家でテレビを見ていました。見るといっても、ながら族なので、かるばどすほふのコンテンツを書きながらでした。私は、NHKが結構好きです。ちゃんと、NHKにお金だって、払っています。
この日は、2005/10/08 19:30〜22:30まで生放送で放送された、NHK特番「アスベスト あなたの不安に答えます」という番組を、ながらのまま、見ていました。
アスベストの話題は、よく聴いていましたが、実はちょっと驚いてもいました。その理由は簡単なのですが、今まで放置されてきた…という形で大々的に報道されていたからです。かなり良く知られていることのように思っていました。でも、放置しているというのは、事実であるとも思っていました。
私自身も、過去に何回も、駅ビルなんかでアスベストが見える場所があると、通り過ぎるまで息を止めたりすることがありましたし、逆に、しげしげと、どうなっているのか立ち尽くして見ている事すらありました。アスベストの発ガン性は、結構前から知られている話題でしたので・・・。
豆炭あんか |
私が子供のころは、ストーブでの暖房も珍しい時代であったので、冬には布団に豆炭を利用した「あんか」なんかを使用していました。当時の家の気密度は低いので、それでも一酸化炭素中毒なんて簡単には発生しませんでした。豆炭を使用した「あんか」とは、ブリキのケースにアスベストが詰めてあり、その中に豆炭を入れるものです。使用時間は約24時間…暖かいものでした。でも、私は、これが嫌いでした。物心ついた直後くらいの小さいときに、豆炭あんかのアスベストを自分で触ってみたとき、指に繊維が刺さったのに驚いて、感情的に嫌いになっていたからです。
そんな私ですので、アスベストは、ずっと嫌いでした。また、ちょっと年をとってからに、アスベストが使用禁止になったという話を聴いたときも、当然と思っていました。
ですから、ここのところ、放送されているアスベスト問題の報道も、報道機関が報道するものが足りなくて、集中的に報道しているのかな・・・くらいに思っていました。簡単に言うと、みのもんたの健康番組で、ちょっとした食材の効能を、胡散臭いクリニックの先生が極端に言い立てるようなものの、親戚みたいに思っていたのでした。
でも、これだけ報道が集中しているのだから、よく知っておこうという気持ちもあり、NHKの特番が始まった際に、そのまま(ながら族ですけど)見ていたのでした。
番組としては、結構工夫していたと思います。
被害者・医療関係者・アスベスト専門家・業界の人物・行政の責任者が登場し、番組としては企業と行政の責任を求める姿勢もありました。
しかし、この生番組は、この問題の醜い側面をいくつか明らかにしていました。
それで、私は、テレビを見ながら、腹が立ってしまったのです。
その背景をご説明して、現代のいやな側面を明らかにしたいと思います。
ふざけんなよ…と思ったのは、研究者と業界の人間の話しでした
この番組を見ていて、発言はそれぞれに典型的で、型にはまっていました。
・業界の立場
昭和40年代にアスベストの危険性を取り締まる法律が作られ、対策を進めてきた
企業内での対応で十分と信じていたが、こうした問題になり申し訳ない
国とともに対策を講じたい
率直なところ、型どおりすぎて、結構なお答えです。
でも、後述しますが、この発言はまったくの虚偽です。
うまく研究者を利用して、誤魔化そうという姿勢を感じました。
・行政の立場
各種の対策を講じている。立法も急ぎたい。また、現在のところ労災法で交通費は払えない。
まあ、行政というものは法律で定められたとおりにしか実行できないので、そうかなとも思います。でも、労災法の交通費ぐらい、担当大臣として前向きなことを言ってもいいんではないかとも思いました。何のための、圧倒的多数なんだよ、自民党と公明党は・・・。
・医師
労災病院ではアスベストのプロジェクトチームが出来ている。専門医にすぐにかかって欲しい。
聞こえはいいのですが、芦屋の被害者の人たち、その中でも母親を亡くした女性の言葉が印象的でした。「病院の間をいくつもたらい回しにされ、別な診断をいろいろとされました。また、いい病院があると聞いても、交通費が気になりいけない時もありました。交通費ぐらいなんとかして欲しい」 本当は、医師に対する不信感があるのでしょうが、交通費の問題として発言をまとめる悔しさを感じました。
NHKの番組としては、行政と業界を悪者にする構成という印象がありましたが、実際の被害者の人たちからすると、たらい回しにした医師や、危険性を指摘し切れなかった研究者たちも、実は加害者です。
私が一番聞いていて腹が立ったのは、業界、行政、医師よりも、実は研究者の説明だったのです。
・研究者
アスベストは1930年代には、その危険性が言われることがあり、その後アメリカで危険性が確認され、(1960年代からだんだんと)欧米では対策が進みました。日本はそれに対して遅れてしまった。
この総括的な解説は…まったくの虚偽です。
こんな連中が、日本のアスベスト対策を遅らせる主因だ・・・と痛感してしまいました。
専門家がその危険性を、身を挺して主張しないから、業界は法律がないせいにし、好き放題をして、ここまで被害の可能性を広げてしまったのです。今回問題を指摘されているクボタは、発表資料を見ると、日本の重工業を牽引してきたという自負があるそうです・・・では、牽引してやったという重工業と共々、対策をしてもらえるんでしょうね。
この事実をどう思われますか
これから説明する内容には、ちょっと驚かれるかもしれません。
テレビで報道していた内容では、欧米は進んでいる・・・ということでしたが、実は、アメリカやイギリスはアスベスト対策が遅れた国家でした。アメリカでアスベストの問題が大きくなり、変化していったのは、訴訟にアスベスト業界が敗訴していった1980年代です。テレビに出演していた研究者の言う1960年代とは、話題に上ったというほうが、正確だと思います。
でも、それがアスベストの問題を人類が理解したはじめての時ではありません。
実は、1940年代には、アスベストの危険性を認知して、組織的/法的な対策を講じた国家があったのです。
1936年 | アスベストをターゲットにした粉塵対策運動開始 新開発の換気装置を使用して粉塵の多い作業は吸引ダクト付カバー内で行うこととした 第3次職業病法において、アスベスト症に起因する肺ガン等への保障を義務付ける | |
1937〜年 | アスベスト症対策の小委員会発足 アスベスト吸引の危険性はアスベスト粉砕切断そ毛工程であることを明らかにする また、新開発の電子顕微鏡により、肺の組織から極小繊維を多く発見しアスベスト症が物理的刺激である可能性を見出した。 これにより換気装置の設置が推奨され、多くの工場で健康診断が実施された。 写真は、この研究に使われた電子顕微鏡の製品バージョン(1939年)のものです。 | |
1939年 | 医学教書で「肺内のアスベストがガンの誘引になることはいささかたりとも疑うことが出来ない事実」と記載される | |
1940年 | 粉塵の公式ガイドライン発表 18歳未満の未成年者がアスベスト関係の作業につくことを禁止 ガンの危険性を確認 | |
1941年 | マウスを使用した実験でアスベストに接触し生存した20%に腫瘍が確認される | |
1942年 | アスベスト繊維の作業に4年間かかわっただけで肺がんを発症した事例が報告される | |
1943年 | アスベストに関わる労働者は中皮腫にかかりやすいことが論文で発表される 第4次職業病法において、アスベストに起因する肺ガン、中皮腫患者への保障を義務付ける |
このように、アスベストの危険性を、研究の中で明らかにし、国家として対応した国がありました。
この国家は…ナチス・ドイツ…です。
アメリカがアスベストに対して積極的に対策を行ったのは、1980年代です。
アメリカでアスベスト被害者達の訴訟が行われた際に、当時アメリカで最大であったアスベスト生産企業であるジョーンズ・マンビル社などは、「アスベストの発ガン性は知る由もなかった」と主張しました。日本の業界関係者が言うのと同じ話題です。それに対して被害者である原告側はナチス・ドイツによる研究を反証として利用しています。
1940年代前半には、アスベストの発ガン性は労働医療専門家だけではなく、大企業でも知られており、一般向け健康書にも書かれていたといいます。
ナチズムとはなにか かるばどすの一口解説 | |
ナチ…現代で最も忌諱される言葉の一つですが、そのためナチズムの実態の教育が行われていません。 ですから、なんでナチス・ドイツが、アスベスト対策を進めていたかを理解しにくいと思います。 |
この情報は、この書籍にあります
Robert N. Proctor |
ここでご説明した内容は、草思社から出ている「健康帝国ナチス/the nazi war on cAncer(ISBN4-7942-1226-7)」という書籍に収録されているものをまとめなおしました。著者はロバート・N・プロクターという人物で、ペンシルバニア州立大学の科学史の教授です。
時系列的に書いていないところがあるので、私が時系列に並べて表にまとめてみたものです。
これからご説明する部分は、参考にしたロバート・N・プロクターの視点と、私の視点を交えてご説明いたします。
人を守ることを忘れた研究者たち
第二次世界大戦後、ナチスドイツでの研究結果を収集するために、アメリカやソビエトは多くの調査団を送り込みました。
もちろん、日本にも来ていますけど、日本の研究レベルは低かったので、役には立たなかったでしょう。
ロケット技術は、宇宙開発、大陸間弾道弾へと発展していきました。また、後退翼の研究成果により、超音速ジェット機などが生み出されていきました。
これらの調査は、広範囲に行われたのですが、意図的に研究成果の収集をしなかった分野は、喫煙についての危険性の研究であったといいます。そして、同様に、アスベストの危険性も、収集をしなかったようです。
この背景について、ロバート・N・プロクターは、要約すると以下のように分析しています。
実に、達観している分析ですが、この中の後者は特に重要です。
かるばどすほふでは、科学的な思考とはなんなのかを説明しているコンテンツがあります。たとえば、
このようなコンテンツで話題になっていることは、客観性の追求の中で、意味(主観)を見失しなうのが、科学的思考の基本であるということです。具体的に、今回の話題で述べてみましょう。
ナチス・ドイツの時代の医学では、アスベストの問題は、臨床的に説明されることで危険性が説明できれば十分であり、疫学的、統計的な分析は重視していませんでした。被害が防げれば良かったからです。ナチス・ドイツの時代の研究では、アスベストが原因であるガンはすべてを集めても6例しかありませんでした。当時のナチス・ドイツの研究者は、わずか2例だけで、アスベストとガンの関係を認めています。
後年のアメリカの研究者は、それをせせら笑ったそうです。科学的とは、言えないからです。
戦後では、科学はより客観性を求めて、疫学的に証明できない限り認めない姿勢をとりました。これは、産業界にもいいことで、批判逃れに有効でした。つまり、科学者達は、あたらしいスポンサーを産業界に見つけながら、客観的な正当性を心行くまで求めることが出来たのです。
言い換えると、この研究者たちは、統計的に有効なだけ被害が出ない限り、この因果関係を認める気はありませんでした。
彼らは、人々を災害から守るという立場にあるという、人の意味を失っていたのです。
1980年代、膨大な被害者が出たアメリカでは、疫学的にも有意な発がん性の確認が出来ました。そして、アスベスト関係企業は軒並み損害賠償請求訴訟で敗訴・・・アスベスト産業は退潮していきました。
ロバート・N・プロクターは、アメリカは20年以上もアスベストの研究/対策が立ち遅れてしまったと、自身の書籍に記しました。
言い逃れを合理的と言い張る、関連業界と研究者たちは、間違っている
日本のアスベスト産業は、アメリカやイギリスで退潮になってから、大きくなりました。
話題になっているクボタでは、舞い上がるアスベストの細かい塵を、そのまま開け放した工場の3F窓から近隣に振り撒いていたとか・・・1940年代のナチスドイツですら成すべできでないとされていたことを、していたわけです。
アスベスト業界の関係者は、20年位前まで危険性は知られていなかったと主張しており、研究者も同様な立場をとっています。
このとき、本当にこの問題の原因になっているのは、何でしょうか。
私には、業界の主張に根拠を与える、研究者にこそ、本当の原因があると思えてなりません。
彼らは、疫学という観点に立ち、人々を単なる統計データとして、言い換えれば、モルモットとして取り扱ったからです。
危険を人々から遠ざけることと、研究は、同一の次元ではないはずです。
人々から忌み嫌われるナチス・ドイツよりも劣る行為を成した人々が、平気でその主張をテレビの番組中で述べている。その本質は、被害がしっかり出るまで、因果関係を認めないということだけです。問題を、可能性があるというだけで、回避する努力が必要なのがこうした健康問題であり、それを成さないということは、社会に対する裏切りです。それをもって、科学的というなんて、人として認めがたい・・・。
それで、私は、テレビを見ながら、腹が立ってしまったのです。
PS アメリカって、アスベスト処理の先進国じゃないです
ボストンに行ったら、ずさんなアスベスト処理現場を見ました…日本の方がうるさいでしょ…(^^;
バックベイにて | |