かるばどすの日本文化論…03
お金で何でも買えると思っている日本人
バブルの傷が癒えない日本

2007/11/08
 げ…、この仕様でゲームを作るの…(^^;
SONY PlayStation 3

だいぶ前、PlayStation3が出たばかりのころなのですが、大手ゲーム会社のプロデューサーの方と食事していたら、ちょっと気になるお話を伺いました。

「SONY PlayStation 3のゲーム開発が、今の段階で判断すると、開発に4年位かかりそうなんです…グラフィクスの仕様も上げないといけないですから…」

「え、でも、そんなに開発期間が長かったら、ビジネスモデルからして、会社が成立しませんでしょ…」

「そうなんですよ、とても困るんです」

「だいたい、4年も経ったら、ゲーム機は新型が出ちゃいますよねー?」

「ええ、本当に…とんでもないですよね」

この話題、ちょっと説明が必要だと思います…。

ゲームソフトの売れ方には、本の出版とか音楽CDなんかと同じようなところがあり、発売後数カ月で販売の山を過ぎてしまいます。それを過ぎると、大して売れません。これは、製品としての性格です。同じソフトウェアでも、ビジネス系のソフトウェアは仕事の道具ですから、発売直後に爆発的に売れることはありませんが、発売後安定して売れ続けます。しかし、ゲームソフトは、楽しみのための消耗品的な性格があり、一気に売れて、欲しい人の手に渡れば、それでだいたい終わるわけです。言い換えると、その期間に売り切らないと、企業としては、売り上げになりません。

ですから、何年という長期間の開発期間を必要として、とても大きな開発投資を行ったとしても、発売後わずか数カ月で投下した資本を回収する必要があります。もしも、回収できなければ…大赤字となってしまいます。そうした製品に、事業そのものを賭けるほどに大きな予算をかけていれば、それだけで倒産してしまうかも知れません。実際のところ、今のゲームは、ゲーム機の性能向上や機能向上が行き過ぎている点があり、開発コストが肥大化しています。ですから、今のゲーム産業というのは、とてもリスクの高いビジネスとなっています。

このリスクを抑えるためには、開発期間を短くして、こまめに製品を投入してまわしていくことが必要です…きっと、開発から販売までで、長くても1年程度でしょう。そうしたビジネスをたくさんまわして利益を出すことができれば、数年おきのある程度の大作をちょっとずつ出す余裕もできるでしょう。

しかし、万が一、ゲーム機の進化とともに開発期間がさらに長くなってしまい、この話題のように4年もかかる開発期間がかかってしまうことが必要になってしまったら、ゲームソフト業界の企業の存続は不可能です…。もしもそんなことになれば、本末転倒ですね。古くから、「コンピュータ、ソフトなければただの箱」と言われているくらいです。

ゲームソフト業界が存続できないようなゲーム機は、存在する意味がありません・・・(^^;

まあ、ここで話題なった4年の開発期間というのは、超大作ゲームなのでしょうから、規模が違えば、もっと短い期間で開発できるゲームもあるとは思いますし、もうちょっと後に説明しますが、別な解決策も今ではあります…しかし、いずれにして、PlayStation3は、旧来よりはだいぶ開発に期間を必要とするみたいです。新聞なんかにも、そう報道されていますし・・・。

この時の話題は、とても引っかかったので、自宅に戻ってから、PlayStation 3のCPUであるCellの仕様書を、SONYやIBMのサイトからダウンロードして、読んでみました。

私の本業はIT屋さんです。そんな私ですが、PlayStation3のCPUであるCellについては、この時まで、新聞報道程度の内容しか知りませんでした。曰く、スーパーコンピュータ並みの性能とか・・・(^^;…適当に聴いていました…だって、IT屋でCellが素晴らしいなんて話題、出たことがないからです…でも、まあ、ゲーム機のCPUですので、使いやすい(ソフト開発のしやすいという意味です)CPUなんじゃないのかなーとか、思っていました。しかし、全く違う代物でした。本格的なOSを開発して使うべく設計されている、本格的なCPUだったのです。

IBM AIXシステム
Cellのチップです
IBMが開発したCellベースのシステムです
2つのCellを使用してます
ソフトウェアが良く出来ていて、ライブラリの演算処理が2つのCELL、合計16のSPFで分散して処理するようになっています。
Cellの構造概念図です。Cellは管理用の全命令が使用できる1つのPPEとデータ処理用に限られた命令が使用できる8つのSPFから作られています。これらのCPUを結ぶEIBを経由して、多くのCellを連携させて処理させることができます。うまく作れれば、PCのCPUの3倍くらいの性能が出ます。ただ、このソフト開発は、通常のOS開発よりも、遙かに大変です…(^^;
さらにアバウトな概念図…EIBがすべてを結びます
John von NeumAnn(1903-1953)
IBM 開発コード名Road Runner
16000個以上のAMD Operonプロセッサと、Cellを16000個使用して、1.6ペタFLOPS(1ペタって10の15乗/千兆です)の演算性能を持っています…OSはLinuxです
アメリカのロスアラモス研究所で2008年に稼働予定です。
IBMの技術者には、Cellだけでシステム構築ができないことは、明白なので…仕様書を見たらだれでもそう思います…AMD Operonも組み合わせたのでしょう。
このシステムは、特殊用途のコンピュータにすぎません。
2008/06/10の読売新聞によると、「米エネルギー省は9日、同省のスーパーコンピューター「ロードランナー」が、世界で初めて毎秒1000兆回の計算処理を達成したと発表した。」とのことです…(^^)
半分は日本の技術かも…(^^;


世界初の1T Flopsを達成し目的を達成して、2013年に撤去されました。
IBM Power6
IBMは、別にCellに賭けているわけではありません。Cellは所詮傍流の特殊な仕様…IBMの本命は、Power6です。CellのSPUのような特殊な仕様ではなく、対象型の本格的なマルチコアCPUです。現代のソフトウェア技術から考えると、そうしたデザインが本命で、CellのようなCPUは特殊用途にすぎません。
Power6搭載予定のシステムです

Cellの仕様書を見て、感じた思い、仕様そのものはIT技術者として見る分には本道にある、まっとうなものですが、それは本格的なコンピュータという視点であり、ゲーム機には行過ぎている…というものでした。率直なところ、驚いたというか、呆れたというか…。私たちの用語で、オーバースペックといい、意味もなく仕様を複雑化させる、もっともやってはならない選択の一つです。

「げ…この仕様、IBM AIXの延長線のままジャン、しかも、こりゃ、OSのない状態の裸の仕様だけじゃん…OS提供はCPUアーキテクチュアを提供したIBMからは、ないんだよね。Linuxは出てるけど…うーん、OS開発の経験のないゲームソフト開発の技術者の手に負えるの、これ…(^^;」

Cellは、IBM Power PC970 (Power5/第五世代PowerPC/64bit)をベースに開発されたものです。任天堂のWiiは、game Cubeの延長で、IBM Power PC 950(第三世代PowerPC/32bit)ですので、Nintendo Wiiと比べれば、2世代も進んでいます。

それだけ考えれば、凄いと思う人がいるのかもしれませんが、そりゃ、トーシロの発想で、実のところ、進化したCPUアーキテクチュアというものは、そんなに簡単な話題ではありません。

IBM AIXはIBMのunixマシンで、riscプロセッサ(高速に命令を処理できるように固定長で命令を処理するプロセッサのこと)となっています。もともと、しっかりしたコンピュータのための仕様であるため、このCPUの命令のある部分は、OSというコンピュータを管理するソフトウェアと、ペアに設計されています。

そして、OSで使用するための、専用の命令がいろいろと組み込まれています。ただ、こうした命令は、ほとんどの場合で、通常の技術者は知りません。それどころか、通常の技術者は、CPUの命令を、直接意識することすらありません。unix等であれば、C言語などでソフトウェア開発を行いますので、CPUの命令の仕様書を見るとは、ほとんどないのです。

ところが、Cellの仕様書は、CPUの命令について説明しているなかで、通常見ることがない、OSが使用するための命令まで、そのまま記載されていました。当たり前といえば当たり前なのですが、それは四半世紀前の感覚です。ですから、私の世代はこうした仕様書を見るととても納得するのですが、そうした反応は、現代では、稀な方です。こんなわけで、裸の仕様…と思ったわけです。

この資料を見ていると、Cellは本当にIBMらしいアーキテクチュア(考え方)でした。CPUの設計は、OSなどの作り方と密接な関係があり、一つの文化です。コンピュータシステムを設計した企業ごとに、独特の感覚があります

笑い話ですが、こうした感覚の齟齬のために、ハードウェアの設計が全く生かされなかった世界的な例があります。それはIntelの86系CPUアーキテクチュアと、MS-DOSからWindowsに至るOSのメモリや仮想記憶の管理です。IntelのCPUはセグメントレジスタを用意していました。セグメントレジスタは、元来はOS管理にして利用することで、セグメンテーション仮想記憶を容易に実現できるもので、バロースやハネウェル系のCPUアーキテクチュアでした。しかし、なにを違えたのか、MS-DOSではユーザー管理に任せてしまい、メモリマッピングや管理の仕方がIBM的なものになりました。その結果、アーキテクチュア的に混乱したプログラムが多く作られ続け、結局今まで、そうした文化的齟齬が続きました。その結果、最新のWindowsですら、仮想記憶はそれほど実用的ではなく、メモリの不足に弱いOSとして位置しているのが、今のWindowsです。

AIXで使用されているコントロールレジスタの仕様の感覚は、IBMの歴史的なコンピュータである、いわゆる大型汎用コンピュータのSystem 360/370/390のコントロールレジスタにも通じるものでした(この3種類を平気で一連と書く感覚から見ればという意味ですけど)。仕様を見ていて、とてもIBMらしいなーと感心したというか、変わらないものだな〜と思ったというか…。

そして、気になった点もあります。Cellは、AIXの中でも、特定分野のために特化した設計であることが仕様書から明白であり、この設計そのものが、実は不思議でした。特定分野とはゲームのことではありません。ですから、なんか、ゲームソフトに向いていないような気がしたからです。

CellというCPUは、ハード屋さんなら思いつきやすいデザインです。内部に1つの特権というか、普通のCPU(すべての命令が実行できます)であるPPE(PowerPC Processor Element)と、8つの限定された命令を実行できる演算専用CPUであるSPU(Synergistic Processor Unit)から構成されており、PPEを核としてソフトウェアの技術により管理することで、同時並列処理に対応するように設計されていました。SPUを活用するための、専用の命令を持っており、効率的な並列処理を実行できるようになっていました。また、Cellは、EIBを他のCellと論理的に(疎に)結ぶことにより、複数のチップを組み合わせて高性能なシステムを作ることができます。現在のCellはともかく、将来のものであればCellを数千、数万個使用して並列処理することにより、分野によっては極めて高性能なシステムを作ることができるでしょう…。

Cellのソフトウェア開発における注意すべき点はSPUそのものの設計にあります。SPUが限定的な命令しか使えないですし、利用できるローカルなメモリもそう大きくありません。でも、これはこれで、MpegやJpegのような圧縮系の画像データの処理には最適です。アルゴリズムの構造上、並列処理が容易であり、その際であればSPUの能力で十分であるからです。CellのCPUの仕様書にも、そうした利用分野が明示されています。リアルタイムな動画処理などに最適です。

しかし、ゲームソフトは、美しいグラフィクスを取り扱うとはいえ、そうした動画処理等の性格のソフトウェアとは違います。たとえば、シミュレーションのために、複数のSPUで並列処理するでしょうか…。もしくは、キャラクター別に描画するのでしょうか…。そのためには、テクスチャや3Dモデルのために、かなりのメモリ用量を必要とします。CellのSPUの仕様では、画像処理や演算を並列処理する程度が、関の山です。これは、言い換えると、Cellの能力を生かしたゲームソフトウェア開発が、ある意味ではとても大変であるということです。

そもそもですが、このような感じの、特化した並列処理型のCPUは、ハードウェアの設計よりも、使用するソフトウェアの設計の方が、もともと難しいものです。なにしろ、現代のコンピュータの動作原理って、並列処理に向かないんです。

現代のコンピュータの基本原理は、ノイマン型といいます。データや命令を組み合わせて作ったソフトウェアを記憶する場所(メモリ)と、命令を実行する場所(CPU)があり、メモリからCPUがコンピュータの命令を逐次読み出し、ソフトウェアを実行していくようになっています。つまり、コンピュータとは、1つのつながった場所(メモリ)に格納されている命令を特定の順番に読みだして、ソフトウェア実行するのが基本原理です。しかし、それだけでは単体で動作する1つのCPUを前提にしているだけです。率直なところ、ノイマン型の場合は、原理そのものが並列処理を前提にしていませんので、かなり工夫して並列処理を実現します。

このような背景が原理的にあるため、CellのようにCPUが、管理用に1つと処理用に8つの合計9つに分かれていると、ソフトウェアの作り方はかなり工夫しない限り、そうした構造を生かすことはできません。そして、それはOSにも波及して、独特なOSを用意すべきです。

ただ、こうした視点は、CPUからの視点であり、一般的な開発者にとっては、別な見え方になります。具体的には、Cellの特徴を活かすための命令そのものがハードウェアであるCPUの設計に従属して作られていることと、ソフトウェアの開発ツールに問題があるように見えることとなります。

Cellには、開発にC言語というプログラミング言語が使用できます。プログラミング言語とは、CPUの命令のままではプログラムを作りにくいので用意されているもので、ハードウェアを意識しないように設計されたプログラミング言語を使用することにより、CPUの構造などを意識しないでも、効果的なプログラムを作ることができます。

ただ、Cellのために用意されているC言語は、ちょっと違っていました。C言語には、Cell特有の命令を利用するためのCの命令が含まれているのですが、それはなんと、CPUの命令にそのまま対応して程度だけでした…びっくりしてしまいました…(^^;

これでは、プログラム開発者が、CPUの構造を理解していなければならないという意味になります…(^^;

一般的なプログラマは、このように裸のコンピュータ仕様でプログラムを作ることはありません。現代のコンピュータは、仮想化技術の進歩により、裸のCPUの仕様なんか、知る必要がないんです…普通のコンピュータですと…。これでは、ハードウェアを熟知していないとプログラムを作ることはできません・・・(^^;…それも、ゲームのために必要なグラフィクスハードウェアではなく、OSのあるべき姿とか、Cell特有のハードウェアの構造や特徴をです…。まあ、東京から横浜に行くために、東京-ニューヨーク-フランクフルト-大阪-横浜という経路を選ぶようなものです。大変なことですね…(^^;

IBMの資料を見てみると、Cellを2つ使ったシステムを提供していました。IBMのシステムでは、内部で使用しているソフトウェアライブラリが、計算量の大きい演算を行う時に、自動的に複数のCPU/SPUに負荷を分散しながら処理をするように作られていました…合理的です。Cellはこのように使うために作られているCPUであることは、明白です。

Cellは、動画などの演算量が大きく、並列演算しやすい分野のものを、逐次的に大量に計算する目的で作られています。

しかし、ゲーム機では、そうしたソフトウェアが本当に多いんでしょうか。
演算量が多いのは間違いないですが、動画処理のような明確に並列処理できるものとは、ちょっと思えません。IBMが開発したような、ライブラリが必須でしょう。

IBMのAIXアーキテクチュア仕様を発展させたCellは、そうした原理的に気がかりな点に加えて、ゲーム開発者への最低限の開発言語と、CPUの資料が公開されているだけなのでした…OSらしいOSもないんです…Linuxは後日に追加されましたけど…。

これで、ゲームを開発するのかね…(^^;

 結局、PlayStation 3は、Xbox360の性能を超え難い・・・

現実のところ、PlayStation 3には、PlayStation 2と互換性があるようにするために、旧来のハードウェアと互換性をとるために、古い方式のグラフィクスハードウェアも内蔵されています。でも、最新のものではありません。ですから、PlayStation 3の性能を最大に発揮させなくて良ければ…Cellの能力を発揮させる必要はありません。

とはいえ、それではPlayStation 3の意味がないわけで、困ります。

で、日本を含む全世界の多くのソフトウェア開発会社は、別な選択肢として、PlayStation 3のためのソフトウェア開発ツールを、アメリカの会社などに求めています。

アメリカではCG関係の会社が多いので、ゲームで使用できるライブラリ(ソフトウェアの集まり)を提供していたりします。それを購入して利用することで、PlayStation3のゲーム開発を乗り切ろうということです。

ただ、アメリカの会社ですが、多くの場合、Microsoft Xbox360用に開発しているものが多く、それに機能が加えて、Play Sation3に対応するようになっています。この結果、こうしたツールを使用すると、Xbox360とPlayStation3に対応することができるようになります。ここまでの話題ですと、素晴らしいのですが、現実には厄介な問題があります。

Xbox 360はPC用のハードウェアを基本にしたMicrosoftのゲームマシンで、日本で設計されているようなゲームマシン専用機とは、根本が異なります。Microsoftでは、Xbox360用に、たいへん優秀な開発ツールを提供し、合せてハードウェアの情報もきめ細かく提供しています。その結果、アメリカで開発されている様々な開発ツールは、Xbox360に最適に作られていたりします。

ゲームのような、グラフィクスを使用するソフトウェアは、ハードウェアに対応して作ります。
Xbox360はPCの延長線のようなハードウェアですので、Cellを使用しているPlayStation3とはまったく異なります。そうした場合に、Xbox360用に作られているソフトウェアは、PlayStation 3にも最適にできるのでしょうか…率直なところできません。同じように動作するだけであり、PlayStation 3専用設計のものとは、比較にならない結果となります。つまり、Xbox 360水準の性能を超えることは、期待しにくいということです。

つまり、アメリカで開発されている、マルチプラットホームを標ぼうしているツールを使用する限り、Xbox360の水準のゲームですら、PlayStation3で実現することは、やっかいかもしれません。

 なぜ、このような問題になったのか

PlayStation 3のゲームが少ないこと、ソフトウェア開発が難しいこと、これはよく報道されていましたが、その背景はここで説明したとおりです。

このままでは、PlayStation 3は、任天堂Wiiどころか、Xbox 360の後塵を拝するという事態になりかねません。
というか、海外ではそうした事態になっています。

SONYは、過日に、Cellの新規開発を断念し、すべての権利を東芝に譲渡しました。
CellのようなCPUは、半導体の製造技術進歩に合わせて、新しい技術のものに革新する必要があります。PlayStation 3の売れ行きでは、とてもそうした技術進歩に耐えられるものではなく、東芝に譲渡というのは、全く正しい判断だと思います。

SONYがCellの開発のために使用した予算は3000億とも5000億ともいわれています。

しかも、PlayStation 3は、製造コストがまだ高く、売れるだけ損害が出るといいます。
まあ、大失敗ということですね。

この原因は、なんなのでしょうか?

一言で述べると、SONYによるCellというアーキテクチュアは、選択の誤りであったということです…アーキテクチュアとは、コンピュータの考え方のことです。

SONYは、Cellのアーキテクチュアは、コラボレーションという美名のもと、IBMからある意味では、「購入」したものです。共同で作ったことになっていますが、Cellの仕様書を見る限り、IBM AIXをモデファイした仕様なのですから、「購入」という方がはるかに最適です。製造のためのコスト負担だけであったとしても、結局は買っただけのことです。

コンピュータのアーキテクチュアとは、考え方、基本思想そのものです…言い換えると、それはコンピュータの「魂」ともいうべきものです。

確かに、半導体製品としてのCPUは簡単に購入できます。で、使うのも簡単です。
しかし、アーキテクチュアを購入する場合は、そう簡単ではありません。アーキテクチュアは、考え方そのものであり、それをすべて理解し体現することができないと、アーキテクチュアを買う意味はありません。そもそも、実現する内容が、どけだけ意味があるのか理解していないと、借り物の魂を、使いこなすことなどできはしないからです。

そして、SONYには、それはできませんでした。
Cellを使用する権利は、IBMにもあります。
もともとCellはIBM文化圏のアーキテクチュアなのですから、IBMにはCellを十分に使いこなすことができます。結局のところ、たくさんのお金をSONYに負担させて、IBMはわずかな投資で新しい技術を入手したのでした…(^^;

かつての久夛良木氏

私がCellの資料を読んだ翌日、SONYのゲーム機の父と言われていた久夛良木氏が、ことあるごとに

「PlayStation 3は単なるゲーム機ではない…
次世代のコンピュータなのだ
連携して働くことで、今までのコンピュータを超える新しい時代を担うのだ」

という意味のことを話していたという資料を読みました。私は、それまでそうした発言を知らなかったので、あーあと呆れてしまいました。

これは、私たちコンピュータ屋さんの間では、グリッドコンピューティングとしてよく知られている話題です。

この技術、実は、それほど利用が渇望されている技術でもありません・・・(^^;…今のように、CPUがひとつのチップで作れる時代になれば、必然的に登場する話題です…ただ、この技術は、困難です…だって、ノイマン型のコンピュータというのは、もともと逐次処理が原理そのもの…並列処理には向いていないのです。現代のソフトウェア技術のすべては、並行処理にはあまり向いていません・・・(^^;

限られた、大規模演算を行う用途にだけ、期待されている技術です。
世界中のPlayStation3を結んで、処理をして、なにかしたかったのでしょうか…(^^;

なんのことはない、SONYの関係者たちは、IBMから、アーキテクチュアと夢を「買ったつもり」になって、聞いた話に夢中になっていたんですね…人の夢に夢中になるなんて、お気楽な人たちです事…(^^;

世の中、実は買えないものが、たくさんあります。
そのひとつが、このような「アーキテクチュア」や、どのように新しい世界を実現したいかという「夢」なんです。
別に、買えないものは人の心なんだよ…という気持ちはありませんが、意味的には似ています。

お金で買えないものを買った気になっていんじゃないかな?

今はSONYがCellから撤退しましたので、気楽に書けますが、Cellの仕様書を初めて見た翌日、私は友人たちに、笑いながら話していました。

「PlayStation 3の仕様書見たらさ、IBM AIXそのものなんだよね」
「え!!!?」
「SONYはさ、アーキテクチュアを買ったつもりなんじゃないかな・・・でも、IBMにいいようにやられているようなもんだよね…資料を見てたら、IBMの高笑いが聞こえる気がした」
「またかね…(^^;」

またか…というのは、日本の昔のコンピュータ産業で発生した、いろいろな事件を知っている人にはおなじみの、しかし、知らない人にはわらない、思い出話です。

昔の日本のコンピュータ…今でいう大型の汎用コンピュータ…のアーキテクチュアは、すべてアメリカの会社から提供してもらったものでした。結局は、富士通、日立は、IBMのアーキテクチュア、NEC、東芝はハネウェルの技術の系統へと収斂していきました。この時代は、提携してもらうか、盗むか、いずれかだったのですが…(^^;

IBM事件では日本の技術者が産業スパイをしていたと捕らえられ、OSの関係では、通産省が開示させたソースコードを長年使用していたことで、著作権が問われ…そうした問題を乗り越えて技術開発を進めてきました。

汎用コンピュータの技術は、世界で日本だけは独自に技術開発して展開し、日本だけが汎用コンピュータでIBMが首位ではない国となりました。苦労して、アーキテクチュアを自らのものとしたのでした。

もしも、買っただけで我が物とできるのであれば、苦労はなかったでしょう。しかし、お金が合っても、コンピュータ事業は成功できませんでした。昔、世界最大の電機メーカーであったGEやRCAも、コンピュータ事業から敗退して消えてました。

アーキテクチュアのようなものは、お金で買うというものではなく、ノウハウを体得していって、はじめてその価値がわかるようになります。技術的な話題でありながら、実際のところは、お金で買えるものではありません。

ホリエモンの活動が話題になっていた時などは、よく、テレビ番組で、「ホリエモンはお金で何でも買えるというが、それは間違っている…お金で買えないものがある」なんて、ちんぷんかんぷんな芸能人たちが一生懸命に話題にしていましたが、その具体性のなさにびっくりしました。買えないものは、心だとか、そんな話題程度だったからです。

実際のところ、買えないものは、利益を追求するものと言われている企業の水準で見ても、たくさんあります。企業の信念、思想なんか、買い取れるものではないです。そして、ここで話題にしている、コンピュータのアーキテクチュアや、アーキテクチュアが紡ぐ未来への夢なども、買う事ができないものです。アーキテクチュアは、さまざまなノウハウの集まりであり、形ではなく、意味を理解していないと、適切に応用することができないため、まったく役立ちません。なぜCellがSONY Play Station 3でうまく応用できなかったのか…簡単で、買っただけで自分のものにできなかったからです。特に、IBM式のOS設計方法/実装技術など、理解していないと、たとえLinuxをOSに採用したのであっても、最適な応用は簡単ではありません。

SONY 前代表の出井氏
同氏の「迷いと決断」という本を読んで驚いたことが一つだけありました…PlayStation3について、なにも書いていないんです。5000億のお金をどぶに捨てたようなことについて、認識がないんですね、きっと。久夛良木氏との関係もあるのかもしれませんけど…
同書を読むと、パソコンやゲーム機についての認識が、とても家電屋さん的であるという印象があります。まあ、それはそれで、SONYらしいなと思いますが、変なところに好き嫌いがあるのが、同社の戦略に出てくるので、今一理解できません。同氏の本には書いてありませんが、SONYの基本戦略でのMicrosoftやIntel嫌いは有名で、結構敵視しています(ビジネスですからVAIOなんかは出していますけど…同氏書よるとパソコンらしくないSONYらしい製品なんだそうです)…久夛良木氏もそうした発言が多かったみたいですね。システム屋の考え方が全く理解できない、家電屋さんなのだと思います。システム屋さんは、OSやコンピュータのハードについては、実は気にしないんです…なんでもいいやと思います…気にするのは、そうした製品を作る会社だけなのですが、SONYにはそうした製品がないんです…(^^;;
出井氏の功績はとても大きく、前時代的で極端な同族経営であったSONYを近代化して、本格的な国際企業とし、SONYの売り上げを大きく伸ばしました。ただ、同氏のためにSONYの技術開発体制は崩壊したといううわさも絶えません。出井氏を抜擢した大賀氏は、同社のリチウムイオンバッテリーの爆発事故が多発した際に、人事は失敗であったかも…と語ったと言われています。また、技術者出身でない経営者であったから、そう言われているのかもしれませんが、批判を受けても、同氏は、同族経営時代のなごりと理解しているみたいです。まあ、同族経営時代に確立していた技術開発体制なので、視点を変えればその通りだと思います。ただ、同氏が経営をしていた時代には、若い自由な発想の(経験の浅い)技術者を集めて、新しいものができたとか主張していることが多く、まあ、蓄積のない技術なんて大したことないけど…という評価も、一理あるかと思います。そんな同氏が、今は「日本らしい」とか「ものづくり」と語ることが多いのが、面白いところです。続いて経営を引き受けたストリンガー氏以降、SONYはまた飛躍しましたが、それは売り上げだけのことで、これといった技術的躍進があるわけではありません。
企業経営と、技術と、ものづくり、実は別々な話題であり、関係はないんですよね。

なぜSONYの技術者には、それがわからなかったのでしょうか…。

うがった見方では、SONYという企業の体質があります。
SONYは、コンピュータ屋さんが言うところの、システム全体を取り扱うビジネスをしたことはありません。製品を、一般コンシューマーに売ることが中心ビジネスです。アーキテクチュアは、システムビジネスにおいて重要な概念で、あらゆる製品、技術の根幹になるものです。しかし、一般コンシューマーには、あまり関係がないものです。

たとえば、SONYはBlu Rayという大容量光学ディスクの方式を開発し、東芝のHD-DVDと競争しています。コンピュータの世界の常識では笑い話です。コンピュータの世界では、共通の仕様を開発して、製品として企業は競争します。互換性のない製品は、システムを構築する邪魔です。そうした製品は、利用者から嫌われるだけではなく、システム展開にとって、不利となります。まあ、常識外れの展開ということです。

率直なところ、Blu RayもHD-DVDも、未来はあるのでしょうか…(^^???
私は、両方とも持っていますが、率直なところ、大騒ぎするほどたいした製品とは思っていません。利用者からみて、メリットが少なすぎます。運用コストが高すぎるからです。

ちょっと余談になりましたが、このようなアーキテクチュアの重要性は、システムを取り扱うビジネスで、製品の使われる寿命が、ハードウェアよりも長いという背景があるから、出てきます。いったん開発したシステムは、何年、何十年と使われていきます。アーキテクチュアが適切でないと、その寿命の中で、機能や性能の拡張に失敗したりします。それは、システムの失敗そのものです。ですから、膨大なノウハウがアーキテクチュアに集積しています。

言い換えると、適切なアーキテクチュアは、まだ見ぬ未来に対して続いています。
そして、適切なアーキテクチュアは、様々な夢の源です。

SONYの人々は、アーキテクチュアと夢を、お金で買ったつもりだったのでしょう。
しかし、それはSONYの夢ではなく、IBMの夢でした…。
お金を払っても、それは変わることがない事実です。
5000億円で、IBMの夢に投資が行われたのでした…SONYはそうしたつもりはなかったと思いますが…。

IBMは、別にCellに対して夢をかけたわけでもなく、自社では次世代CPUであるpower6の開発に集中しました。

率直なところ、欧米の技術者であれば、このような誤りはしなかったでしょう。Microsoftは、Xbox360を開発するに当たり、CPUやグラフィクスハードウェアは、専門メーカーの製品を調達して、システム製品として開発しました。ですから、各社のノウハウがそのまま利用でき、1社では開発できない、全く新しい・・・しかし、PCにとても似た製品を開発できました。その結果、様々なソフトウェア開発会社のノウハウも応用でき、様々な会社の技術が応用されています。このような発想が、システム製品の開発の基本です。つまり、Xbox360は、ひとつのシステムであり、根本的にPlayStation3とは異なる製品です。

まあ、ゲーム機がシステム製品である必要はないけれど…

とはいえ、ゲーム機はコンピュータそのものではありません。
ですから、システム製品である必要は、実はありません。

ただ、CellというCPUは、AIXというシステム製品技術の延長であり、率直なところ、ゲーム機としては、余計なアーキテクチュアを満載しているものです。

そのため、一般ゲーム開発者の技術では、手に負えない内容となってしまったのでした。

ゲーム業界の人たちの自負心としては、独自の開発ツール、独自のゲームプラットフォーム…という時代がありましたが、最新のゲームの世界では、世界全体で見ると、最新技術を多用しつつあります。ゲームでは、LANなどの通信スタックを当たり前のように使用している時代ですし、それは、各社が独自に対応するのでは、できるものではありません。それと同様に、開発したソフトウェアを再利用可能にするための資産化など、今まで実現できていなかった、しかし、やらねばならないテーマは数多くあります。

実は、ゲーム業界に限らず、技術的にコンピュータ業界では当たり前のことが、実現できていないために、日本では、デジタル家電もカーナビも窮地に追い込まれてしまいました。カーナビも、ほとんどがMS系のOSを導入することで、やっと問題を脱しつつあります。率直なところ、ゲームなどよりもはるかに潤沢な予算を使用しているカーナビですら、独自路線で解決は不可能となっています。

ですから、ゲーム機の開発企業が十分な開発環境/ゲームの運用環境を提供できなければ、ゲームソフト開発会社は、如何ともしようがありません。

任天堂のWiiみたいに、おもちゃの延長の方が、ゲーム機としては、順当であったのではないでしょうか?

そもそも、冒頭に書きましたが、ゲーム業界の体質を無視した製品では、意味がありません。
ゲーム業界は、日本とアメリカ、いずれも特異な実情がありますが、ゲーム業界のビジネスモデルは似ています。開発期間は、長くて1〜2年、販売して数カ月で回収…という大変リスキーなビジネスです。このような業界に使ってもらうハードウェアは、当然、そうしたビジネスモデルに対応していなければなりません。つまり、可能な限り短い期間でゲームを開発できて、開発会社の負担が低くならなければならないのでした。

過去においては、ゲーム機のソフトウェア開発は、簡単なものであり、ゲームに使用する絵を描くことそのものが大変でした。ゲーム機の構造が、まだ難しくなかったからです。しかし、新しいPlayStation3やWii、Xbox360では、同じではありませんでした。ゲームに使用する絵を描くのは大変であったのに対して、さらに、ソフトウェア開発の大変さが加わってしまったのです。

そりゃ、困りますよね…ややこしいCPUを有効に使える技術者は、ゲーム機の世界にはあまりいないでしょうから…(^^;

失われた魂の系譜…

失われた10年という有名な言葉があります。
バブル経済が崩壊して、日本の富が突然失われてからの10年間のことです。
この10年間は何だったのか・・・それを語る言葉が失われた10年です。

私は、この話題を聞いた時に、ちょっと違うよなと思っていました。
バブル経済そのものが、日本の大切なものを壊してしまっていたように思っているからです。
そうした視点からすると、バブル経済が始まってから、失われたものがあり、バブル経済の崩壊なんか、意味があるのか・・・という感覚が、私にはあるのです。

バブル経済崩壊でお金が失われる前に、バブル経済により吹き飛ばされてしまった大切なものがあります。
それはなにか…人々の価値観の中で、お金で買えないものについての考え方です。
そのほうが、日本社会に大きな爪痕になっていると思います。

バブル経済の時代は、なにをしていても儲かった時代です。
その結果、社会全体にお金が回っていきましたが、代わりに、大切に守られていた商業やビジネスの道徳が、根本的なところで揺らぎました。
なにしろ、そんな面倒なことをしなくても、儲かるからです。
バブル経済の時代、儲かることがよいことであると信じられていました。
そして、儲からないことは、捨てられていったのです。

日本の工場は、工賃の安い中国へ移動を始めました。
高品質な製品を製造する体制は、日本から中国に、移転していったのです。

ここのところ、賞味期限や製造日付の偽装の話題が多くあります。
伊勢の銘菓、赤福や御福も製造期限偽装で、大騒ぎです。

赤福の偽装は、30年前から、御福の偽装は25年前からです。
この時期って、バブル経済が始まったタイミングと、見事に一致しています。

戦時中は、砂糖が手に入らないということで、潔くお店をめていたという赤福は、老舗の誇りを失い、外道に成り下がりました。

その理由は、バブル経済に踊らされた阿呆な経営者と職人たちではないでしょうか。赤福300年の歴史の中で、その1/10の期間は、銘菓としての信頼に足るようなものではなかったということですね。これは、成り下がったということであり、もう、十分にお恥ずかしい状態です。これらの製品は、赤恥とか御恥と名前を変えたほうがいいような状態ですね。銘菓という看板も、下して、100年後にもう一度それに足るものかを、自身で問うべきでしょう。

お菓子ですと、わかりやすいのですが、そうでない製品も同じような弛んだ事態を、バブル経済は引き起こしています。

販売店の例です。
私の趣味のオーディオでは、バブル時代には「40万円くらいの機械は、並べておくだけで売れるんですよ」という話題がありました。スーパーの店頭にでも並べたら売れるという感じです。ですから、当時のオーディオ製品量販店には、いろいろな製品が意味もなく「山積み」してありました。本当は、その製品の良さを伝え、使い方を伝えて、長く使ってくださいと販売すべきものです。そうした場合は、一部屋に1〜2システム程度しか設置できません。そうしたちゃんとした販売方法のお店は、欧米系のお店のみとなり、日本のオーディオショップは単なるがらくた置き場になりました。そして、バブル経済が崩壊し…そうした店は潰れてしまい、オーディオという趣味まで危機的に人口を減らしてしまいました。なに、音楽のすばらしさをお店が伝えられないのであれば、買う人なんているはずはないのですから、あたりまえです。

同様なことが、いろいろな企業にも発生しました。

製造業は、自社技術での製造を諦める企業も多く出てきました。技術進歩のスピードが速くなったことに原因がありますが、技術開発そのものをしなくなってまうという、かなり行き過ぎた判断の企業も多く出てきました。
たとえば、自社にないものは、技術でも人でも他から買ってくれば良いのだ…なんて感じです。

それが、当たり前になった会社が少なくありません。
そうした会社は、はじめは早く製品が調達でき、市場に提供できると思っていも、結局は、他社と同じ製品を並べる「小売店」に落ちぶれるわけですから、最後には競争力を失ってしまってしまいます。
結局は、早く手に入る代わりに、会社の未来を失うのでした。

実は、私も、昔務めていた会社で、そうした話題ばかり言われて、うんざりしていた時代があります。ちなみに私は開発の責任者でした。
適当に、言われるように他社から調達をしましたが、ろくでもないものが多く、結局は、あまり役立ちませんでした。
結局、他社からの調達では差別化できませんし、そうした製品に問題があった時に、致命的なトラブルになります
他社からの調達は、よほど正しく判断していないと、結局はコスト高になります

でも、現代でも、技術も人も他から買うことをしない企業風土の会社もあります。
それは、カメラの会社です。
そうした会社は、企業文化として、すべてを自社開発する習慣があり、今でも他社と提携して技術導入という文化がありません。そのためか、未だに元気がいいみたいですね。

SONYは、遠い昔は別として、ここのところは、そう自社技術のある会社ではありません。
ちょっと有名な話ですが、SACDなんかを開発した際に、技術を普及させるために海外の他社に対してもSACDの基本的な技術部分を提供しました。ところがその品質が悪く、他社製品も大騒ぎになってしまいました。その理由は簡単で、提供した技術を外注会社に開発させていのですが、それがとても程度の低いものだったのです。海外の会社は、SONYがその程度の技術しかないことにショックを受け、何年もかけて自社で問題解決を図るという事態に追い込まれました。

その昔、SONYは苦労しながら自社で技術開発していた時代がありますが、今はそうしたものが無くなってしまっているのでしょう。

そして、そうした企業文化の中、なんでもお金で買えると勘違いして、よりによって、コンピュータ技術の核であるアーキテクチュアと、未来に対する夢を買ったと誤解したのでしょう…

PlayStation 3に、IBMの夢と、SONYのBlu Rayについての野望が、ひとつのものとして結実してしまいました。
そこには、主役であるゲームソフト会社の立つ場所は、ありません。
まあ、簡単なゲームと、Xbox360水準のゲームは出るでしょうが…それではなんの独自性もない、他のプラットフォームと同じゲームタイトルばかりになるので、PlayStation3の立場はないですよね。

コンピュータ屋の目から見ると、次世代ゲーム機っていうのは、任天堂WiiとMicrosoft Xbox360…だけなんじゃないでしょうか…(^^;

SONYが10年間、Cell beのアーキテクチュアを堅持することができるなら、専用の素晴らしいゲーム用のOSや開発ツールを発展できるので、違う展開もあり得たでしょうが、そんなビジネスのやり方を知らないSONYは、もうCellから手を引きました。アーキテクチュアとは、発展させるからこそ意味があるもので、手放す可能性があるのであれば、手を出すべきではなかったのです。

バブルの傷跡が癒えない日本

日本では、経済のグローバル化とか、アメリカ化かといいますが、実際のところヨーロッパやアメリカでは、安ければよいとか規模が大きければよい・・・というものだけではなく、良くて少量だけ提供されているものが、いろいろと残っています。

欧米では、企業の経営理念だって、儲かれば良い…という、簡単なものだけではありません。
いろいろな企業があり、規模を追求しない会社も少なくないのです。
まあ、日本にもそうした会社はまだありますが…SONYは違います。

欧米の社会では、経済的なもの/規模的なものとは別に、質的なものについて、規模は小さいですが、確実に守られている世界があります。

たとえば、ドイツやフランスでは「職人」は引き継がれており、世界的な評価を受け続けています。
それは、手工業的な伝統工芸だけではなく、工業的製品でも同じです。

日本でも、手工業的な一部の伝統的製品には「職人」が引き継がれていますが、多くの企業では、もはや失われています。

お金に換えられないものがあることを忘れてしまった傷は、バブル時代から今も続いています。
PlayStation3を見て、そう思ってしまうのでした。


-広告について-

Google
  Web www.calvadOShof.com