのが、「特丸型青酸ガス弾/ちや1号」、いわゆる茶瓶です。

1938年に制式化されました

当時の戦車の窓にはガラスとかありませんので、そこを狙って青酸ガス入りの瓶を窓に投げつけろ…というわけです。そんなに戦車に接近する前に、やられちゃいますけど…それはソビエトの分析通りですが…(^^;。待ち伏せして、投げつけて、逃げ回る…本当に、戦争する気なの…という戦術です。

ちや1号を使用した記録は、日本には無いということになっているみたいですが、そもそも現場でそんな記録がとられるはずもなく、よく言うよと思います。アメリカには、日本軍により毒ガス兵器が使用されたという記録があるみたいです。ただ、組織的な使用ではなかったため、アメリカ軍はガス兵器による報復はしなかったそうです。これには、ちや1号も含まれていたのではないでしょうか?

第二次世界大戦では、どの国の軍も毒ガス戦の準備をしていましたが、第一次世界大戦の悲惨な記憶から、その実行を組織だってすることはありませんでした。

ちなみにアメリカでは毒ガス戦の準備は十分に進められており、日本の防毒マスクでは防げない毒ガスが大量に用意されていました。日本軍もその事実を理解しており、アメリカでの戦いには毒ガスの使用は禁止されていたそうです。しかし、日本軍は中国では使用していました。もっとも、東京裁判ではそうした事実については、無視することになりました。アメリカが日本の毒ガス使用についての記録を欲したためです。戦争とかその後処理には、こうした話題はつきものです。

ところで、ちょっと考えてみてください。どこの軍に、戦車の性能が劣勢であったときに、それを補うために、一人で戦車一両を葬るべし…という兵器を開発する連中がいるのでしょうか…でも、それが旧日本軍であり、特記すべき点です。

このような特攻兵器の開発に走る傾向は、旧日本陸軍、旧日本海軍のいずれでも見られたことです。

開戦半年で、アメリカの攻勢に遭遇した日本海軍は、対策として、特攻兵器を多く開発しました。典型的な特攻兵器の一つが、アメリカのコード名「baka」、特攻兵器 桜花です。

桜花は、アメリカから「ワンショットライター」とあだ名されたと言われる爆撃機、一式陸攻に1機づつ搭載され、敵艦船の直前で近くで発進し、固体ロケットエンジンに点火して加速、人が操縦して1トン近い爆弾諸共突っ込み撃沈する…というための、人間爆弾です。

実際のところ、ロケットの点火時間は十数秒…それ以後は、グライダーみたいなものです。
一式陸攻も、非力な爆撃機なので、桜花を搭載すると、複葉機並みの速度に過ぎず、簡単に迎撃されました。運よく近くに行って、桜花が発進してから、一式陸攻は戻る予定でしたが、実際のところは一緒に特攻したようです。

桜花攻撃隊の成果は、駆逐艦が一隻だけ…気持ちばかりが空回りして、命と兵器を無駄にするだけでした。

でも、この命を賭して戦うという発想は、戦争中の記録に、その気持ちの尊さとは裏腹の、あきれるような話を数多く見出すことができます。

旧日本海軍 航空母艦 信濃

大和型三番艦として進水後、空母に改装されました。
潜水艦の魚雷で沈められた時、50機の桜花を搭載していたといいます。

一式陸攻に搭載された桜花

一式陸攻は日本海軍の爆撃機です。桜花を搭載すると、最大速度は400Km/hにも及ばない状態でした。これでは桜花の射程に入るまで、戦闘機に守られた敵艦船に近づくのは、至難でした。

YOKosuka MXY7 桜花

桜花のアメリカ側のコード名は、BAKAです
時速650Km/h 航続距離30Km エンジンは8秒の推進時間のロケットが3機。こんな航続距離であれば、搭載する母機も、特攻そのものであり、実際にそうした結果になりました。

Fieseler Fi 103R

1960年になってから、D-DAYに使用するために、ドイツにも志願兵のためにV-1をベースに開発した自爆兵器が試作されていたことが、報道されました。もちろん、実用化はされていません。戦果が犠牲の割に期待できないというのが、その理由でした。70人のパイロットを集めた部隊の創設を検討していたようです。この機体のテストパイロットは、女性だったそうです。
時速650Km/h 航続距離330Km 桜花と同時期に開発されています。この仕様の差に日本とドイツの技術格差を目の当たりにします。

旧日本海軍 正規空母 大鳳

飛行甲板まで装甲を施していた、不沈空母として建造された大鳳は、潜水艦の魚雷1発で、受けた被害が原因で爆沈しました。面白いのは、科学技術振興機構が、失敗百選に選んでいることでしょうか…(^^;

失敗百選では学ぶべき点として、「ミッドウェー海戦の航空母艦4隻喪失の大被害も、大鳳の喪失も、用兵者が気付かなくても技術者が気付けば避け得た問題である。用兵者の要求のみに技術者が応えるという、致命的な欠陥を暴露した。」と解説されています。まあ、欠陥兵器を作ったということですね…(^^;
そして、「大鳳の沈没の結果は、技術者の卓見と先見の明、さらに緻密さが国運を支配することを教えてくれた。」とあります。確かに、そうですね。

哀れな、大和型三番館、信濃の最後

日本人でしたら、宇宙戦艦ヤマトはよくご存じでしょうし、戦艦大和も知っている人は多いでしょう。

だいたい、宇宙戦艦ヤマトは、九州沖に沈んだ戦艦大和をカモフラージュに使い建造したという設定ですし…。

戦艦大和は、当時の日本が建造した、世界最大の戦艦です。
大和型といわれ、戦艦として、一番艦 大和、二番艦 武蔵が建造されました。計画は四番艦までありました。

あまり知られていないかもしれませんが、大和型には三番艦があります。航空母艦 信濃です。

航空母艦 信濃は、大和型三番艦として建造されようとしましたが、ミッドウェー海戦(1942年6月5〜7日)で日本海軍の正規空母4隻が沈み航空機の多くを失うという大敗を受けて、大和の防御力を生かした不沈空母となるべく設計変更を受けました。

突貫で建造された信濃は、すでに枯渇しつつあった国内資源を費やして建造され進水式を迎えますが、手馴れない人々のため、船を破損、さらに修理して、なんとか航海可能となるようになっていきました。

当時の日本では、すでに決戦思想が主流を占めていました。すでにご紹介した、あ号作戦もそうした発想の中で生まれたものです。

しかし、あ号作戦は完敗、それを受けて、決戦場所は、日本ではなくフィリピンを選んでいました…後述する捷一号作戦に基づいていました。日本の陸軍、海軍の総力を投入し、アメリカ軍との決戦を有利に展開して、終戦に導くべし…という感じでしょうか。勝っても、終戦に導く準備がある印象はないのですけど…(^^;

信濃は、そうした背景を受けて、処女航海で、フィリピンに送るための決戦兵器を、運搬していました。それは、50機の桜花と、その部隊です。

信濃をどのように操艦したらよいのかも良くわからない乗組員、隙間だらけで機能しない防水区画、防水ドアですら、閉じることもままならなかったともいわれている、日本の希望であった信濃は、決戦兵器である桜花を搭載して、最初の航海に出たのでした。

そこで、アメリカの潜水艦に発見され、魚雷攻撃を受けました。
錬度の低い乗組員は、被害の対策をとることもできず、不沈空母として期待されていた、信濃は、あっけなく沈没(1944年11月29日)します。就航後10日間で沈没、世界でもっとも短時間に沈められた軍艦といわれています。

日本海軍は、信濃の前にも、大鵬という不沈空母たるものを建造してましたが、これもアメリカ軍の潜水艦の魚雷であっけなく爆沈しています。

まあ、日本海軍の関係者の素晴らしい艦ができたという自負心と、その実態には大きな開きがありました。

アメリカ海軍の空母が、ダメージコントロールがしっかりしているため、被害を受けても簡単には沈まなかったのですが、日本の軍艦は違います。ずいぶんと簡単に沈んでいます。特に、日本の空母の脆弱性は、目に余るものがあります。ミッドウェー海戦で、あっという間に撃沈した日本の正規空母での教訓は、結局生かされずに、同じ状態がずっと続いていました。実のところ、アメリカでも、はじめは日本と同様にはちゃめちゃでしたが、被害が発生するごとにダメージコントロール技術を進歩させ、教訓を生かしていったのでした…。

様々な問題について、解決すべきことをなにもしなかったというのは、日本の兵器の話題について一般的にいえるもので、親方日の丸的な開発思想では、なにもちゃんとしたものは作れないという一例かもしれません。

ちょっと話題が外れましたが、このような特攻兵器にまつわる話題は、日本の決戦思想をたどると、そのお粗末な実態を、より、わかりやすくしてくれます。

決戦て、1回で終わりなんじゃないの?

太平洋戦争で、日本軍の作戦は、陸軍、海軍が互いに勝手なことばかりしている印象があります。日本という国が戦争をしていながら、実際には、日本陸軍と日本海軍が、勝手に戦争計画を立案、実行しているような感じです。ただでも少ない国家予算と国力を、取り崩していただけみたいな感じです。とはいえ、そんな阿呆な状態はさすがに気づくので、負けっぱなしになると、ちょっとは解決の努力はしたようです。

すでにご紹介した、「マリアナの七面鳥撃ち」で有名なマリアナ沖海戦は、日本海軍の決戦思想の発露である「あ号作戦」の結果です。結果は惨憺たるもので、熟練した要員の多くを失い、再建中であった機動部隊も大打撃を受けました。

「あ号作戦」は、日本海軍の決戦を目指した作戦でした。
全体的にみると、「あ号作戦」は、アメリカ機動部隊に大打撃を与えることと、フィリピンを防衛するための作戦の一環でもありました。

日本には油田がないので、南方油田だけが頼りでした。フィリピンが失われると、南方油田との間を遮断されるため、日本の生命線は失われることは明白でした。

とはいえ、すでにご紹介した海軍乙号事件によりすべての作戦計画はアメリカに漏えい、関係した参謀は知らぬ存ぜぬを通し、罰が与えられるどころか、栄転しています。笑い話ですが、その幹部は、栄転して、後述する台湾沖航空戦を繰り広げるT攻撃部隊の司令官となっています。T攻撃部隊の誤った戦果報告は、これから説明する捷一号作戦における様々な誤判断の原因ともなっていきます。厄病神みたいなもんですね…無能な指揮官をそのままにするのが、日本軍の伝統でした。

ちょっと余談になりましたが、「あ号作戦」が目指していたフィリピン防衛が、いわゆる「決戦」であることは、紛れもない事実でした。

近衛文麿

軍部の横やりなどで政局が難しくなると投げ出す癖があり、1945年2月14日に近衛上奏文により終戦を天皇に訴ました。その内容は、軍部の赤化、一億総玉砕の背景にあるレーニン、アメリカとの講和などでした…(^^;。もともと戦争突入を防がず投げ出した人物と見られていたためか、天皇は動かなかったのでした。逆に、憲兵隊の察知するところとなり、吉田茂をはじめとした親英米派が逮捕される日本バドリオ事件へと発展してしまいました。戦後、本人は、戦犯となるのを良しとせず、1945年12月16日に自殺しました。

「あ号作戦」の大敗後、1944年7月2日、海軍の岡田啓介は、重臣の近衛文麿にこう語ります。

「海軍の損害がどれ位か自分にも判らぬが、いろいろ総合して考えてみると、最後の決戦はもういっぺんやれるんじゃないかと思う。たとえば飛行機の教官とか練習機などを総動員すれば。一通りの戦力になると思う。それをやれば国民もあきらめる。今すぐ和平をやることはどうか」

同日の近衛文麿の日記です。

「中間的内閣が、対内政策上、即時停戦不可能と認むる時は連合艦隊を出動せしめて、最後の決戦を行わしむべし」

陸海軍は、協力して決戦の大綱「陸海軍爾後の作戦指導大綱」を立案、1944年7月24日に裁可されました。これに対応した作戦計画が、「海軍捷号作戦」です。

「捷号作戦(しょごうさくせん)」は、決戦の場所に応じて。「捷一号作戦」〜「捷四号作戦」までに分かれていました。作戦ごとに、決戦場所は、フィリピン、台湾から九州、四国/本州、北海道に分類されていました。そして、もっとも重要視されたのが、フィリピンを決戦の場とした「捷一号作戦」です。

実際には、決戦に負けても、何回も勝ち目のない決戦を繰り返すという展開になりますが、その過程で特攻がどのように組み込まれているのかを知ることで、日本人の特攻についての考え方の姿が見て取れるようになります。

捷一号作戦…フィリピン決戦…負けた決戦 その2

フィリピン決戦を前提とした作戦が捷一号作戦です。陸軍捷作戦、海軍捷作戦があります。
すでにご紹介したマリアナ沖海戦で、機動部隊と航空兵力を損耗していた日本海軍は、陸軍との共同作戦によりアメリカ機動部隊を向かい討とうとします。

その時の、海軍参謀本部の考え方は、このようなものです。

マニラ 1944年8月10日

神大佐 聯合(れんごう)艦隊作戦参謀の発言

「比島(フィリピン)を取られたら本土は南方と遮断され、戦争継続は不可能となる。
どうあっても比島を手放すわけにはいきません。
この一戦に聯合艦隊をすり潰してもあえて悔いはない。
これが聯合艦隊司令長官のご決心です。」

まあ、日本の国力では、艦隊をすりつぶしてもしても再建できるわけもないので、決戦に勝ってもそれからすぐに講和しないのであれば、意味はないのですけど…かなりの覚悟であることは、おわかりいただけるとかと思います。

この3ヶ月後に沈められてしまう、空母信濃には特攻兵器「桜花/baka」が搭載されていたことをご紹介しましたが、信濃は捷一号作戦のために、未完成に近い状態で出港したものでした。決戦であるからこそ、特攻兵器も運ばれようとしたのでした。

捷一号作戦は、初めて特攻が行われた作戦ですが、日本軍も正攻法での戦いもしようとしてはいました。その一例が、捷一号作戦の前に行われた、台湾沖航空戦(1944年10月12〜16日)でした。

日本軍は、防衛戦のために、陸軍/海軍の統合した航空部隊であるT攻撃部隊を編成していました。空軍のない日本軍としては、画期的なことでした。

役立たなかった精鋭…T攻撃部隊

4式重爆撃機 キ-67 飛龍

傑作機であったと伝えられています。日本が開発したレーダーであるH6号電探を搭載し、卓越した飛行性能…でも、重爆撃機と言いながら、搭載できる爆弾は1トン…T攻撃部隊が使用する魚雷に換算すると、1本だけです…爆弾を搭載しないと曲芸飛行ができたとか…これで本当に爆撃機なのかい…(^^;
T攻撃部隊は、自信を持った多くのベテランが参加していましたが、日本の爆撃機では、1機に1本の魚雷を積むだけ…それで成果を得るのは、至難ですよね。
ちなみに、イギリスの重爆撃機ランカスターは、爆弾の搭載量は8トンでした…(^^;

海軍空技廠 陸上爆撃機「銀河」

Bettyと連合軍からあだ名をつけられた一式陸攻の後継として開発されましたが、エンジンの選択がダメで取り扱いにくく、失敗作であったようです。とはいえ、傑作機だという主張の方が多いみたいですけど…。連合軍は、はじめ戦闘機かと思い、男性名のニックネームを付けましたが、爆撃機と分かり、女性名のニックネームに変更しました。うーん、爆撃機を戦闘機と勘違されるというほど、当時の爆撃機の水準から遠い飛行機だったんですかね?。まあ、爆弾は1000Kgまでしか積めなかったので、仕方ないかも。

T攻撃部隊は、アメリカ機動部隊を攻撃するために編成された、日本の陸海軍から選抜された精鋭部隊でした。

日本陸軍は、このために1944年に正式採用された、最新鋭の4式重爆撃機 キ-67 飛龍を投入、日本海軍もやはり最新鋭の爆撃機 銀河、防弾機能を強化した一式陸攻などを投入しました。

T攻撃部隊は、台風に乗じてアメリカ機動部隊が来襲することを想定して、陸海軍が共同訓練をしていた、エリート部隊でした(TはタイフーンのTです)

目的は、アメリカ機動部隊の壊滅です。自信たっぷりの部隊でした。

その想定通り、日本軍の陽動のためでしたが、台湾近くにまでアメリカ機動部隊がやってきて、T攻撃部隊が出撃しました。それが台湾沖航空戦です。

再建されつつあった陸海航空部隊の精鋭部隊であるT攻撃部隊は、万を期して夜間に出発…アメリカ軍のレーダーを錯乱するためのチャフなども装備していました。また、目の虹彩を開く特別な薬品なども、パイロットは使用していました。

それを迎え撃つアメリカ軍は、レーダー連動の射撃システムに、弾丸内に近接信管を搭載したものであるVT信管…T攻撃部隊は300機以上の損害を出しました。しかし、T攻撃部隊の報告は、かくかくたる大戦果でした。

撃沈 航空母艦11隻、戦艦2隻…
撃破 航空母艦8隻、戦艦2隻…

実際のアメリカ軍の被害は、重巡洋艦2隻が大破だけでした。

日本海軍は、この誤報に後日に気付きますが、それを陸軍にすら知らせることはありませんでした。

この誤報の原因は、いろいろと説明されていますが、私の感覚では、気持ちだけ急いているT攻撃部隊の精神状態にも原因があったのではないかと思っています。自信を持って攻撃し、しかし、全く通じない敵に対して、夜間に味方の上げた火柱を敵の被害と誤認するのは、人としては避けられないのではないかと思います。

余談ですが、T攻撃部隊の第二航空艦隊(陸からの出撃なのにね)の司令官は、あ号作戦の失敗を決定づけた機密漏洩のあった海軍乙号事件で中心人物である福留 繁海軍中将でした。歴史の符合というものは、不思議なものです。

この訂正されない誤報は、ひとり歩きしていき、大きな敗北の原因を作ります(とはいえ、捷一号作戦はいずれにしても成功はしなかったでしょうが…)

誤りの中のレイテ沖海戦と神風登場、そしてフィリピン決戦…

1944/10/24 シブヤン海で攻撃を受ける戦艦武蔵

1944/11/25 神風特攻を受けた護衛空母USS Interpidでの光景

台湾航空戦の戦果を信じて、レイテ方面のアメリカ軍を敗残と判断した海軍は(誤報であったことは海軍内でも一部しか知らなかったんですかね)、捷一号作戦を、レイテ島を舞台に発動、陸軍は決戦の場所として選んで準備を進めていたルソン島を、レイテ島に変更しました。そして、優勢なアメリカ軍のいる海に、輸送船で乗り出してしまうわけです。

海軍乙事件から後、日本軍はなんの情報をもとに判断していることやら…なさけない限りです

史上最大の海戦と言われたレイテ沖海戦(1944年10月23〜25日)で日本連合艦隊は大敗し、事実上壊滅しました。いくらかの軍艦が残っても、燃料を断たれてしまえば、海軍はどうしようもないからです。

日本陸軍でレイテ島に移動しようとした部隊は、アメリカ軍機動部隊艦載機群により壊滅しました。それでも50万の軍はルソン島に留まっていたのですが…。

神風特攻隊が、初めて登場したのレイテ沖海戦でした。はじめての出撃は、1944年10月27日…日本の連合艦隊が壊滅した後です。

そして、日本軍は、神風特攻を続けていきます。

台湾沖航空戦は、捷一号作戦の発動そのものを間違えさせた原因となっていました。しかし、その話題以前に、台湾沖航空戦が明らかにしている事実があります。それは、この時点で日本の最新兵器と訓練を積んだ兵士でも、アメリカ軍との戦いでは、なにも成せない状態であったことです。

ですから、レイテ沖海戦での日本軍の壊滅は、正攻法では戦えない実態を反映しているとみる見方も、あり得ると思います。

そして、より重要な点として、日本軍はレイテ沖海戦の前に、すでに特攻兵器を各種開発してたことがあります。日本軍は、特攻という選択肢の必要性を、理解していたのでした。現実の問題として、もう、戦い得ないことを知っていたのです。

率直なところ、航空機が爆弾を抱いて特攻しても、速度が爆弾よりも遅いのですから、威力は大きくはなりません。普通に急降下爆撃した方が、威力はあるかも知れません。ですから、攻撃としての意味は、怪しい点があります。しかし、日本人なら、わかるはずです…兵器で足りないものを、補って戦うという気持ちを…。家族を、仲間を、そして国を守るために、特攻する人々の気高さを…。

見方を変えると、神を知らない人々は、命の使い方を別に見出すということでした。

ただ、前線の人々と、戦争を指導する人々には、特攻についてスタンスが違います。
これについては、後述します。

決戦であった、フィリピンの戦いも、悲惨でした。日本の過酷な占領政策のため、フィリピンの人々は日本を憎み、レイテ沖海戦で島に漂着した日本兵の多くは、フィリピンの人々により撲殺されたといわれています。そのような環境での戦いですから、悲惨を極めました。また、フィリピンの民間人たちの犠牲者もきわめて大きいものでした。

現地レジスタンスにより監視され、協力を得ることもかなわない日本陸軍は決戦とは名ばかりの準備の下、戦いに入り、10か月の戦いを過ぎて50万日本軍の多くは戦死しました。

「自活自戦永久抗戦」を主張する指揮官の下、明治時代に開発された38式歩兵銃も行きわたらない状態で、フィリピンの人々の食料を略奪し、草を食べ、斬り込みと称して黄色火薬を背負い戦車に飛び込む…戦争なのか何なのか・・・・。ウジのわいた死んだ水牛の皮を取りあいして、仲間を食べる状態にすらなります。

ルソン島では、陸軍は山下将軍の判断でマニラ市を放棄して、マニラ市を戦火から遠ざけようとしました。しかし、すでに壊滅的であった海軍がマニラ市死守を主張し、陸線経験のない沈んだ艦船の生き残りや負傷兵でマニラ守備隊を組織、陸軍もやむを得ず3000人の兵士をマニラ市に残しました。兵器もないこの守備隊はマニラ市内に潜伏…これに対してアメリカ軍は日本軍が立てこもっていると判断すれば無差別に病院までを含めてマニラ市に砲撃や火炎放射を加えました。日本軍は竹やりで夜襲するほどでしたが、ほとんど降伏しなかったようです…第14方面軍がマニラ撤退を指示した時に残存2000名からの返答は「撤退不能」…ほぼ全滅するまで戦いました。抗日ゲリラも多く潜伏していので、日本軍はゲリラと区別のつかない無抵抗なマニラ市民も無差別に虐殺しました。かつて東洋の真珠とまで言われた美しかったマニラ市は一カ月で壊滅…12万人のマニラ市街戦の死者のうち10万人はマニラ市民でした。

フィリピン全体では110万人の犠牲者が出ました。日本軍は、アメリカ軍だけではなく、フィリピンのレジスタンスによっても、多く殺されています。

フィリピン決戦での敗戦があっても、日本の戦争指導者たちは、別な決戦の計画を立てていきます。

硫黄島の戦い

LETTERS FROM IWO JIMAからダウンロードできます

日本本土に対してのアメリカ軍の侵攻は、小笠原諸島の硫黄島から始まりました。
今は、小笠原諸島は東京都ですので、今風に述べると、日本は東京から本土侵略を受けたわけですね。

硫黄島の戦いは、1945年2月16日から3月26日まで続きました。
いろいろと紹介されている硫黄島の戦いですが、大本営は、硫黄島を見捨てていました。
もはや、守る力はなく、沖縄/本土決戦に集中する方針になっていました。
後述しますが、本土決戦のために、大本営は本土に対する空襲も、B29以外に対しては邀撃(ようげき)すらしなくなっていきます。やがて、B29にすら邀撃をしなくなります。アメリカの戦闘機の銃撃を、国民は直接に受けることになってしまうわけです。

映画になったこの戦いは、凄惨を極めました。
栗林中将は、必敗の戦いの中で、1日でもアメリカ軍を留めようとしていたのでした。

日本の参加将兵のほとんどが亡くなったこの戦いが終わり、硫黄島が陥落後、大本営はこのように発表したといいます。

「17日夜半を期し最高指導官を陣頭に皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ全員壮烈なる総攻撃を敢行すとの打電あり。通信後通信絶ゆ。この硫黄島守備隊の玉砕を、一億国民は模範とすべし。

なぜ、玉砕が規範となるのか…もうちょっと解説を続けます。

天号作戦 沖縄決戦…負けた決戦 その3

フィリピン決戦で敗れた日本軍は、次の決戦の場について、陸軍と海軍は、意見が合いませんでした。
海軍は、沖縄決戦を主張し、陸軍は本土決戦を主張しました。
もうやめようという話題は、あまりできなかったようです…(^^;

事実上、海軍は壊滅していました。陸軍は本土決戦を前提としながら、海軍の主張していた沖縄決戦を、本土決戦のための時間稼ぎとします。

沖縄決戦のための作戦は、天号作戦です。その中で、特攻攻撃を中心とした作戦である、菊水作戦が展開されました。海軍は、もはや壊滅している連合艦隊に対して、特攻を指示します。戦艦大和と駆逐艦群に対して、沖縄に特攻して、岸に接岸、砲台となれという作戦を下命したのです。

1945/04/07 戦艦大和 爆沈

練習機 白菊

沖縄戦

この作戦、戦艦大和特攻である菊水一号作戦は、納得しない幕僚に対して、このような言葉で伝えられたといいます。

「要するに、一億総特攻のさきがけになっていただきたい、これが本作戦の眼目であります」

何が作戦だかわかりませんが、この言葉で、戦艦大和の特攻は決まりました。

一億総特攻…このキーワードは、まだ続きます。

菊水作戦は、第一号から第十号まで続けられた、悲惨な作戦でした。

ほとんどは特攻でした。

特に悲惨だったのは、練習機 白菊による、いわゆる「白菊特攻隊」…菊水7号作戦以降です。

白菊は、最高速度が時速226km…アメリカの戦闘機の1/3です。とても兵器といえるものではありませんでした。航続距離も短いので、特攻のために改造して使用されました。

白菊の出撃の理由はなぜか…日本軍の兵器の払底のため…ある意味ではそうでしたが、実のところ、それは、海軍主体の決戦である菊水作戦に続く、陸軍主体の決戦、決号作戦のためのデータ取得のためだったのでした。

つまり、特攻兵器として、白菊のような兵器の水準にないものを使い、どれだけの成功率があるかを、知るためでした。

百三十数機の白菊が特攻し、五十六機が突入確実と判断されたとのことです…どんな根拠か知りませんが…アメリカ軍の記録では、そうした戦果はなかったようです。このころの日本軍は、自身の思いのままに戦果を信じる状態だったのでしょう。

しかし、別な側面として、日本軍は、冷静に、戦い方としての特攻を見てもいました。決号作戦で予定されていた、はちゃめちゃな特攻の効果を事前に知ろうとしたものだったのでした。

沖縄戦の終結で菊水作戦は終わります。

沖縄戦は、日本本土での本格的な戦いの始まりでした。

民間人を守るための軍は、捷一号作戦の時点で沖縄からフィリピンに出ており、他の陸軍は決号作戦のために本土に留まっていました。

沖縄には、ただ、特攻して果てるという思いの残された日本軍が立てこもっていたのでした。

民間人は、戦争の中でほんろうされ、傷つき、斃れ、その心の傷は、今の沖縄に繋がっています。

天号作戦のなかで行われた、特攻主体の菊水作戦は、陥落が自明であった沖縄を舞台にした、1億総特攻の始まりであったのでした。

沖縄戦は、1945年3月26日〜1945年6月23日の期間続けられました。

天号作戦も、沖縄陥落とともに終結、海軍は特攻機946機を含む1282機が未帰還、陸軍は特攻機873機を含む、1088機が未帰還となりました。

アメリカ軍の損害は、36隻撃沈…しかし、空母、戦艦で沈んだものはありませんでした。

沖縄は、悲惨な戦いの後に、終わりをつげます。

発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

…本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

旧海軍司令部壕跡
陸軍に託した兵士に武器をすべて渡し、なんの武器もない司令部はアメリカ軍に包囲され、玉砕/自害しました
日本の島しょ防衛線の典型的な遺跡の一つで、世界的にも残されていないもののひとつです

手りゅう弾で自決した跡がそのまま保存されています

暴露される統帥部の危うい幻影

本土決戦を叫ぶ統帥部は、晩年のヒトラーと同様に、ありもしない幻影を追っていただけです。
それに気づいていたのは、天皇だったのかもしれません。

1945年6月9日

日本本土よりも質、装備が勝る中国方面の視察を終えた梅津参謀総長は、天皇に対して型どおりの報告後、口頭で「中国方面の部隊は弱体化しておりアメリカ軍とまともに戦えない」と報告しました。これは、暗に決戦はできないということを述べたものです。

1945年6月12日

特命査察使として海軍軍備を調査した長谷川清海軍大将は、「特攻兵器の大部分が急造ボート(以降にご紹介する震洋などです)であり、訓練も満足に出来ておらず、動員計画も杜撰である」と、天皇に報告しました。天皇は、「そんなことであろう」と述べたと伝えられています。

1945年6月20日前後

鈴木首相は、陸軍から義勇戦闘隊の装備として、弓矢…(^^;…、急造単発銃を見せられ、呆れてしまいました(これは陸軍の有志がわざと見せたのかも知れませんね)

1945年6月22日…最高戦争指導会議構成員を前にして、天皇はこう発言したと記録されています。

「時局の収拾についても考えねばならぬと思うが皆の所見はどうか…」

決号作戦 実行されなかった決戦…というよりも、やけくその特攻計画

1945年6月23日、義勇兵役法が公布されました。
義勇兵役法は、15歳〜60歳までの男性、17歳〜40歳までの女性が、義勇兵として組織化することを可能とする法律です。

この法律は、沖縄戦の結果というよりも、はじめから計画されていた「一億総特攻」のために準備されていたものです。

「一億総特攻」のための作戦、それが陸軍が中心となって準備を進めていた「決号作戦」です。「決号作戦」の作戦指導書の最後には、こう書かれています。

「凡百ノ戦闘ハ特攻ヲ基調トシテ之ヲ遂行ス」

艦隊を失っている海軍の作戦指導書には、

(イ) 海軍ハ特攻機実動2500機(3000機整備)ヲ7月15日迄ニ完整、輸送艦艇ノミニ集中攻撃ヲ加へ400隻以上ヲ撃沈ス

(ロ) 陸軍モ概ネ同様ノ方策ヲ講ズルコトトシ400隻以上ヲ撃沈ス

というものでした。
実際のところ、沖縄戦の結果から察するに、このような成果は期待できるものではありませんでしたが…

震洋

20ノット程度しか出ないモーターボートの奇襲は、ほとんど成果を期待できないものでした。海岸には、震洋のための奇襲基地が作られ、水際作戦を展開するつもりでした。ちなみに、私の小学校の時の教師は、震洋の隊員でした。

川崎 キ-100 五式戦闘機

日本陸軍で最優秀と言われた戦闘機…もっとも、欧米の水準からすると、ちょっと性能には、不満がありますけど…。エンジンの出力が欧米のものと比べて6割程度しかないので、当然と言えば当然なのですが…。

決号作戦のために用意されたものは、他にも多くの特攻兵器がありました。
いわゆる、「神風特攻隊」だけではなく、もっと多くの人々が、特攻のために「様々な準備」がされていたのです。

決号作戦に先立つこと1年ちょっと前、1944年3月に、日本軍は特殊奇襲兵器の試作を開始しています。計画には、10種類の兵器が考えられ、具体的には、 海竜、震洋、回天が実際に用意されました。この時期は、試作開始ですので、プランはもっと前からでしょう。

特攻用低速モーターボートである震洋は、6000隻が用意されていました。それを操縦するのは、少年兵たち…私の小学校の時の教師も、震洋の特攻隊員でした。

そうした特攻兵器があるのはまだいい方で、多くの人々には、箱爆雷を持って特攻する訓練が積まれ、日本国民は、単なる兵器と同じ扱いになっていました。

1945年7月、海軍練習航空隊を束ねる第十航空艦隊(船なんかないんですけどこう呼んでいました)は、特攻作戦に組み入れられました。赤とんぼと呼ばれていた練習機である93式中間練習機に250K爆弾をくくりつけ出撃せよというのです。

第十航空艦隊の参謀長は、こう抗議しました。

「話が違う。中練(赤とんぼ)は戦闘に使えない。一か月足らずしか練習していないものをむだに使っては、本土決戦時に兵力がなくなる」

日吉の山の中に築かれた、連合艦隊司令部からの返信はこうです。

「赤トンボでやれ、というのではない。各練空にある実用機に、教官、教員を乗せて出撃させるのだ」

文面はこうですが、この指令の結果は、結局は、赤とんぼに若い人々が乗り込み、神風となるということでした。日本語は、難しいですね…。

神風とは、出撃する人々の志とは裏腹に、このような背景で、どうしようもない兵器に、訓練の浅い人々がくくりつけられている場合も、少なくありませんでした。

決戦のため、アメリカ軍を邀撃(ようげき)してはならない

そんな日本本土は、B29の爆撃に、されるがままでした。

まだ迎撃するための部隊は、日本にはありました。決して日本軍は壊滅していたわけではありません。特攻機を含めて10000機の航空隊があったのでした…まあ、赤とんぼを含めてですが…。もちろん、アメリカ軍の戦力に比すれば、わずかなものです…。

1945年7月になると、戦闘機に対する邀撃が禁止され、やがては邀撃そのものが禁止されます。

邀撃が行われなかったその理由は、「決号作戦」そのものにありました。

それを端的に示す事件をご紹介しましょう。日本陸軍の最後の邀撃の顛末です。

1945年7月25日、調布から滋賀に移動していた飛行244戦隊は、決号作戦のために出撃禁止の命令が出ていたにもかかわらず、小林戦隊長が「訓練のため」と無視して、飛来したアメリカ第31戦闘飛行隊のF6fの一群を、十数機の五式戦で迎撃しました。戦闘は互角…相互に2機を撃墜しています…日本側の記録では、10機を撃墜としているのですけど…温存されていた日本のもっとも有力な力でも、そこまでしかできませんでした。

互角の戦いであったことは、日米の記録の比較からわかります。
アメリカの戦闘機隊からは、「エキスパートパイロットの部隊に攻撃されている!!」という助けを求める無線が飛び交ったといいますけど。

軍令部は、「全軍的な意図を暴露するものである」として、244戦隊の小林戦隊長を処分しようとしましたが、この出撃の報を受けた天皇から御嘉賞の言葉が無線で届き、軍律違反で問われることはありませんでした。天皇は、決号作戦のために蹂躙されている日本の実態を、辛く思っていたんでしょうか。また、軍令部には、このような出撃待機を快く思わない、天皇に御嘉賞を願うような一群もいたのでしょうか。

「決号作戦」のために、邀撃を控えていた理由は、特攻のための燃料を守るためでした。そして、温存されていた各部隊は、特攻を成功させるために存在していたのでした。

それはそれで、合理的なのですが…当時の日本軍は、すべてを「特攻」で戦おうとしていたのでした。

決号作戦は、天皇の英断による、ポツダム宣言受託受諾により、実行されることはありませんでした。沖縄戦の残した傷跡を考えると、もしも「決号作戦」が実行されていれば、今のような日本は存在できなかったかも知れません。

余談ですが、靖国神社にある戦争博物館である、就遊館には、一億総特攻をうたう決号作戦を、「本土防衛作戦」と解説しています。よくもそうした話題で掲示できるものだと思います。

戦争指導者は、国民の離反を恐れ、国民の納得を理由に特攻させていた

敗戦間際のころの手記が多く残されていますが、日本の戦争指導者には、驚かされます。

「敗戦恐るべし。然も、敗戦に伴う左翼的革命さらに恐るべし」

近衛文麿の日記より

近衛文麿は、開戦前に政権を投げ出し戦争突入させたり、このころは陸軍が赤化していると信じていたり、まあ、とんでもない人物なのですが、ずっと政権にあったのでした。変な国ですね。

「東条内閣が退いた後、すぐ方向転換の内閣を作っても、なかなか国民がついてこないかもしれない。そこで誠に申し訳ないが、一、二度爆撃を受けるなり、本土に上陸されて初めて国民もその機運に向かうだろう」

木戸内大臣が近衛文麿に語ったと伝えられている言葉

日本の戦争指導者たちは、早くから戦争に勝てないことを理解していました。
しかし、国民の納得が得られない、軍部の納得が得られない…という理由から、ずるずると戦争を続けていただけです。

対抗不能でも戦い続けているため、その結果として、特攻の常態化を生んだのでした。

今の時代では、特攻の志を再評価していますが、戦争指導者にとっては、特攻は単なる手段、それも、兵器の一部でした。

終戦・・・

特攻に限らず、日本を守りたい、家族を守りたいという思いは、様々な戦いを繰り広げます。
アメリカ軍も、決号作戦の存在は理解していましたし、その結果どのような戦闘になるかも、理解していました。

硫黄島の戦いだけで、2万人以上の死傷者をアメリカ軍も被っていました。
このような背景があるため、アメリカ側が多くの被害者が出るのを回避するために原爆を使用したと主張することにも、一理あります。アメリカでは、日本本土上陸作戦として、九州を前衛基地化するためのオリンピック作戦、日本を壊滅させるための関東地方上陸を目指すダウンフォール作戦を用意していました。

広島、長崎への原子爆弾投下は、それに先立って行われたものでした。もっとも、7月16日のトリニティ実験の成功後、8月6日に広島、8月9日に長崎に爆撃しているのですから、駆け込みで核兵器を使用したという批判は逃れるものではないでしょう。ただ、当時は核兵器の危険性は理解されていたわけではありません。長崎のプルトニウム爆弾でアメリカ軍の核兵器は払底していましたが、戦争が継続していれば、オリンピック作戦、ダウンフォール作戦の一環として核兵器をさらに製造して使用して、日本人だけではなく放射能で汚染された地域に上陸したアメリカ軍数十万人にも深刻な被害を与えることになったかもしれません。

そして、8月14日、大東亜戦争終結の詔が発布されます。

朕深く世界の体制と帝国の現状とに鑑み非常の処置を以て
時局の収拾せむと欲し
汝ら忠良なる汝臣民に告ぐ
朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対して
その共同宣言を受託する旨通告せしめたり

戦局必ずしも好転せず 世界の大勢また我に利あらず
しかのみならず
加えて敵は新たに残虐なる爆弾を使用して
しきりに無辜(むこ/大衆のこと)を殺傷し惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る
しかもなお交戦を継続せんか、終(つい)に我々民族の滅亡を招来するのみならず
(ひい)て人類の文明をも破却すべし
かくのごとくは 朕 何を以てか
億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神室に謝(しゃ/謝ること)せんや
これ朕の帝国政府をして共同宣言に応せんむるに至れる所以なり

現代風にしてみました

ここに至り、終戦が決まったのでした。

役だたない兵器に、命を組み込み、特攻に使用した…

日本の、神を知らない人々は、命を大切なものとする個人の気持ちから、それを道具として信じ、役立たない特攻兵器に乗り込みました。

国を統べる人々は、特攻とはひとつの便利な手段として、役立たない兵器に命を吹き込むパーツとして命を考えて、闇雲に作戦指示をしていました。

余談ですが、こうして考えると、日本の現代の巨大ロボットものアニメなどが、なぜ、人がパーツとして加わっているのか…その類型を感じませんか…???

この戦いのように、何気なしに…(^^;…国民の意向を感じて、戦いの指導を続けて、その指導のもとに、特攻を続けていたというのは、日本文化圏における典型的な話題と言えるでしょう。当時の資料を見ると、異様な集団成極性を感じます。そうした社会的な動きに、政府要人も抗しがたいものがあったということも、事実かもしれません。ちょっと思うのですが、このように国民を駆り立てていた今の大新聞の責任ということにも、そのうち話題になるときが来るのではないでしょうか。自分たちの本意ではないと、敗戦後に弁明していますが、だからそうですね…というほど、世の中簡単ではないと思います。

特攻隊には、訓練もわずかな若い人々が駆り出されていました…その気高い気持ちとは別に、自身が特攻でしか国のために寄与できないことも知っていました。そして、ベテランたちは、決号作戦のために温存されていたのです。

アルカイダが神の名のもとに自爆テロとともに残虐な殺戮を行うというのは、宗教が故の狂信として、日本でも話題になることです。宗教は、人を救い得ないのでしょうか…。しかし、人間性もまた、人を救い得ません。なぜなら、人を愛し、守ろうという気持ちからであって、特攻はなされていたからです。形として、両者は同じです…。背景が違うと述べたところで、なにも説明はできていません。

宗教も、人間性も、残虐さと愚かさを回避することはできないのでした。

すでに説明したように、現代にいう人間性の原理にはキリスト教的世界観が理論的背景にありましたが、核兵器を駆け込み的に使用したのは、そうしたキリスト教を「心の底から信じる」人々です。とはいえ、それはキリスト教が原因というわけでもなく、この時代背景があります。それは、神の概念に代わって台頭しつつあった科学的な発想の産物である、民族の概念です。欧米人は、日本人を異様な宗教をもつ狂信的な「民族」と信じていました。日本で欧米人を残虐な「アングロサクソン」と信じていたのと、大差ありません。

第二次世界大戦の原理には、民族自立など、現代では当たり前の考えがあります。

日本人は、民族絶滅を前提に戦っていたわけですし、それはドイツその他でも似た話題があります。そして、現代でも、民族の概念は、人を別つ原理でもあります。民族の尊厳なくして、人の尊厳に至れないのでしょうか…。

日本と、中国、韓国の間で繰り返し持ち上がる歴史問題は、大本の発生源が日本人の異常な連中であるにせよ、中国や韓国において、半世紀遅れて民族主義が台頭しているという事実と深い関係があります。

人の権利を神に求める代わりに民族に求めた結果、人は遠い過去に縛られ、未来を見誤ったのかも知れませんね。

神国と日本を呼んでいた時代を、実は神を忘れつつある民として説明してみたのですが、如何でしょうか…。

そもそも、神を信じている宗教と国家が一体化している社会なら、大東亜の解放などという大義名分は不要です。聖戦であればいいわけですから。日本の戦国時代、民百姓は仏敵と戦うためにと、たくさんの人々が命を落としています。

太平洋戦争の際に、日本はもはや、神々からは切り離されていたのでした。

神を知っているからって、なにさ…

さて、延々と神を忘れた民として、日本を話題にしました…でも、勘違いしないで戴きたい点があります。
別に、神を知っているから、偉いわけではないのです…

次の写真は、日本と戦争をしていたアメリカの雑誌、かの有名な雑誌life 1944年5月22日号 341ページに掲載されたPicture of the weekのものです。写真の女性ナタリーに届けられたプレゼントは、東條と名付けられた骸骨で、ニューギニアのビーチで拾われたものです。「This is a good Jap」…良き日本人です…。良い日本人は、死んだ奴だけ…というのは、当時の米軍の合言葉みたいなものでした。

アメリカという国家は、イスラム教国ほどではないですが、明確な宗教国家で、ちょっと原理的な感じの強いキリスト教国家です。もちろん、法的には宗教は自由ですが、それでも宣誓するときに聖書に手をかけるわけで、日本と比べれば十分に宗教に密着しています。それは、この当時でも、今でも、そうは変わっていません。

この写真でわかるように、別にキリストの救いを信じていても、人のやることなんて、こんなものです。
戦争当時の日本の雑誌を調べれてはいないのですが、アメリカ兵や中国兵のしゃれこうべを微笑んで見つめる女性の写真は、見つけられないのではないでしょうか。

日本では死者を大切にするから…と思う方もあると思いますが、それはアメリカでも同じです。

しかし、アメリカ人だけを人として扱っています。パラオのペリリュー島で日本軍が玉砕したのち…島民たちが戻ってみると、アメリカ人の遺体だけ埋葬され、日本人の遺体はそのままでした。ペリリューの島民たちは、日本人の遺体を埋葬し、今も島に永眠しています。戦時下だからでしょうか…。

ペリリューでは、日本軍は島民が戦いに巻き込まれることを避けるために、ペリリュー島民を数少なくなっていた輸送船を駆使してパラオに避難させました。1万1千人の守備隊は玉砕…その先頭のすさまじさから、ニミッツ提督が記したという詩の邦訳が現地に碑となって残されています。日本の兵士をたたえる歌なんですけど、提督がそんな詩を残した割には、戦死者には冷淡だったみたいです…(^^;

では、なぜアメリカ人は、このような写真を、よりにもよってlife誌がpicture of the weekにしたのでしょうか…。

これって、簡単に理解できるんです…大多数のアメリカ人は、当時、日本人を人間だと思っていなかったんです…ある意味では…。ペリリューで埋葬しなかったのも、それが本当の理由ではなかったのではないでしょうか。

第二次世界大戦の時代、それは現代の考え方で理解することがある意味ではできない時代です。
科学は、現代ほど進歩していません。
当時に、強い影響を与えていた思想の一つに、イギリスで生まれアメリカで発達した優生学があります。
優生学は、遺伝的資質を価値観を伴わない「科学的視点」で述べている分には問題はないのですが、人の資質や遺伝的資質に「優劣」を付けて述べたときに、科学的視点に基づいた民族主義の基本原理のとなります。つまり、遺伝的に問題のある民族…という概念に、容易に至るわけです。そもそも、「優生学」という日本語そのものがおかしいわけで、「優」という、価値観を伴う語がつかわれるべきではないのかも知れません。

キンメル提督

アメリカ太平洋艦隊を真珠湾に移動して日本を威嚇しようとしたルーズベルトに反対した、リチャードソン大将が更迭され、その後任として34人抜きで抜擢されたといいます。もっとも、真珠湾の一件の後は悲惨でした。

笑ってしまうのですが、日本と戦争を始めたときに、アメリカではこう考えていました。
一般論よりも、語ったといわれる言葉をそのままご紹介しましょう。真珠湾奇襲で被った被害の責任を問われた、当時の司令官であったキンメル提督の言葉です。

キンメル提督談

「ルーズベルト大統領も、マーシャル参謀総長も、アメリカ人1人は、日本人5人に相当するし、たとえ、奇襲攻撃が行われても、たいした損害を受けることなしに撃退するであろう、といつも語っていた」

ちなみに、キンメル提督は真珠湾攻撃後解任され、1942年に退役、1968年に亡くなっています。2000年に議会で名誉回復が議決されても、当時の大統領であったクリントン大統領や、現ブッシュ大統領から署名を得られず、今になっても名誉回復を果たすことは出来ていません。

この時代、いろいろに資料を見ると、黄色人種は…という話題で、日本人や中国人が軽んじられている話題が多くあったようです。高空に行くと思考能力が減退するのでパイロットには向かない…目が悪いのでパイロットには向かない…模倣するしか能力はない…とまあ、今で言う人種差別のオンパレードです。

とはいえ、どの「人種」も自身の人種の優越を信じていました。

そんな時代の科学も、「優生学」のように人種そのものの優劣や、人種の純潔性を保つために、「劣等」な人種を根絶やしにすべき…という思想も生まれました。

この時代に生きていた人々が、戦争に敗れれば人種を根絶やしにされるという恐れを抱くのも自然なことです。現実に、ナチスはユダヤ民族の大量殺害を行いましたし・・・。

ナチスも、日本も、アメリカも、民族主義という点では似たり寄ったりです。
そして、ソビエトでは民族主義を抑えて共産主義が・・・大虐殺は、民族主義でも、共産主義でも、実行されてしまいました。

市民を虐殺せよ

第二次世界大戦は、市民が大規模に虐殺された戦いです。
無差別爆撃が市民を狙い、文字通り、虐殺されました。

ハーグ条約で禁止されていた無差別爆撃は、ドイツのスペインのゲルニカ空襲、日本の中国都市への空襲から始まりました。両国は市民を狙ったものではないと抗弁していますが・・・。アメリカは厳しく非難しています。

ゲルニカは、スペイン内戦におけるフランコ将軍を支援したドイツ軍の、兵器の実験場にされた都市です。ドイツ軍は、再軍備を進めていた中で、新たに開発した兵器の実験場として、縦横にスペイン内戦を利用しています。世界ではじめての無差別爆撃として知られており、2000人の死者が市民から出ました。

ゲルニカを爆撃するドイツの爆撃機

炎上するゲルニカ

廃墟となったゲルニカ

ピカソのゲルニカ
あまりにも有名な作品ですね

日本軍による中国への無差別爆撃は、あまり写真が伝わっていないようです。
重慶への爆撃は200回以上が行われ、10000人以上の死者を出しています。
目的は、国民党政府を屈服させること…後年にイギリスやアメリカが行う爆撃と、その動機は変わりませんが、特に大局を見据えているという印象はありません。旧日本軍って、なにを考えているかわからない連中が指揮していましたので、説明に困ります。
主体は、海軍航空隊でした。

重慶市爆撃の写真として伝わるもの

避難でパニックになり
死んだ重慶市の人々として伝わる写真

ドイツや日本を非人道的と非難していたアメリカやイギリスは、同様に明確に虐殺を狙った、無差別爆撃を、より大規模で完璧な形で実行していきます。まあ、人のやることは同じということですね。

チャーチルにある科学者から提言された、ドイツの2000万人の住居を破壊すれば、戦意をくじき戦争は早期終結する…これは採択され、ハーグ空戦協定は無視され、市民を狙った無差別爆撃を連合軍は実行しました。住居を破壊する…詭弁です…市民の虐殺のことです。科学者というのは、ある意味、致命的な馬鹿者であることを第二次世界大戦では露呈しました。虐殺の推進者は、軍人ではなく科学者であったのです。記録によると、軍人はこのような計画について、はじめは反対しています。これはアメリカでも同様で、日本への爆撃の推進者は、はじめは心理学者たちであったことが知られています。そして、盲目的に核兵器も開発しました…科学者は宗教の残虐性を訴えることが多いですが、それは一方的な非難に過ぎず、科学だって十分に、人類の暗黒面を明らかにしています。

有名なドレスデンへの爆撃の主体は、イギリスでした…。

戦火を免れていたドイツ東部の古都ドレスデンには、ソビエト軍が迫っていました。
連合軍がドレスデンを壊滅させることを決めた理由は、ソビエト軍に対してのデモンストレーションであったとも、言われています。なんら軍事的に意味のない、ドレスデンへの無差別爆撃は、イギリス軍爆撃機兵団により計画されました。

1942/2/13 謝肉祭の日にドレスデンは爆撃されました。三度にわたる無差別爆撃の結果、ドレスデンは壊滅し、死者の数は2万とも、10万とも、20万ともいわれており、正確なことは不明です。

Avro Lancaster
搭載爆弾8トン…日本の重爆撃機の8倍の搭載能力です
ドイツを焦土に変えた爆撃機です

ドレスデン空襲

戦争末期、避難民も集まり70万人がいたドレスデンは、無差別爆撃により壊滅…死者の数は2万人とも10万人とも20万人ともいわれています
ドイツ軍はドレスデンでは組織的な抵抗ができない状態でしたので、一方的な虐殺でした。
戦略的、戦術的に意味のないこの無差別爆撃により、ドレスデンは、壊滅しました

日本への爆撃は、戦争の末期の6カ月くらいに集中的に行われています。
アメリカ空軍には、精密爆撃により、市民への被害を最小限にすべきという意見が強かったようですが、はじめは心理学者たちから…やがて、説得された大部分の人たちが、無差別爆撃を主張するようになっていきます。

アメリカが開発した焼夷弾は、日本軍が過去に使用したものを参考に燃料会社と協力して開発されたもので、市民の60%の殺傷できると判断されていた、無差別殺人兵器でした。
アメリカ空軍は、人口密集地域を狙いました。広報の上では無差別爆撃ではないと虚偽を伝えていましたが、軍事施設などはもはやターゲットではありませんでした。

当初、6大都市を灰燼に帰せば日本は降伏すると考えたアメリカは、10日間で日本の6大都市を灰燼に帰しました。しかし、それでも徹底抗戦を主張する日本に対して、軍事目標の存在しない地方都市180に攻撃目標を拡大、1日に4都市づつ、市民を狙った爆撃を実行していきます。ただの、虐殺です。日本人は、人としてはだれも考えていませんでした。日本市民を、生きながら、焼き殺すことを目的とされていたのです。


B29による水平爆撃

日本ではジェット気流のためノルデン標準機では命中できず、無差別爆撃で市民虐殺するくらいしか、能はありませんでした。
日本の防空能力は低下していましたし、しかも迎撃禁止命令まで出ていましたので、B29は低空爆撃まで、やりたい放題でした。

無差別爆撃の指揮官 Curtis Emerson Lemay

実は、要領のいいおへつらい軍人でした
出世のために日本人を虐殺するなんて、気にしていませんでした
アメリカは、この大戦でそうした軍人がだいぶ出世しています

焼夷弾で燃え上がる東京の下町

日本への空襲による市民の犠牲者は50万人に上ると考えられています

第二次世界大戦…敵国人は、人間ではありませんでした。
現代の道徳の基準で判断しては、いけないのがこの時代です。

そして、神を知っていようがいまいが、敵国民、つまり、人間ではないものに対して、もはや関係ない、狂気の時代でした。

神を知る国の笑い話・・・

ところで、神を知る国とは、どんなもんなんでしょう・・・こう述べると、神を知る国というとイスラム教国がイメージされるかもしれませんが、アメリカもまた神を知る国です。先に紹介しましたが、神が存在していると信じる人たちが94.4%もいる国です、敬虔なイスラム教国であるインドネシアと比べても、わずか5.1%しか差が開きません。

こんな国ですから、日本人には想像もつかない話題が、たくさんあります。

■ゲイとレズには罰(ばち)が当たるぞ…

パット・ロバートソン牧師

1998年、テレビ宣教師で大統領指名候補にまでなったパット・ロバートソン牧師は、オーランド市がゲイの祝典を広くことに対して、「テロリストが訪れるか、地震、竜巻、ひょっとしたら流星」により、災害がもたらされると警告しました。

同氏は、ニューオリンズがハリケーン・カトリーナにより大被害を受けた際にも、ここに住んでいるレズビアンのコメディアンが原因だと述べたと伝えられています。本当かうそか分かんないですけど、広くそう信じられてるそうです。

また、インテリジェント・デザインを学校教育に据えたペンシルバニア州ドーヴァーで、それを推進した委員を教育委員会からすべて除名することを住民投票で決めた際に、こう述べたそうです。

「私はドーヴァーの善良な市民に言いたい。あなた方の住む地域に災害があっても、神に頼るなと…」

こんな人物が、アメリカで権力と影響力をもっているんですよね・・・あはは…

神もとんでもない代弁者をお選びですこと…

■真の歴史を…地球の歴史は6000年…

私は行ったことないんですけど、アメリカには真の歴史を伝えるための博物館があります…Creation Museumです。展示は、キリスト教に基づく、真実の歴史の展示です。

キリスト教によると、、世界の歴史は6000年です…(^^;

アダムとイブ

ノアの方舟…子供のこと考えると、恐竜もね…

う〜ん

ノアの箱舟に恐竜も載ったり…ひょっとしたら、洪水が引いたのを確認したのは鳩ではなくプテラノドンだったとか・・・ちなみに、恐竜が肉食になったのは、人類が知恵の木の実を食べて裸であることを知ったためらしいです…罪作りな人類…。

しかし、アメリカの教育、大丈夫なんでしょうか…(^^;

■中絶を行うものには死を…

聖書に明確に書いてあるわけではありませんが、中絶はキリスト教では罪なこと…らしいです。
杯の段階でも、それは抵抗できない赤ちゃんである…というのが、キリスト教の立場で、日本でも有名な、故マザー・テレサも、ノーベル平和賞を受賞した時のスピーチで

「妊娠中絶こそ、最大の平和破壊者です」

と語っています。マザーテレサの語る、この恐るべき罪に対して、さまざまな対抗する団体がアメリカにはあります。たとえば、Operation Resucueがあります。この創始者ランドール・テーリは、このように語ったと伝えられています。

「われわれの目標は単純でなければならない。われわれは神の法、十戒にもとづいて構築されたキリスト教国家をもたなければならない。言い訳は無用だ」

1994年7月29日、ポール・ヒルは中絶を行っているブリトン医師と補助員をショットガンで射殺しました。警察に自首し、「罪なき赤ん坊」が将来に殺されるのを防ぐため医師を殺したと述べました。道徳的に正しいという話まで出て、まあ、びっくりです。2003年、ポール・ヒルは再犯するであろうという理由から、死刑になりました。アメリカ警察は、報復を警戒したといいます。

まあ、アメリカの大部分の人は中絶に反対ではないという意見もありますが・・・

■神を信じざる者…人にあらず…

アメリカで無神論者であることを表明することは、大変なことです。

なにしろ、無神論者の典型とは、ヨシフ・スターリンとアドルフ・ヒトラーであると言われているからです。
このふたりの共通点は、独裁者で、大虐殺をおこなったことです。そうした点であると、毛沢東も入ってもよさそうな気もしますけど…おっと、毛沢東も無神論者だ…(^^;

まあ、このふたりは人非人の典型ということです。ただ、スターリンはともかく、ヒトラーは無神論者ではないような気もしますが・・・。

こんな雰囲気があるため、神を信じるかというアンケートに多くのことが「yes」と答えるのか…それとも、本心なのか…きっと、本心でしょう…(^^;

こんな社会って、日本人にはちょっと理解しにくいですね…(^^;

神という名の、人類の負債

現代社会においても、日本以外の国では、宗教が人々の基本にある国がほとんどです。
それはアメリカでも言えることで、宗教を理解することなしに、相手の文化や人々を理解することは、困難です。

しかし、現代社会において、宗教にはなんの意味があるのでしょうか…
現代社会において、神は、なにを司ってるのでしょうか…

かつての神は、究極の原理そのものでした…宗教は、厳然とした体系でした。
しかし、科学の進歩は、神と宗教が説明していた世界を、還元し、別な方法で説明可能にしていきました。
その結果、神と宗教の重要な体系の一部は瓦解していきました。

タリバンなどの原理主義的宗教者が、アメリカを非難する間は、自然です。
自身たちのよりどころを滅ぼしつつある科学文明の象徴がアメリカだからです。
つまり、滅びゆく者の最後の咆哮なのです。
もっとも、宗教を人類が越えるためには、まだ何世紀もかかるでしょう。

そして、神や宗教のよりどころを否定している科学ですら、その代わりにはなりません。
科学とは客観的なものであり、主観的なものである善悪を説明できるものではなく、神や宗教を代替できるものではないからです。

では、人には、神や宗教に代わるものはないのでしょうか…それは、あります。

Zeitgeist(ツァイトガイスト/時代を代表する普遍的認識)は存在するし、進歩しています。

人は、自身を信じて時代を進めていけばいいのです。

しかし、そんな現代の人類には、進むことを阻む力があります。
それが、まだほろびきらない、神と宗教です…かつての栄光の代名詞は、現代の悲劇の、ひとつの原因となっています。人類史が示す通りの悲劇の、源となりつつあります。

「公正のために言えば、聖書に書かれたことのほとんどが首尾一貫して悪いものだ、というわけではない。しかし、私たちには縁がなく、お互い同士も交流のない何百人という無名の著者、編纂者、書写生によって九世紀にわたって編纂・改訂・翻訳・歪曲および「改善」されてきた支離滅裂な文書を、雑然と寄せ集めてこしらえあげた集成であることから予想されるとおり、聖書は奇妙としか形容のしようがない書物なのである」

リチャード・ドーキンス / オックスフォード大学 動物行動学者
神は妄想である ISBN987-4-15-208826-0 p345より

そんな中、神を知らない日本の人々は、実は世界の先端にあるのかもしれません。
神を知らなくても、豊かな社会を築けるることを示すことが、世界に対してもっとも強い、新しい時代を指し示すことかもしれないですね。


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