滅び行く遊びの文化・・・

2002/7/17,2003/08/19

ご注意 あんまり若い人は読まないで下さいね

実は、作っても公開していないコンテンツもあります・・・

かるばどすほふは、コンテンツの量が多いとご評価いただいているようです。そうした中で、よく質問されるのが、いつ書いているのかという事です。そのお答えはとても簡単でして、仕事をしている間に気休めで書いています。あはは・・・。頭使う仕事なもので、同じこと考えていると、疲れてくるので、違うこと考えて休めるんですね・・・(^^)
そうした中、書いた内容すべてをかるばどすほふに入れているわけではないということが、事実としてあります。そうした未公開のコンテンツの中でちょっと面白いタイトルのものに「お客の華道」というコンテンツがあります・・・(^^;・・・すごいタイトルでしょ・・・
食べ歩き情報には、150件近く登録していますが、その中ですばらしい水準のショットバーなども多く掲載されています。そうしたショットバーは、お店によっては、価値のある人には極めてリーズナブルな値段で、しかし、価値のわからない人には目の飛び出る値段でお酒を出してくれるお店も含まれています。
そうした情報を入れている私ですので、当然ですが、あらゆるタイプのお店を利用しています。その中には、銀座や六本木、新宿などのクラブもあるわけです。別に、そうしたお店が好きというわけではなく、仕事の一環として利用しているのですが、そうしたお店も利用するようになってから、かなりの時間が経っていますので、飲み方もそれなりに心得ています。
私の飲み方は銀座仕込みで、いちばん教わったのは、クラブなどではなく、もう四半世紀も通っているローレライです。また、会社でも若い時代にいろいろと教わりました。そうした学んだ飲み方は、お店から好かれる飲み方で、お客さんの道に則っているもののようです。そう、クラブのママさんたちから言われます。そうした飲み方には、色っぽい話題はゼロです。お遊びとしての飲み方なのです。
で、そうした内容をまとめたのが、「お客の華道」でした。
ただ、世間一般で言う飲み方と、かなり違うんですね・・・。
実は、現代日本文化の特徴的なところとして、女性が接客する飲み屋さんで遊ぶことと、性的なことの分離があります。海外では、欧米、アジア全体を見てもそうした例がほとんどなく、世界的に見て日本に特異な、洗練された独特な文化です。
で、「お客の華道」は、そうした「遊びの文化」の観点で書いたコンテンツで、実は、今において世間一般で考えられている、いろいろな女性の接客するお店についてのイメージと大きく違いがあるのです。
で、なんか、えらく誤解されそうなコンテンツですし、こんな遊び方があるのかと感心されるより、いかれてんじゃないのかなと思われる可能性が高いように思い (今でも十分に思われているような気もしますが・・・(^^;)、公開をしないことにした次第です。

もっとも、この件を知っている人からは会員制にして公開して欲しいといわれたりしているのですが・・・(^^;・・・そのうち、かるばどすほふ初の.NET Passportみたいな個人認証システムを採用したりして・・・(^^;・・・個人サイトでそんなことしてる事例は、世界的にも無いから面白いかも・・・

で、こうした前置きの話題がなぜあるのかというと、7月の博多訪問で、少なからずショックを受けた点があったからです。それは、かつて繁栄していた、博多/中州において、そうした遊び方をするお店そのものが、完全に滅んでいたからです。風俗店と居酒屋ばかりの、いかれた街になっていました。

滅んでしまった博多の中洲、親不孝通り

どのような街にも、地域にも、独特な文化があります。そうしたものは、日中と、夜で、別々な形で表出してきます。日中の文化は、街を歩き回るとわかるのですが、夜の文化は人と話すことでわかってきます。
今年(2002年)は二回博多を訪問したのですが、はじめの訪問で昼の博多の、西新あたりの文化を深く感じました。文教的で、歴史ある、ちょっとだけ息苦しい文化を感じました。この時に知る時間がなかったのが、博多の夜の文化です。博多では、どのように夜を楽しむのか・・・その楽しみ方を知ると、この地域が良くわかると考えていました。あらゆる物事は、多くの側面を持つ・・・常に真理ですし・・・イスラエルのことわざに曰く、川に二つの堤あり・・・。あんまりまじめな文化の反対側の側面を知りたいのは、まあ、私らしい発想でもあります。
で、二回目の訪問は、そうした点に重点を置いていました。
もう、10年ちかく前なのですが、博多で友人の結婚式があり、友人の結婚式前夜に博多は中州で遊びまわったことがあります。その際には、東京の銀座に相当するような、趣味の良い遊び方のできる街という印象がありました。
で、はじめは、今回の博多訪問では簡単に考えていました。ちょっとレベルの高い中州のクラブを訪れて、最近のお客さん気質をママから教えてもらおうと思っていたのです。
このような発想を、不思議に思われるかもしれませんが、クラブのママさんというのは、人生のプロ的なところがあり、社会の表/裏に精通しています。そうした背景があるので、ざっくばらんに聴くと、いろいろと自身の意見を交えながらいろいろと教えてくれるものです。そこから聴く意見は、深い意味があったりもします。

余談ですが、初対面の人の判断をクラブのママの意見を求める経営者が、かつては結構いました。その理由は簡単で、瞬間的に人を判断する勘が鋭いからです。長年やっている中で、人を短時間に判断する術を身につけているんですね・・・そうしたママさんたちには、身に着けている衣装とかアクセサリとかではごまかされない確かな目があります。ですから、自分の考えだけではなく、そうしたママさんの意見を求めるというのは、なかなかできた経営者かもしれません。職業に貴賎の上下はないのですから・・・。さらに余談が続きますが、今の経営者にそうした器量の持ち主は少ないという話もあります。
さらに余談ついでですが、いいお客になる第一歩は、そうしたママさんの眼で見られても、この人は大丈夫と考えてもらえるところから始まります。

で、博多に向かう前にちょっと調べてみたのですが・・・中州にも親不孝通りにもクラブそのものがありません。キャバクラならあるのですが、キャバクラにはそうしたママさんたちはいないので、用を成しません・・・。
で、いろいろと調べてみましたし、現地でも聞いてみたのですが、クラブらしいお店は博多全体でも壊滅しているようです・・・。それには、驚いてしまいました。
実は、今年の5月に大阪を訪れた際も、北の新地がだいぶ衰弱しているのを知り驚いていました。若いころは大阪のお客さんに連れられて、いろいろと訪れたことがあったのですが・・・。そうして、今回知ったのが、博多の中洲にクラブがなくなっていたことだったのです。
クラブがないということは、遊びで飲む文化がだいぶ衰退していることを示しています。私は、遊びで飲む場合、ショットバーだけでもいいタイプなのですが、それはお酒好きの世界で、かなり濃い世界ですので、話をしても特殊なところが多くなります。さすがに、ショットバーは中州にはもうありませんが、場所を変えればまだいろいろとありました。でも、いろいろな話を聴くなら、社会的な感覚のより強いクラブと思っていました。
で、昔はかなりのレベルだったそうした博多のいいお店がなくなった理由が知りたくて、いろいろな人に意見を聞いてみました。主にタクシー運転手のお話を中心に・・・違う人たちからも聞いたのですが、だいたい同じような内容でした。

証言・・・こうしてクラブは壊滅した

タクシー運転手Aとの会話

「昔はいいお店がいっぱいありました。当時のお客は、遊びとsexを混同することはなかったです。でも、不景気になり、やくざがミカジメ料を払わないお店を潰したんですよ。潰し方は巧妙で、綺麗な自分の女をお店に送り込んだんです、で、かいがいしく1年くらいして、お店のオーナーが気を許して手を出したところで、俺の女に手を出したな、と行くわけです。そうしてお店を乗っ取るわけですね。その後、風俗店にしたりするんですよ」
「え、でも、お店の女の子に手を出すなんて、お店も基本の基本を破ってるじゃない」
「でもまあ、男ですからねー」
「なるほど、でもさ、やくざがお店にミカジメ料を払わないからって潰しにかかるかな・・・東京だと考えられないけど・・・だってさ、街が繁栄しないと自分達の収入に響くくらい、今のやくざはわかってるんじゃないの・・・」
「福岡は東京とは違います・・・」

タクシー運転手Bとの会話

「そうですねー、昔はいいお店いっぱいありました。やっぱりバブル崩壊後、いいお店はなくなりましたねー」
「そうなんだ、東京でも接待に頼っているお店はなくなったけど、そうでないお店は平気だったよ。みんな接待のお店だったのかなー」
「福岡でも元気なお店はたくさんありますが、クラブはなくなりました。接待のお店ばかりだったんでしょうね・・・」
「それって、有名だった福岡の粋な遊びの文化は、バブル時代になくなったって事かなー」
「そうでしょうねー、バブル以後、この街は変になりましたよ・・・頑張って働くことを忘れてしまった」
「う、それは博多に限らず、日本中で同じかも・・・」

タクシー運転手Cとの会話

「不景気のせいで、久留米とかなんかからのやくざが大挙してきました。で、しのぎのためにむちゃくちゃをやったんです」
「え、福岡のやくざは対抗しなかったの?」
「いえ、しましたよ。大抗争でしたから・・・新聞にも載っとったでしょ」
「そうだっけか・・・ごめん、新聞とってなくて知らないや・・・で、どっちが勝ったの」
「福岡のやくざです。山口組ですから・・・でも、その後、しのぎで汲々としてしまって、中州を風俗の塊にしたんですよ・・・もう、中洲も親不孝通りも、博多の者は行きません・・・」

タクシー運転手Dとの会話

「最近の若い者はめちゃくちゃですから」
「それあるかもね、昨日の深夜に親不孝通り通ったんだけど、ありゃ、若い人壊れてるね・・・もう、東京にはああいう人たち、いないよ。見ながらさ、昔に返ったみたいで、笑いながら歩いてたんだ・・・でもさ、福岡は教育熱心だったんじゃないの」
「そうたったんですがねー、長く生きるもんじゃないですよ、こんな事を見るなんて、驚くばかりです」
「やくざの話を他の人からよく聴かされたけど」
「私は、そうしたことはないと思いますよ・・・やくざがかたぎに手を出すなんてないことです」
「実は、おれもそう思うんだよねー。自分がいるところからいろいろとしのぎを得るわけだから、そのたかり先を潰したら始まらないものね・・・それくらっいのこと、みんな知ってるよね・・・あの仕事の人たち。しのぎに応じなくても、街が栄えれば、最後はなんとかなるから、いいわけだしね」
「まったくです・・・結局、クラブの客が、博多からはいなくなったから潰れたんですよ、そうしたお店は・・・」
「なんでいなくなったの?」
「昔のいい遊びをされていた方々は、もう引退されましたからね、バブル前後に・・・。その跡継ぎが、いかんかったんでしょう。バブルのときはバカばかりやりおった」
「なるほど・・・」

さて、如何でしょう・・・
話題はふたつに集約されています。
ひとつは、やくざの抗争と、厳しくなったしのぎを得るための風俗化・・・もうひとつは、バブル以後に客が激減したことです。
よく考えてみると、やくざのしのぎが難しくなった背景にも、バブル崩壊があるかもしれません。でも、バブルそのものが異常で、それ以前からちゃっんとやっていた店があればもバブルが原因で潰れることはなかったと思います。銀座でもそうでしたから・・・。やくざが街で幅を利かせているのは、広島から西側の町の特徴です。それも、衰退を早めたのは否めないかもしれません。なにしろ、やくざの思いつくお店で、ちゃんとした店、あまりありませんから・・・(^^;
このような背景を考えると、福岡にはバブル後に遊びの文化が定着していなかったんでしょうか・・・ちょっと思うに、そうした傾向は、今の東京や大阪にも見て取れます。

2003/8/18 午後8時くらいに、北九州市小倉北区鍛冶町1-10-4「倶楽部(クラブ)ぼおるど&かるぼ」に男が押し入り、火炎瓶のような物を投げ込み爆発させました。このお店は創業35年、客が100人入れる大型店でした。店の経営者は暴力追放推進協議会の副部会長を勤め、暴力団追放運動の中心的存在として知られていたそうです。暴力団入店拒否を貫いてもいました。そのため、暴力団からとみられる嫌がらせや事件が相次いでいました。店長が何者かに胸を刺されたり、お店の前に糞尿をまき散らかれたりしていたそうです。この事件でも、女性従業員2人が重いやけどなどで重傷、店長や男性従業員2人、女性従業員5人が軽傷を負いました。取り押さえられた男は舌をかんで自殺、馬鹿らしい結末ですね、そうした人生は・・・クラブへの嫌がらせで終わりなのですから・・・。
これが現代日本で起きている事件です。
やーさんは、アホらしい日本映画を喜びながら任侠道なんていいますが、現実には自分たちの食い扶持である繁華街を栄えさせるための知恵もない、ただの「やくざ」です。
また、警察がどれほど役立たないかも、これでわかりますよね。
現代の日本警察には、市民社会を守る機能が、もうありません。この事件も関係者をちょっと逮捕して終わりでしょう。やくざは、法の盾の陰に隠れていますし、警察には悪と戦う牙も爪もありません。市民の犠牲の上に、やくざとの抗争はつづくのでしょう。

2003/08/19

かつて、遊びと性的な話題は、分離していた

すでにご説明しましたが、かつてお店で遊ぶことと、性的な話題は分離していました。で、そうした背景から、さまざまな遊びの文化が花開いたわけです。
この辺の話題ですが、私のおじさん(70才で会社社長、年に数回一緒に飲むんですね・・・)と飲みながら話していたら、面白い話を聴けました。偶然ですが、一緒に飲んでいた銀座のクラブの名前が、昔あった銀座のグランドキャバレーと同じ名前で、昔を懐かしんで話題になったのです。
キャバレー、特にグランドキャバレーと呼ばれるお店は、昭和30年代前半までは、飲み屋さんの花形でした。今、リクルート本社があった場所には、かつてショーボートといえ、素晴らしいグランドキャバレーがあったそうです。お店の中には、大きな船が作られており、客が来ると大きなドラが、ゴーン、と叩かれたそうです。

今も銀座にはショーボートというクラブがありますが、グランドキャバレーのショーボートとは関係ありません。

キャバレーとは、本格的なショーと、女性による接客が行われるお店です。
で、当時は、そうしたお店では性的な話題はまったくなかったそうです。そのおじさんの意見ですが、そうした背景に、当時は赤線/青線があったからではないかとの事でした。そう、昭和30年代、日本では売春は合法的に管理されていました。

余談ですが、欧米では今でも、国や州によっては、売春は合法的に認められています。

そうした背景から、当時、異性との性的な話題と、飲み屋での遊びは完全に分離していたそうです。
そして、赤線/青線が廃止されてから、キャバレー文化は急速に衰退しました。
代わりにできたのが、キャバレーの接客だけを取り出したクラブです。
もともと、ショーよりも接客のほうが楽しかったのですから、当然といえば当然の発展でした。また、お店もよりローコストに実現できました。ただ、うわさに聞くかつてあったという豪華なキャバレーに行ってみたい気もしますが・・・。
世界有数の繁華街である銀座も、戦後に発達したに過ぎません。
つまり、グランドキャバレーの系譜から、クラブを派生させて発展したのです。その背景には、グランドキャバレーを支えた、遊び文化があります。この遊び方の源流は、江戸時代の吉原などで完成された粋な遊びの文化にあるようです。

余談ですが、キャバクラというのは、専門家ではなく素人の接客担当の女の子達がショーを行うお店のことです。つまり、キャバレー+クラブです。もっとも、そうではないお店がキャバクラを詐称したため、だいぶ違う風俗店まがいのお店が増えましたが・・・。

そう、私が学んだ遊び方の系譜は、そうしたルーツだったのでした。
そして、世界各地にそうした文化がないことにも、そうした背景の有無があったのでしょう。
このような細分化は、そうした内容の高度化をもたらします。
ですから、遊びが、ただの遊びとして独立していた時代、お金を使いながらですが、高度な楽しみ方を実現して行ったのです。
明治時代の大臣の奥さんに新橋芸者の名前が多かったのも、有名な芸術家が銀座に通っていたのも、昔の話です。
今の銀座には、社会の縮図である側面が、クラブにはあります。一昨年に羽振りが良かった客のほとんどは、ごみ処理業者、その前は、株屋さんです。宅急便会社なんかも。昔はそうした会社はすごい遊び方していまようです・・・。5件くらいのお店をはしごして、シャンパン入れて回ったんだそうです・・・接待予算を消化するためみたいですが・・・接待されるほうが疲れるような気がします・・・(^^;
飲み屋さんでのお話は、いろいろと面白いものがありました。
もう十数年くらい前でしょうか、もう時効だと思うので書いちゃいますが、ローレライに不釣合いにも(バブリーな人が通う店ではないので)、証券会社の人たちが、初老の人と訪れたことがあります。私はとなりのテーブルで盛り上がっており、なんか成り行きで仲良くなって話をしていました。

「君にいいことを教えてあげよう・・・株をやりなさい・・・必ず上がるから損はしない」
「君ね、知らないと思うが、この方はすごい方なんだ・・・お話が聴けるだけですごいことなんだよ」
「あ、そうなんですか・・・でも、私はそうした話嫌いなんですよ・・・ちゃんとした仕事で儲けるべきだと思うんで・・・」
「ははは、君、見たかね、こうした若者がいる限り、日本は大丈夫なんだよ!素晴らしいじゃないか!」
「はー、そうですね!」
「では、君にもうひとつ教えてあげよう、やがて1ドルは50円になる」
「なるほど、やはりそうでしょうか!、君も貴重な話を聴けて運が良いね」
「そうですね・・・」

私は、なんでか、話をしているのがむなしくなりました・・・そう、バブルって、こうした人たちが騒いでいたのでした。いい人たちですが・・・まあ、ね・・・。

しかし、書いていて、なんだかドラマのシーンみたいですね。
自分でも、呆れてしまいました・・・実話なのに・・・あはは・・・この時代をまともに解説しているコンテンツはこちらです。

ま、ご紹介した話題のころですと、まだ若くて収入的にも難しいので、私はクラブには行っていなかったのですが、きっと、こんな内容の話題で盛り上がっていたのでしょう。もう、壊れている話題ですが、バブル期にいろいろな系譜が壊れたというのは、あながち外れていないかもしれません。

今クラブを利用する客は、たまたま会社が羽振りのいい客と、私のような自腹客だけです。でも、かつて、バブル前は、自腹客が多かったんだそうです・・・。遊びの基本はその場で支払い、自腹・・・私が学んだ飲み方の基本でした・・・。

その場で支払いというのを、不思議に思われる方も多いと思います。その場で支払わない場合は、請求書処理になります。今から十数年前は、ホステスさんのお仕事には料金の回収がありました・・・。いわゆる、ツケですね。会社法が改正され、接待費は全額課税されるようになり、ツケはほとんどなくなりました・・・一部の店を除いて・・・。余談ついでですが、景気が悪くなった本当の理由は、接待費の全額課税であるという意見が、結構あります。だって、飲み屋でお金を使わないと、企業は大きなところでお金を使うだけになるでしょ・・・大企業にだけお金が集まると、世の中は不景気になります。同じ理由で、お金がちょっとできたからと、高級自動車を買うくらいなら、みんなでいろいろなところで飲み食いしたほうが、世の中は景気良くなります。言いだしっぺは、たしか高橋是清ですけど・・・真実です。

遊びの文化の衰退

ただ、現代において、もうクラブ文化も衰退し続けています。
東京や大阪では、まだある程度は維持されていますが、どうでしょう・・・時代とともに衰退はしていくのではないでしょうか・・・。
この前、銀座のおかまさんのお店の設立一周年記念パーティーがありました。
ずいぶんいろいろなお客さんが来るお店です。そのおかげで、コンサートのスタッフ席が手配できたり、いろいろと助かりました。で、深夜に、私はひとりで残り、他のお客さんたちのばか騒ぎを楽しんでいました。
そんなとき、ママ?の声が大きく聞こえました。そこは、私の左側のテーブルで、綺麗な女性が二人と男性二人のお客さんが来ていました。どうも、みなさんは大阪から来ていたようです。で、女性が、東京のホステスはたいしたことないとでも言ったのでしょうか・・お店のママ?がこう話していました。

「そりゃそうよ。そういえば、おだまり(大阪で有名なおかまのお店)のママもそう話していたわ、東京の子は情がないって・・・。だってさ、あなたのルックスで、あなたの接客で、しかも体を張ったら、東京のホステスがかなうわけないじゃない」

女性は黙ってしまいました・・・。おかまさんのお店は、こうした話題ははっきりとしています。最後まで言ってしまうんですよね・・・。ま、それが売りなのですが・・・。そして、女性は「体を張って」というキーワードに反論できなかったのでしょう。それは、ホステスさんとしては一線を超えてしまっているという意味で、遊びの文化から外れてしまっていることを意味しています。
でも、このママも知っています。
東京だって、そうした昔からの遊びをできるお店が減りつつあることを・・・。
それは、ある意味で、文化的な衰退が進んでいることを示しているのかもしれません・・・。
今の博多が、明日の東京かな・・・そんな気がした福岡旅行でした・・・。


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