オーディオの遍歴
第16章 音楽よ、届け!


第15章 でも、意味を明らかにする音はある・・・
オーディオの遍歴 INDEX
第17章 音楽の結界… ゲシュタルト崩壊の新オーディオ・フォーマット

2003/07/23

■お断り■
このコンテンツは、2002年の浜崎あゆみのコンサートについて述べているものです。
浜崎あゆみのコンサートは、2003年の30thシングル記念コンサートから、大きな進歩を遂げました。今の浜崎あゆみのコンサートは、現状の機器水準の中では日本で最高水準になっています。世界的に見ても、一流以上ではないでしょうか。
ですから、今の浜崎あゆみのコンサートの話題ではないことに、ご注意ください。
で、もしも、このコンテンツで説明するようなことをしちゃうと・・・世界最高水準になっちゃうんでしょうね・・・(^^;
より進化してもらいたいものです・・・。

01 音楽を受止めることと、音楽を届けることは、根本的に違う

音楽という芸術の場において、送り手であるミュージシャン側の人たちと、受け手である私たちがあります。

つまり、音楽を届ける側(聴く側からすると届けられる側)と、音楽を受止める側(届ける側からすると受止められる側)が、それぞれ別々にあり、そのなかに音楽という芸術の場が、成立するわけです。

ご好評を戴いている「オーディオの遍歴」というコンテンツは、どのように音楽を、オーディオ設備を経由して受け止めるかについて述べているものです。つまり、受け手の観点で多くを述べています。

そうした中で、音楽の送り手についてちょっとだけ言及している部分を含んでいるコンテンツがあります。オーディオの遍歴?N 感動させる音などない・・・でも、意味を明らかにする音はある・・・です。しかし、このコンテンツであっても、送り手についての話題は、聴く側からの視点に留めています。そうした背景から、このコンテンツでは話題は音楽の本質という話題へと集中していきました。そして、そうした受ける側の視点から音についての技術的な話題も述べました。このため、音楽を聴く側の視点を理解できていない人たち、つまり、音楽の送り手の人が見ると(受ける側が理解できていない送り手と少なくありません)、理解しにくい点があると思います。

北京で初公演の浜崎あゆみ

私自身としてはオーディオという受け手の趣味ですので、聴く側に徹してコンテンツを作っていました。しかし、それではいけないのではないか・・・と考えるようなことがありました。

いろいろな場所で浜崎あゆみのコンサートを楽しんだのですが、その際のコンサートで音を聴いていて、いろいろと問題を感じもしました。

もちろん、浜崎あゆみのコンサートそのものに問題があるというわけではありません。恐らく、浜崎あゆみのコンサートは日本でも最高レベルのPAが行われ、最高レベルのスタッフが運用していると思います。中国で行われた大コンサートと比較してしまうと、浜崎あゆみのコンサートの方が、そうしたサウンド的な点でも圧倒的に上でした。

中国で行われたコンサートについては、
ぴんちぃ〜ぷぅ〜(濱崎歩)もびっくり大型歌会の裏の裏
見聞編 解説編をご覧ください

しかし、そんな日本では最高レベルにあるであろう浜崎あゆみのコンサートですら、私には音を届けるという点について問題が多く感じらたのです。

その問題の本質は、現代的なものであるとも感じました。最新の設備と、確立された様々な音響理論を応用しているはずでありながら、音楽が届いているとは言いにくいものを感じたからです。言い換えると、そこには、paそのものの運用になにか形式化したものが横たわっており、そのために根本的な誤りを犯しているように感じられたのです。そして、クラシックの時代に確立したあらゆる知恵ですら現代のPAの運用において、ちゃんとは引き継がれていないことを目の当たりにした気がしたのでした。
率直なところ、現代のミッシングリンク(失われたつながり)というか、ゲシュタルト崩壊(瓦解した統一性とか全体性という意味です)をそこに垣間見て、驚いてしまったのでした。

そこで今回のオーディオの遍歴では、音楽の送り手についの話題を、今までよりも少し詳しく述べ、何がおきており、何がその解決に何がつながるかを、出来る範囲でご説明していこうと考えました。そして、そこでお伝えする知識は、通常のオーディオでも役立つはずです。ご好評を戴いている第14章 特別編 いける音は遠くない・・・というコンテンツでご説明した内容の理論的背景もご理解いただけると思います。

まずはじめは、コンサートで私がなにを感じたのかを、お伝えしたいと思います。
浜崎あゆみのコンサートを何回も行くことになった経緯をご説明しましょう。

02 これはいけるジャン・・・と思った、浜崎あゆみ2001-2002カウントダウンライブ

ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002

私が浜崎あゆみのファンになったのは、2000年のことです。そのきっかけは、DVDでした。初めてのDVDが発売されてから、購入しました。しかし、見たのは、購入後数ヶ月後のことでした。

この辺の話題はこちらに詳しく載っています。

買ってからしばらく放置していたDVDでしたが、なにげなしに見てから、浜崎あゆみにはまってしまった訳です。

友人からはとても驚かれました。私がJPOPS、それも浜崎あゆみを聴くというのが、あまりにも意外であったからです。クラシックでも、技巧だけではなく音楽解釈についても深く聞きたがる癖があり、普通に人気のある音楽家が、音楽の解釈が合わないと好みでなかったりと、相当はっきりした嗜好を私はもっています。

そんなでありながら浜崎あゆみにはまった私でしたが、ライブ・コンサートには、どうしても行く気がしませんでした。

コンサートでは、アルバム制作のような手間をかけた加工が、音楽に対して出来ません。

ですから、ライブで見たら、いくらなんでも嫌いになってしまうかもしれない・・・そんな気がしていたからです。

クラシック音楽やジャズは本質的にライブ演奏で楽しむものです。ですから、ライブにこそ音楽の基本があり、アルバム制作はそうした音を中心に行われます。。それに対して、アルバム制作技術を駆使したJPOPSのような音楽が、別なものとして存在しています。そうしたアルバム中心の音楽は、本質的にライブで楽しむことが難しいものとなっています。たとえば、Enyaなどは、ほとんどライブ演奏は不可能です。音のすべてが作られたものでありライブ演奏できないからです。似たような背景がある音楽としては、宇田多ヒカルなどもライブ演奏が難しい音楽ですね。歌はともかく、楽器の音の加工がEnyaのように激しいからです。楽器ごとにとても激しく正規化されており、アコースティック楽器の自然の音ではありません。楽器の音を素材にした電子音という方が正しいと思います。ただ、多くの人は気づかないようですが・・・。音をそれほど加工していない浜崎あゆみの音楽の方が、比較的に過ぎませんが、ライブ演奏がしやすいのではないでしょうか。

そんな思いが続いていた中、浜崎あゆみのファンクラブで何気なしに申し込んだ、舞浜で行われた2001年のTV生放送コンサートに当選してしまいした。浜崎あゆみは1曲歌うだけのコンサートでした。行く気がしないといいながらも、ただですし、いろいろなアーティストが出るので、行ってみたくなりました。行ってみると、頻繁に舞台設備が入れ替わる、放送専用コンサートで、観客は単なる設備みたいなものでしたが、収録を初めてみる人には十分に楽しかったと思います。全体的な印象は学芸会みたいでしたけど楽しかったです。そして、私には、1曲だけの浜崎あゆみの生歌を聴けることで十分でした。そして、感じたのです。

「なんだ・・・生あゆ・・・いけるじゃん・・・」

このコンサートで、そんな風に感じたのでした。そして、なんとなく封印していたライブコンサートへ行くことについて、躊躇する姿勢がなくなりました。

そして初めて浜崎あゆみのライブコンサートに行くことにしたのが、浜崎あゆみ2001-2002カウントダウンライブでした。
場所は、代々木第一体育館でした。ここは、東京オリンピックの際に作られた競技場であり、ライブ音楽のために作られたホールではありません。

このコンサートは、後日にくだらない話題が上がりましたが、私にとって、コンサートとしてはとても良いものでした。なにしろ、席が良かったのです。

くだらない話題についてはこちらをご覧ください。

私の席は前から3列目、これは、実にいい席でした。
なぜ前から3列目がいい席なのか・・・浜崎あゆみが近いから・・・というのもありますが、一番の理由は、音そのものにあります。
このような位置で聞くコンサートは、かなり、いけます・・・(^^)v
その理由は、後に説明しましょう。

実は、この日のコンサートを堪能した後、「後ろの席だときつそう・・・」と思いました。そして、2002-2003カウントダウンは、しっかり後ろの席でした・・・そして、やっぱりきつかったです・・・(^^;

私は、このコンサートに味を占めて、2002年には、日本中を巡り浜崎あゆみのコンサートを見ることになりました。友人からは、「追っかけしてるんだ」ともからかわれました。

しかし、本当の背景は、私のライブの楽しみ方そのものにあります。ライブには、同じ演奏は二度とないので、ツアーのそれぞれの特徴的な日程で楽しむことが、本当のライブの楽しさであるのです。ですからライブコンサートや演劇は、そのシーズンの、初め、真ん中、最後に行く習慣があるんですね。結構昔からの習慣でした。ライブは、変化が面白いからです。

そんな私ですから、ツアーが日本中を巡るのであれば、私も日本中を回ることになってしまった・・・それが2002年のツアーの際に、日本中回った本当の背景です。

03 音楽を観る、大規模コンサート

ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002
ayumi hamasaki STADIUM TOUR 2002

ライブコンサート巡りをすることになったきっかけの、代々木第一体育館は、多くても1万2千人くらいの規模です。浜崎あゆみのコンサートとしては、規模が大きいものではありません。

もっとも、私が過去に行ったコンサートではそれでも最大級です。私は、普段は数十人規模のコンサートを楽しむことが多いからです。多くても数百人くらい。音楽の質とは、規模とは関係ありませんから・・・。

日本各地のアリーナで行われた、2002年のはじめのコンサートツアーは、会場の規模に応じて1〜3万人となります。二度とやらないと浜崎あゆみが本を経由して述べているドームツアーでは、会場の大きさに難しさを感じたからなのでしょうか?

2002年の浜崎あゆみのコンサートツアーは、2シーズンになっていました。初めのシーズンがアリーナ・ツアー、2番目のシーズンがスタジアム・ツアーと呼ばれています。

ま、コンサートとしては十分に面白かったのです。
比較的いい席を得られたこともあり、また、振動補正型双眼鏡などのおかげもあり、DVDなどでは楽しめない実在感を体験できました。
しかし、問題も感じられました。それは、音です・・・どうしようもなかったのでした。
素直なところ、この音でファンが楽しんでいるのは、立派なことだとは思いました。ライブコンサートというのが、生のアーティストと接する良さとして理解するならば問題はないのですが、それは聴き手の視点であるはずです。送り手がそうした視点ではいけません。

もっとも、アーティストがなんらかの対策ができるわけもありません。総合監督はアーティストではありませんし、だいたい、規模の大きなコンサートとは音楽の側面でないものも、多くあります。そうした総合芸術としてのライブコンサートは分業された様々な人たちにより実現されます。ですから、総合芸術としてのコンサートにおけるこの音の問題の責任は、PAの技術者たちにあります。
私は、そうしたプロはなにをしているのだろうかと、状態の悪いコンサート毎に、考え込んでしまいました。
そして、2002年の第二シーズンに行われた、スタジアム・ツアーでも、その音の問題はまったく対策出来ていませんでした。
こうなると、音楽を聴くというよりも、音楽を観るというのが、大規模コンサートなのかと思わざる得なくなりました。

浜崎あゆみもそう思ったのでしょうか・・・2003年のライブ・コンサートはTeamAyuのメンバー限定、しかも会場は1000人くらいです。しかし、音の問題はここで説明する内容が解決できているわけではありません。avex系ライブハウスの設備そのものに起因する、会場そのものの貧弱なPA設備のため、ややこしい状況があったように思います。

しかし、音楽は観るだけではいけないのではないか、音楽を聴くという側面がもっと重視されてもいいのではないか・・・私はそう思うわけです。そして、そうした認識が、このコンテンツの基本にあります。
このコンテンツのタイトルである、音楽よ届け・・・とはそうした気持ちをそのまま名づけたものです。

実は、同様な知識を応用しているコンテンツがあります。第14章 特別編 いける音は遠くない・・・です。ノウハウものとして楽しんでいただけているようです。

音楽を届けること、歴史的に見て、そこには多くの努力が行われてきました。そうした、積み上げられた知識の成果と、現代の最新技術についてもご説明したいと思います。

まず、これから、私がいけると感じた、浜崎あゆみ2001-2002カウントダウンライブについて、なぜ聴く側の立場であっても良かったのかをご説明しましたょう。

04 なぜ2001-2002カウントダウンライブはいい線に感じたのか

2002年に、コンサートツアーをいろいろと楽しんだきっかけには、2001-2002カウントダウンライブがいい線いっていたというのがあります。
これには本質的な理由があります。
私の席は前から3列目、上手側の席でした。

そして、前から3列目で聴いたこと、そこにすべてのキーワードがあります。以下が代々木第一体育館のこの際のステージの構成図です。

このような構成の場合、収容可能人員は推定で1万2千人くらいではないでしょうか。ま、うる覚えで書いてますので、この図を含めてそれほど正確ではないと思いますけど・・・。

浜崎あゆみ2001-2001カウントダウンライブ イメージ図

ステージの幅は30mくらいですが、舞台袖が作られていましたので有効なステージの幅は、推定で20〜25m、この両端にスピーカーがありました。
また、各楽器のスピーカーはステージの後部にそれぞれ配置されていました。

このような構成で、私はほぼ最前列です。つまり、各スピーカーがとても近い位置であったのでした。

音は広がりを持って進みますが、それはスピーカーの指向性が緩くなるように作られているからで、音はスピーカーから直進します。そして、私たちの耳には、音は、スピーカーから直接に届くばかりではなく、壁から反射しても届きます。
このイメージを示すと下図の様になります。

ステージ上手の
舞台上手スピーカー
ステージ外の
聞いている場所(リスニングポジション)
赤い矢印
スピーカーから聞いている場所への最短経路
青い矢印
スピーカーから聞いている場所への二番目の最短経路

図ではちょっと赤い矢印が見分けにくいかもしれませんね。とても短いからです。

青い経路が本当に一番短いかは実際には計っておらず、あてずっぽうです。・・・(^^;・・・円形の壁を持つ体育館ですので、他の経路の音は何回も反射して届くようになるため、前方で聞いている場合は、一般的に、聴いている場所の背面からの反射が最短になると思います。こうして見ると、一番短い経路は5mくらい(スピーカーは上にあるのでちょっと距離があります)、次の経路は140mくらいとなります。音は真っ直ぐに進むので、一回反射するのが次の最短経路になるからです。もっとも、床や天井の反射があるので、他にも短い経路はあるのですが、話がややこしくなるので、ここではちょっと割愛します。

音は距離の二乗に反比例して減衰する(というのもちょっと嘘があるのですが・・・本当は、スピーカーの持つ指向性により減衰の仕方には違いがあります)ので、単純に考えると直接に聞こえる音は、反射してくる最も大きな音(つまり1番目の反射音)と比較して、784倍の大きさとなります(壁の反射率はわかりませんし、閉じた空間なんで、こんな単純ではありません、あしからず)。つまり、前で聞いていると、ほとんどがスピーカーから直接に届く音なのです。間接音は少なく、ホールの音を聴かないで済みます。後述しますが、このことが有利に聞ける場所であることを示しています。それが前方の席なのです。

実際には、もっとこの音の大きさの比率は小さいはずです。会場で使用されていたスピーカーは、後述するライン・アレイ・スピーカーでしたし、コンサート会場のような閉空間では、音のエネルギーはそう減少しないため、反響音のエネルギーレベルは高くなるからです。そして、それは、かなりまずい状況でもあるのです・・・。

実は、このホールですと、ステージから最も遠い席は辛いものがあります。実は、2002-2003カウントダウンライブはそうした席だったので、その際の音は困ったちゃんでした・・・(^^;・・・きっとそうした状況と思って聴いたら、案の定・・・だったわけです。
ところで、浜崎あゆみのコンサートでは、というか、音楽を聴く際に、このような大ホールの音を聴くと、なぜ問題となってしまうのでしょうか・・・。

それを理解するためには、音というものを、よく知る必要があります。
最も大切なのは、音の速度が比較的遅いことと、音が波であることを理解することが第一歩となります。

05 音の速度は、とっても遅いんです・・・

ベル研究所 X1
アルバート アインシュタイン
1879〜1955
特殊相対性理論を、特許庁に勤めていたアインシュタインが確立したのは
1905年、享年26歳でした。そう、今(2003年)の浜崎あゆみより1歳年上に
過ぎないときでした。
ここで説明した一般相対性理論を確立したのは、1916年です。

人類が音の速度を超えたのは、1947/10/14、ベル研究所が開発したX1の飛行によってでした。

この時のx1を操縦したテストパイロットは、チャック・イェーガー、小説/映画「ライトスタッフ」で有名になった、伝説のパイロットです。
飛行機が音の速度を超えるとき、飛行機には強いストレスがかかります。音の壁といいます。昔の技術では、そうした速度になった際の衝撃波で飛行機が分解したりしていました。「空には悪魔が住む」といわれていた時代です。

もしも飛び去る方向に音速を超えて飛行している飛行機に向かって叫んでも、音よりも速いのですから、その音は飛行機には届きません。音の速度とは、1秒間に340mです。時速1200キロ程度、新幹線の速度の4倍弱に過ぎません。

音速は、空気の温度、密度で変わります。

音の速度は、光に比べると圧倒的に遅いので、人類はその速度に半世紀以上前に到達することが出来たのでした。

といっても、光と音の速度差でも90万倍弱くらいの違いで

ま、光の速度に人類の移動速度が到達する日があり得るのか、現代科学の水準では、ちっともわかりませんが・・・。

■余談ですが光速度について
光の速度は、宇宙の何処でも、また、移動しているものの上であっても、不変であると考えられています(中学校とか高校では、まだこういう風に教えてないんですよね、きっと・・・。ご覧の方で学生さんは、注意してくださいね)。
私たちの一般的な感覚では、距離とか時間、そしてものの重さ(質量)は絶対的なものです。そして、速度とは時間とともに距離が変わることをいいます。ですから、自分が動かないことを基準にして考えることも出来、相手との時間経過による距離の変化として理解できます。そう思うため、光の速度は移動している状態とそうでない状態で違うかもしれないと思ったりします。しかし、本当に不変なのは、光速度そのものであり、私たちの位置や時間ではありません。この事実が明らかになった19世紀に、物理学者たちは困惑しました。実は、光速度がすべての基準であり、普遍であったのです。物の重さも、距離も、光速度を基準に理解するほうが正しく理解できるのです。これが、相対性理論の基本です。このような背景から、質量は光速度を基準としてエネルギーと置き換えることが出来ます、e=mc2、つまり質量mに光速度の二乗をかけたものが、重さを持つものが持っているエネルギーの量です。もしも、質量が失われると、その失われた質量に対応して、この式による莫大なエネルギーが生まれます。この莫大なエネルギーが原子力エネルギーとして知られているものです。
光の速度がすべての基本であるため、質量は速度により変わります。速度が光速に近づくと質量がどんどん増加します。そして光速度に達すると、質量は無限大となってしまいます。このような背景があるため、現代科学では光速度を超えることができるのかできないのか、ちっともわかりません。光速度を超えるという意味が理解できないからです。ま、不可能というのは言いすぎです。私たちは宇宙のすべてを理解しているわけではないからです。一般相対性理論は最終的な理論ではありません。まったく異なる考え方による不確定性原理も宇宙の真理を語っているからです。そして、何れも、宇宙をすべて語るには依然として不完全なのです。ですから、将来に、相対性理論や不確定性原理を統合する万物の理論(その候補としてM理論とかいくつか考えられています。それによると、私たちの世界は13次元・・・(^^;)が登場すると、光の速度を超えることの意味がわかる日が来るかもしれません。

さて、話題がコンサートから、音速や光速の話に、いきなりワープしました。
そろそろ、浜崎あゆみのコンサートに戻りましょう。

このように音の速度が遅いために、スピーカーから音が出て、耳に届くまでには時間がかかります。この代々木第一体育館で私の聞いていた場所の場合、以下のように感じになります(音速は340m/Secとして計算しました)

距離
遅れ
最短距離
5m
14.7mS
一番早く着く反射音
140m
411.8mS

率直なところ、このようなずれは、人の耳には異なった音に聞こえますので、会場の反響音として感じられますし、音の大きさも比較的小さいので、それほど音楽に悪さをすることはありません。

しかし、この時間が近く、しかしずれていて、しかも音の大きさが近いと、音楽に深刻な影響を与える場合があります。たとえば、コンサート会場でもっとも離れた場所である、ステージの反対側などでは、いろいろな反射の音が同時に同時に届いてしまいます。そうすると、音は激しく歪むこととなるでしょう。その理由は、時間差のある音が届いてしまう事にあります。

音は波として真っ直ぐに進みますので、この時間の違いがある同じ音が、私たちのところに届くと、音は混ざり合い、まったく違った音として聴こえるようになります。

その理由は簡単で、右のように波が重なると、波の形が大きく変わってしまうからです。波の形が変われば、音は違うものとして聴こえるようになってしまうのです。

しかし、この交わる2つの音の大きさが、極端に違うと、私たちにはわからない程度しか音は変化しません。この場合は、直接の音が大きく聞こえ、反射音は無視できるほど小さくなります。つまり、音は変わらないようになります。また、大きく時間が違うと、別な音として感じられるようにもなります。もっとも、同じ音が長く続くと、良くない結果になります。

これが、PAを使用していた浜崎あゆみ2001-2002カウントダウンコンサートの際に、私の席のようなホール内の音を聴かない場所であったときに、音が良く聴こえやすい理由です。音が、変化しにくく、アーティストが意図した音が届くのです。

ところで、ここで述べた話題であるホールの音とは、クラシックの世界では大切なものとして理解されています。ですから、そうしたことをご存知の方には奇異に感じられる話題かもしれません。
そもそも、ホールの反射する音とは、有害なのでしょうか、大切なものなのでしょうか・・・。

クラシックでは、ホールとはとても大切なものです。
その理由は簡単です。クラシックでは、PAを利用しないからなのです。

人が鳴らすアコースティック楽器の音の大きさは、大きな音が出るように何百年も研究されてきましたが、それでも広い場所で聴くには、やはり小さいものでした。そうした音をかき集めて人に届けるための設備、それがコンサートホールです。
クラシックで利用されるホールは、限られた楽器の音を有効にするために、音の反射をいかに実現するかに腐心して作られています。

06 クラシックのホールって、反射が前提ですけど・・・ワインヤード・テラスの原理

クラシックで使用されているホールは、楽器の音を反射して聴衆に届けるためのものです。聴衆の耳に、楽器の音を集めて届ける、大切なメカニズムなのです。つまり、ホール自身に楽器的な意味があります。

これは、現代のように、たとえば、JPOPSのコンサートのように、電子機器で音を拡大する必要がないようにするために使用されます。
言い換えると、クラシックとはPAの技術がない時代の音楽であったため、代わりの方法として、ホールが音を聴く道具として利用されたのです。

そして、バイオリンなどのアコースティック楽器は、このようなホールと組み合わされて音が完成するものとして作られてもいます。ですから、バイオリンなどのアコースティック楽器は、屋外で演奏すると、その音において、かなり違う印象を受けます。率直なところ、ぜんぜん違う、すごくやさしい音がします。あの、バイオリンの迫力ある、力強い音は、ホールの中で知ることが出来る音なのです。そして、ホールの制作者達は、音楽を愛するがゆえに、素晴らしいホールを作り出したのです。

このように、クラシック音楽とは、音楽家や楽器制作者たちの努力だけではなく、ホールの設計/制作者達のような、まったく異なった人たちの努力もあり、今日に至りました。その中でも、ホールを実現する技術は、20世紀に大きく進展し、完成され、ひとつのデザインの基本原理を生み出しました。
その結実した成果であるデザインの名前を、ワインヤード・テラス型といいます。

ワインヤード・テラス型ホールには、見た目の特徴があります。聴衆の席が、細かく区切られているのです。

2つの代表的なワインヤード・テラス型のホールについて、写真を示します。

サントリー・ホール(日本)
ベルリン・フィルハーモニー・ホール(ドイツ)

ひとつは、日本のサントリーホールです。このホールは、カラヤンが「音の玉手箱」と語ったといわれています・・・もっとも、初期のCDを聴いて「これだ!」と語った彼のこと、なかなかお愛想が入っているかも知れません。サントリーホールは、一応ワインヤード・テラスですが、率直なところ、あまり徹底した設計にはなっていません。そのため、ホール内で聴く場所の位置での音質変化が、かなりあります。また、サントリーホールのごく初期のときは写真にちょっと写っている舞台上方にあるガラス反射板が、なぜか、ない時があったほどで、そのときは音がプアーになっていました。この反射板によって、今のように音になりました。多くの音楽を聴く座席は、ステージの手前に配置されています。ですから、ホールの後部や、天井桟敷のような席ですと、多くの反射音を聴くようになります。

私はサントリーホールの会員(今はこの制度はありません)だったのですが、辛口を書いたような気が・・・(^^;

もうひとつのワインヤード・テラス型設計のホールに、ベルリン・フィルハーモニー・ホールがあります。このホールはサントリーホールとは対照的な設計です。なにが対照的なのか・・・それは、オーケストラをホール中央に配置し、ワインヤード・テラス配置の座席とあいまって、可能な限り直接音と制御された反射音を聴くように設計されているからです。このため、オーケストラはもっとも低い位置になります。ドイツ人らしい徹底した設計です。もっとも、一般的なホールに慣れている人には、ちょっと違和感があるかもしれませんね。
ワインヤード・テラスのわかり易い事例として、もうひとつ、典型的なワインヤード・テラス型の例として、ブリッジウォーター・ホールをご紹介します。この写真をご覧になると、聴衆の席が細かく区切られていることがわかります。この区切りに、深い意味があります。
右側に原理イメージを示す図があります。

この図を見ると、ワインヤード・テラス型ホールでは、ホール全体で反射した音が届く距離よりも短い距離で反射音が人に届くことがわかります。 ワインヤード・テラス型は、聴く人に反射音が到着するための距離を管理し、なるべく音が到着する時間の差を短くするためのものなのです。

ブリッジウォーター・ホール(イギリス)
ワインヤード・テラスの原理

ワインヤード・テラスというホールの構成方法は、20世紀に私たちがアコースティック楽器による音楽のために見つけた、ホールの作り方です。耳に到達する音の反射音が、大きな距離の違いがないように届くためのもので、反射音が届く時間のずれを少なくして、音を美しく聴くためのものです。この距離の差が大きいと、音が濁って聞こえるのです。

このように、反射音を聴く前提に立つアコースティック楽器であっても、反射音の到着する距離を管理することで、音が汚れることを可能な限り避けられるように配慮しています。
美しい音を聴くための原理・・・それは反射音の制御にあります。

この辺の話題をわかりやすく応用した話題が、オーディオの遍歴 第14章 特別編 いける音は遠くない・・・でした。

そして、反射音が届くときの距離を、可能な限り短くすることで、音の濁りをないようにすることが、ワインヤード・テラス型ホールの基本原理なのです。

このような管理された反射音は、楽器の音に独特なをあたえ、音楽をより楽しめるものにしてもくれます。
実は、アコースティック楽器の音そのものにも、大切な秘密があります。

それは、歪みを許容する音、いや、積極的に受け入れる音、それがアコースティック楽器であるいうことです。
アコースティック楽器の基本的な原理とは、歪により音を作り出すことであり、ホールの音もそうした歪みを与えることに役立てることが出来ます。ですから、ホールの音により、味を与えることが出来るのです。このようなホールがもつ音の特徴を、音楽を聴きなれた人たちは、ホールの音、といいます。

このような、音の味は、アコースティック楽器そのものにも、意味がある理由があります。
それは、楽器の音そのものに理由があります。

07 アコースティック楽器って、「歪み」で音を作るんです・・・

音楽に音階があることは、だれでもご存知だと思います。

厳密には、ヨーロッパ系音楽に音階があるわけで、音階が存在しない音楽もあるのですが、そうした話題はややこしくなるので飛ばしましょう・・・(^^;

音階とは、音の周波数で決まります。440Hzの周波数が、a(ラ)の音となります。もっとも、これは取り決めなので、今のコンサートなどでは、437〜443Hzをaとしている場合が多いですね(この前伺ったお話ですと、もっと幅があるみたいですね)。そのような音の基本の周波数に幅がある音階の決め方を相対音階といいます。また、基本となる周波数が不変なものを、絶対音階といいます。つまり、周波数固定の音階です。絶対音階は教育が楽なので、日本の音楽家に多いようですが、実際の音楽の世界は相対音階が主流であるために、世界に羽ばたく際に困った問題となるようです。

ところで、440Hzの音だけを聴くとどうなのでしょうか・・・音叉とか、電子的な方法により、440Hzだけの音を体験することが出来ます。

そうした音は、図とにすると、右の図のような形となります。
この音は、私たちにはポーっという音に聴こえるだけです。そして、自然界にはない音ですので、ものすごい違和感があります。また、音叉などのこうした音を間近に聴くと、どこで鳴っているのかも、音からは理解できません。不思議な体験です。

では、楽器の音とは、どのようなものでしょうか。なぜ、このような不思議な音で音階が決まるのでしょうか。
実は、この基本的な周波数の、整数倍の音が合成されたもの、それが実際の楽器の音です。整数倍の周波数を持つ音を、高調波といいます。英語では、harmonic/ハーモニックです。

実際には、もっといろいろな音が混ざっていますが、あんまり細かい話題は発散するので、留めておきます。

下図に、ピアノの場合の高調波の合成のされ方を分析した図を示します。このような全周波数を見ることを、スペクトラムといいます。

この図のように、スペトラムは時間と共に変化していきます。これが、楽器毎のより独特な音の印象を作り出します。

ところで、高調波は、どのようにすると生まれるのでしょうか・・・
言い換えると、高調波とはなんでしょうか・・・。

高調波とは、基底となる音、つまり楽器の音階を定める音が歪むことで生まれるのです。
これを高調波歪みといいます。ハーモニックとは、高調波歪みのことです。別名を、ハーモニック歪みといいます。音階を持つ音楽を実現するためには、楽器そのものが、このような高調波歪みを気持ちよく起こさせる、というキーワードがあります。
もしも、オーディオの趣味がある人ですと、歪みという言葉に過分に反応すると思いますが、これは、事実なのでいた仕方ありません。楽器の基本原理は、歪みの制御によります。心地よい感覚が得られるハーモニクス/つまり高調波歪みを発生させる楽器が、素晴らしい楽器なのです。

ホールで、比較的近い距離の反射音があると、この歪みがさらに複雑に加わります。それが、私たちには音の味として感じられ、ホールの音として認識されるのです。

08 歪みを許容する音楽、許容しない音楽

このような背景があるため、西洋のアコースティック楽器の音楽は、音の歪みを許容するタイプの音楽です。ですから、オーディオ設備で聞く際に、ちょっと歪んでいるほうが、気持ちよく聞こえる場合が少なくありません。マイクのセッティングが悪く、ホールの音が録りきれていない時に、音がつまらなくなってしまっている場合が少なくないからです。そんなときは、歪が役立ちます。

オーディオの趣味の人で、クラシックやジャズを好む人は、その点について体感的に理解しています。ですから、独特な鳴らし方をしている人が少なくありません。オーディオ機器の足を取り替える人、おまじないのような不思議な設備を使う人、いろいろと鳴らし方を変える方法があります。これにより、独特な歪をちょっと加えることが出来ます。

もっとも、ご本人は歪みのない音・・・と仰りますが・・・。
心の中の音に忠実という意味では、歪みはないのでしょうが・・・。もっとも、これは、ちょっと余談ですね。

この辺には、人の中にある音のリファレンスという概念があります。
大切な話題なのですが、複雑な話題なので、そのうち機会があれば述べたいと思います。
1998年に書いた、オーディオ機器の鳴らし方とうコンテンツは、初級編しかありません。その理由は、中級編や上級編で、人の中にある音のリファレンスを育てるというテーマを書こうと思い、やっかいなので止めてしまった・・・という背景があります。

言い換えると、クラシックやジャズは、音の歪みを許容する音楽でもあるのです。

これは、音楽の種類により、背景が異なります。
同じアコースティック楽器であっても、歪みを許容しない音楽もあります。

典型的なそうした音楽として、邦楽があります。
このような性格は、どのような環境で演奏されることが好まれるのかでわかります。

邦楽でよく利用されるホールに、旧朝日生命ホール(今は建て替えのためありません)があります。
このホールは、行くとわかるのですが、反射音が極めて少ないホールです。
信じられないほど、反射音がないホールで、クラシックで利用されるホールとは対極的なホールです。
反射音が少ない場合を、デッド、といいます。反射音が多い場合は、ライブ、です。
つまり朝日生命ホールは、かなりデッドなホールです。

そうしたデッドなホールが邦楽でよく利用される理由は、「ホールの音で音が濁らない」からなのです。

実はこのお話は邦楽の方から伺いました。
なるほど〜と感心してしまいました。

邦楽で使用される楽器は、音が小さいにもかかわらず、ホールの音を利用しません。それは、音が比較的高い音が中心で、反射音による音の歪が、いやな音になってしまうからなのです。そのような、音の「汚れ」は、邦楽の楽器独特の繊細な美しさを、台無しにしてしまいます。

言い換えると、邦楽で使用される楽器の音とは、単体として作られているものであり、ホールのような楽器を包む環境は、余計なものである、といえます。そして、邦楽という音楽もまた、音の歪みを許容しない音楽でもあるわけです。
同様に、歪みを許容しない傾向が強い楽器があります。電子楽器です。

この場合の背景も、邦楽に近い点があります。
電子楽器で音を作る人々は、近距離のスピーカーやヘッドホンで聴きながら音を作り上げていきます。つまり、音そのものが、邦楽の楽器のように、単体としての完成度が高いのです。やはり、ホールという環境を前提には、していません。また、音そのものが、様々な音の合成であっても、高調波によりそうした音が構成されていない場合も少なくありません。

そうした音楽が、ホールの音や、再生設備により高調波、つまり歪が加えられると・・・いやな音になってしまったりします。
浜崎あゆみ2001-2002カウントダウンライブを、かなり前の席で聞くとよく聞こえる理由・・・それは、私の席の位置と、音楽のタイプに、キーワードがあったのでした。

実は、この際に、もっと複雑な問題があります。
浜崎あゆみの声を左右のスピーカーから出しているために、より複雑な問題が生まれているのです。私の席は、上手側であったために、その問題もクリアされていました。

この複雑な問題を説明するために、現代のPA技術の一端をご紹介する必要があります、

09 コンサートのPAはどのように行われているのか

RS.LA Line Array Speaker System
最新型
Macintosh XR-20 Speker System
1979
Appoge Line Array Speaker System
最新型

PA/Pablic Addressとは、大衆の中での演説・・・という意味です。

でも、ライブコンサートなどで音を大きくすることも、PAといいます。ですから、コンサートを担当するPA技術者の方によっては、PAとは言わず、別な用語で説明する場合があるそうです。音楽を届けるものとしての心意気よ、よしという感じですね。

これまで説明してきたような音の原理は、広く知られているものであり、PAとはこうした原理を踏まえて、可能な限りの努力をして、広い会場などに声や音楽を届ける技術でもあります。
実は、音を大きく拡声するだけでは、ちゃんとしたPAは実現しません。その理由は追々述べていきます。
まず、現在の主流的な技術をご説明しましょう。

今行われているPAでは、いくつかの特徴的な技術が利用されています。

ライン・アレイ・スピーカーシステム
コンサートに行くと、縦方向に多くのスピーカーが並べられているスピーカーが、目に付くと思います。ライン・アレイ・スピーカーシステムです。

ライン・アレイ・スピーカーシステムの原理は、線音源とよばれる音の出し方で、オーディオの世界では、古くから知られている原理です。Macintosh XR-20やInfinify IRS Alphaなど、古い時代の名機が、線音源方式を採用していました。

音源とは、音を出す場所のことです。
以下の種類の音源があります。

実際のところ、理想的な動作のスピーカーなどないわけですから、どれもそう理屈道理にはなりませんが、この原理の違いは重要です。なぜならば、音の伝わらせ方の違いにより、動作がまったく異なるからです。

線音源の場合、音は平面的には扇状に広がりますが、垂直方向では、下図のように、真っ直ぐに近い形で進みます。ですから、音は点音源よりも、より遠くまで届くようになります。

また、このような音の進み方をしますので、床や天井による反射が少なくなり、反響の管理が容易です。

ちゃんとしたライン・アレイ・スピーカーシステムは、新しい映画館などに設置されています。もっとも、スクリーンの背面にあったりするので、見ることは出来ませんが・・・(^^;

コンサート会場では、ちゃんとしたラインアレイではない形態になっている場合も少なくありません。ちょっと曲線を与えたりします。右に示すAppogeのスピーカーのような形態です。プロ用の場合は、設置の仕方でこのような形態にできるようになっています。

これは、若干の広がりを与えて、少ないスピーカーで広い範囲に音を届けたい・・・という場合に行います。

このような場合、展開される音は、線音源と点音源の間の性格を有するようになります。・・・ま、こうしたい気持ちはわからないではありません。いずれにしても、反射音がちゃんと管理することができれば問題はありません。でも、聴く人には床や天井の反射音が届きますので、ライン・アレイ・スピーカーの特徴が薄まってしまいました。

ライン・アレイ・スピーカーは、天井や床の反射音の影響を減らすことが出来ますし、屋外であれば、音の発散を防ぐことが出来ます。
こうした書いてくると、ライン・アレイ・スピーカーシステムはいいことだらけですが、現実には線が音を出すのではなく、点が集まり音を出しています。また、それぞれのスピーカーは、普通のスピーカーですから、本当はここで説明したような動作はしません。
特に、それぞれのスピーカーからの距離が違ってきやすいスピーカーの近くでは、低音が大きくなったり、小さくなったりということが発生します。これは、音が到着する時間が異なるために必然的に発生するトラブルです。実は、このトラブルは周波数に拠らず発生します。スピーカーが複数存在すると、問題は発生するのです。

この問題を解決するためには、スピーカー毎に提供する音の時間をずらして、聴く場所で音が到着する時間が一致するようにします。BookEのベース・アレイ・テクノロジーのように、名称を与えているものもありますが、その本質は昔から続いています。すべてのスピーカーユニットを位相制御して調整するというものです。

Machintosh XRT-20から、それぞれのユニットごとの調整システムが用意されていました。プロ用システムで当然ですがそのような位相管理による調整システムは用意されています。すべてのスピーカー毎に専用アンプを用意して、厳密な位相管理を行うことが可能です・・・でも、それは映画とか、録音音楽再生にしか役立ちません。なぜでしょうか・・・簡単です。ライブの音楽は、音楽家が演奏するのですが、問題がそこにあるのです。

その問題とは、演奏しないと音楽は鳴らないということです。当たり前のことですね。その問題とは、演奏しないと音楽は鳴らないということです。当たり前のことですね。その問題とは、演奏しないと音楽は鳴らないということです。当たり前のことですね。

しかし、私たちは、その音を遅らす事によってのみ、ここでご説明したような位相の制御が出来ます。つまり、ちゃんと音を届けようとすればするほど、ライブの音は遅らせて大きくすることしか出来ないのです。それは、非現実的な解決策です。

届けている音楽を聴きながら演奏できないという矛盾
浜崎あゆみなどの大規模なライブコンサートに行った人であれば、だれでも、歌手や演奏家が耳になにかつけてることに気付くと思います。演奏家用の再生出力です。私たちが聴いている音は、タイミングが遅れているため、また、演奏家は自身の音を確認しにくいため、演奏家は会場の音を聴きながら演奏することが出来ません。

そのため、演奏家には、演奏家のタイミングが取れるように専用の出力が届けられています。耳から入ってくる会場の音では、演奏できないのです。

この点は、すでにご説明したクラシックとは大きな違いがあります。PA技術がもたらす影の点です。会場の大きさが故におきてしまう、必然的なパラドックスです。

会場がより広い場合は、この問題はより深刻です。
浜崎あゆみのスタジアムツアーの場合、使用されていた広いスタジアムでは、ステージからの音は観客席後方に届けるためには別なスピーカーが必要でした。ですから、後方席のために、ステージとは別に会場中央に別なライン・アレス・スピーカー群が用意されていました。その距離の遅れ分は、必然的に遅らせて前方のスピーカーから音を出すことが定石となります。つまり、ステージのスピーカー群が再生しているスピーカー群から遅れて届く時間だけ、会場前方のスピーカーは遅らせてPAするわけです。

と、書きながら、そうした管理をしていたのかよくわかりませんでした。
やるのが当たり前なので、やってるものとして書いています。
しかし、こんなことしてたらとしたら、よく演奏できるものだと思います・・・(^^;

このように、大規模な会場での再生には、多くの問題があります。

そして、それらについて可能な限りの努力をしているはずだったのです、2002年の浜崎あゆみのコンサートでは・・・しかし、実際にはあまり関心できない・・・というか、スタジアム・ツアーでは、音楽として聴くこともできない場合がありました。

その理由は、とても簡単です。
浜崎あゆみの声や、演奏の音を届ける際に、会場すべてのスピーカーから大出力で出していたからです。ですから、一番遅れた音にあわせて音楽を聴く必要がありましたが、スピーカーが2箇所しかなければなんとかなります。しかし、いろいろな場所にあれば、うまくは出来るはずはありません。聞く位置が会場全体に渡る以上、うまく位相を合わすすべなど無いのでした。そのために、反響どころか、位相差を持った大出力の音を、直接耳に届けてしまったのです。

ですから、音は、結局のところ、激しく歪ました。

配慮を欠いた音楽を届ける努力が、音楽をぶち壊しにしてしまうのです。
しかし、ちょっと待ってください。

私たちが家庭で使用しているステレオは、2本のスピーカーから同じ音を出しても、音はわかるほどには歪んで聴こえません。
なぜ、ステレオと同じことを広い会場では出来ないのでしょうか・・・。

10 音楽を届けることが困難なPA

これまで説明してきたように、PAの技術は、現代科学技術の最先端として、実現されてきています。大きな音を、より遠く、より正確に届けるための技術として発展してきましたし、今後も発展を続けるでしょう。
しかし、PAとは、所詮、拡声の技術としてしか、発展していません。
PAという用語が、その技術の性格を示しているといえるかもしれません。
なぜならば、根本的なところで、間違えているからです。

ステレオの原理が働くのはとても限られた場合だけなのに・・・
私が、浜崎あゆみのコンサートを気に入った際に、私が上手よりの前方の席にいたのは、とてもたいせつなキーワードでした。なぜならば、このコンサートでは、舞台の上手、下手(つまり左右のスピーカー)のスピーカーから浜崎あゆみの声を拡声していたからです。私は極端に右側のスピーカーに近いわけで、これは彼女の声を真っ直ぐに受け止めることが出来る位置であったのです。

私たちの家にはステレオがあります。ですから、スピーカーというのは、2つが離れて置かれることが多いことを、知らない間に、当たり前に感じています。このように、スピーカーを左右に分けて音楽を再生する方式を、ステレオといい、1本で再生することをモノラルといいます。

なぜステレオが作られたかというと、スピーカーの間全体から音楽を聴くことが出来るからです。よく調整されたステレオでの音楽再生設備を利用すると、スピーカーの間全体から音楽が聞こえることに驚かれされます。このように音楽が聞こえる場所全体を「サウンド・ステージ」といいます。

「サウンド・ステージ」は、正しく再生されている状態ですと、スピーカーの間だけではなく、前後、上下に広がって感じられます。また、私が使用しているような方式の、仮想音源を利用するタイプのスピーカーであると、スピーカーの外側からも音が聴こえてきます。言い換えると、スピーカーの存在する場所は音を聴くだけでは理解できなくなります。

ESP Consert Grand私が愛用していたスピーカーです。世界で20セット程度しか作られていません。このスピーカーは室内再生のために考えられた、反射波を前提とした仮想音源までを考慮した特殊なユニットの使い方に特徴があります。贅沢なユニットの使い方に特徴がありますが、さらに、私の使用しているモデルは日本向けにより高品位なツゥイーターが装備された特別なモデルです。現在は会社そのものがありませんが、設計者から必要なメンテナンスに関する知識が得られるので特に困らないで利用できます。ハイエンド機器らしいサポートですね。

このような、ステレオの原理が発明されたのは1931年、実際に普及するようになったのは1960年代です。そして、現代において、ステレオは当たり前となりました。

ステレオの原理は、いいアイデアなのですが、本質的な問題点が内包されています。それは、ステレオの原理を有効に働かすことが出来る範囲が、とても狭いということです。それは、サウンドステージが感じられる場所が狭いという意味だけではなく、この原理そのものが、スピーカーの幅をあまり広く出来ないという本質的な問題点をもっていることにあるのです。
その理由は、すでにご説明しました。

音の伝わる速度が遅すぎるのです。

そのため、スピーカーからの距離が本質的な問題を生んでしまい、聴く位置で大きく音が変質する原因を作ります。聴く位置に到着する音が、距離の違いからずれてしまい、そのずれが無視できないトラブルを生みます。率直なところ、声や楽器の音が、雑音になってしまうのです。

コンサートのようにスピーカーの幅が20mとか、それ以上になる場合、両方のスピーカーに同じ音を入れてしまうと、聴いていてまともに聴こえる可能性の席の範囲は極めて狭くなります。率直なところ、大部分のところで浜崎あゆみの声は正しく伝わらなくなってしまいます。
ライン・アレイ・スピーカーの特徴は、減衰しにくく音が少ない反射波で届くはずでした。たしかにそれは事実なのですが、問題はコンサート会場が3次元であり、ライン・アレイ・スピーカーは水平方向では通常のスピーカーのように扇形の音の広がりをもっているに過ぎません。

ですから、左右のスピーカーの音は、直接に聴衆に届き、左右から同じ音を届けようとすると、左右のスピーカーからの音そのものが激しく干渉することになります。これを防ぐための音の加工はある程度行われているかもしれませんが、それほど加工しきれるものではないでしょう。ライブなのですから・・・。

正しく音を届けるためには、いろいろな努力がありますが、そのひとつとして、東京カテドラル・ホールをご紹介しましょう。

音を正しく届ける事の難しさ・・・東京カテドラル・ホール
著名な建築家であった丹下重三の作り出した、やはり有名な建築である、東京カテドラル・ホールは、日本のカトリック教会の中心地でもあります。東京教区の中核的な教会であり、毎週日曜日にはミサが行われています。

このホールには、教会としては日本最大のパイプオルガンが設置されており、毎週日曜日にはミサが行われています。

このホールは、設計当初から残響音が強すぎることが丹下氏を支援した東大の教授より指摘されていました。それなりに対策は行われたのですが、それでも残響時間はとても長いという特徴が、ここにはあります。

特に、ホール内の人が少ないときの残響時間は7秒にもなると言われています。行けばすぐにわかりますが、率直なところ、人が10人もいて普通に話をしていると、とても大きな騒音として聴こえるほどです。

そうした残響時間は、このホールで歌われる賛美歌にも影響しているのでしょうか、歌われる賛美歌は、音の残響を利用した曲が多く、コードの変化が乏しくなっています。ここで歌われている賛美歌のように、全音符ひとつで歌詞をず〜っと歌うというのは、人生ではじめての経験でした。

教会のミサはだれでも入れます。お金がかかるといっても、募金くらいです。最後に募金があるのですが、袋を子供が持ってきたときに手を入れて募金するので、いくら入れているかわからないように配慮されています。別に額の相場もないようです。聖書に小額の献金をした女性を「見よ、あの人は今日の生活費すべてを献金したのだ」とイエスが褒め称えるシーンがあります。だからなんでしょうか。洗礼を受けていないと出来ないのは、ミサの最後に行われる聖体拝領と言われる、キリストの肉を見立てたパンの受領だけです。洗礼を受けていない人は、神父の前で頭を下げると、聖体の替わりに祝福をしてくれます。歌も歌えますし、経験のない方は、試してもいいと思います。ちなみに、私は海外で有名な教会には、ミサで行くことがあります。見てみたくて・・・(^^;
余談ついでですが、ミサの進展は、クラシック音楽を聞いたことがある人なら皆さんご存知の、ミサ曲の順序に進みます。ミサ曲は、ミサの音楽なのです。ですから、最後はAgnus Dei(アニュス・デイ)/神の子羊で終わります。日本のミサでラテン語が使われるのは少ないみたいですけど・・・。

Agnus Dei/聖体拝領のための歌
教皇セルギウス1世(687〜701)から始められたといわれていますけど、
もっと古くから歌われていたと考えられています。
あんまりラテン語はわからないので、訳は怪しいかも・・・(^^;
私のラテン語の辞書は、高校の頃に古本屋で買ったものですし・・・(^^;
余談次いでですが、私はベートーヴェンのミサ・ソレムニスが好き・・・(^^)
Agnus Dei,
qui tolis peccata mundi,
misesere nobis.
Agnus Dei,
qui tolis peccata mundi,
dona nobis pacem.

神の子羊(イエスキリスト)よ
私たちの世界から罪を取り払う方
私たちに許しをもたらしたまえ
神の子羊(イエスキリスト)よ
私たちの世界から罪を取り払う方
私たちに平安を与えたまえ

ま、教会音楽では困らないのですが、問題はミサの説法であったようです。聞き取ることが出来ないのです。そりゃそうです。本人の声が7秒も響き渡れば、どんな話をしても聞いている側が理解することは至難です。ばらばらに話されているようなものですから・・・。ですから、ミサの際には同時通訳で利用するレシーバーが使われたほどです(今でも用意されています)

この残響の問題の解決のために、つまり、神父の説教のPAを正しく行うために取られた方法は、最新の考え方に基づくものでした。
そのキーワードは、反射させた音を可能な限り聴かせず・・・直接音を信者たちの場所に届ける・・・ということです。
技術的には、小型平面スピーカーを両側の壁面に多数配置することでした。

この小型スピーカーは、だれからも最大で10m以内に配置されています。
東京カテドラルホール内の、左右の壁面に小型平面スピーカーが多数配置されました。
平面スピーカーは、音の発散が少ないという特徴があり、このように多数配置されていても、多くの音が信者の耳に届きます。
実際に聴いてみるとわかりますが、神父の説教は、かなり明瞭に届きます(教会の人のお話では、神父さんにより違いがあるようです。音が明瞭に届いても、発音が明瞭でないと・・・ね)。

この解決策は、美観の問題もあったと思います。
たとえば、別な解決策として、信者たちの前にはお祈り用の台があるので、3mおきに小型スピーカーを設置して直接音を届けるとか、天井にスピーカー・アレイを配置して、下方に位相差の少ない音を届けるとか(スピーカーアレイは使用していませんが、ヨーロッパではこの方式が多いような・・・アイルランドでは、そうでした。まだ行っていないのですが、ローマ教会の大聖堂もこの方式みたいですね・・・・・・やったのはBookEだったかな、よく知りませんけど・・・)、いろいろとあると思いますが、美観と、有名な素晴らしい建築を生かすという意味では、なかなか適切な解決であったのではないでしょうか。

音楽を届ける難しさ
東京カテドラルホールは、ひとつの割り切りがあります。それは、説教が前の神父様の方向ではなく、壁から聞こえるということを、良しとすることです。

説教が聴き取れないよりはいいことですが、音楽の場合はどうでしょうか・・・それが、コンサートで舞台の上下(つまり左右)にスピーカーアレイを配置する理由かもしれません。運がよければ、舞台内に歌手の声が聞こえますし、舞台のデザインも容易です。
また、実際のところは、観客席中央にあるPAの席では、結構まともに聴こえるのかもしれません。ほとんどのコンサートで、一番音がよさそうな場所に、PAの調整卓があります。

でも、問題は観客席なのです。
聴衆が客であり、PA席の人たちはそれを支えるに過ぎない人たちです。
観客席が最優先である事は、ライブでは当然です。
PAの調整卓でライブをPA技術者が楽しんでいるとき、観客は雑音になってしまった音楽を聴くことになっているのが現状です。そして、昨年に行われた浜崎あゆみの東京スタジアムコンサートでは、私は後ろの席で聴いていたのですが、屋根があるためか、PAの準備が悪いのか、音楽がジャーッ・・・という、本当の雑音になって共鳴していました。歌声に、ジャーッという音がついて回るのです・・・(^^;・・・あはは
ま、音楽を観る、という観点ではともかく、音楽を聴く・・・という観点では、困りますよね。

11 チェッリビダッケと現代PA技術者の違い・・・


Sergiu Celibidache
1912-1996

チェリビダッケという指揮者をご存知でしょうか。
生前は、アルバムを作らさないことで有名な人でしたが、その理由は、彼の作り出す音そのものにあったといわれています。彼の音を録音して届けることが出来ないと、チェリビダッケは考えていたといわれています。

チェリビダッケの死後、遺族の許可により多くの録音物が販売されました。その多くは海賊版のようなものです。生前に、彼自身が監修してアルバムが作られていれば、彼の音楽はより長く愛されたのではないかと思うのですが、残念なことです。

チェリビダッケは、コンサートの演習時に、オーケストラを演奏させたまま、コンサートホール中を聴いて歩く習慣がありました。それは、ホールの音を知るだけではなく、どのようにオーケストラを「鳴らせる」かを判断するためのことでした。そう・・・すでにご説明したワイン・ヤード型コンサートホールであっても、オーケストラは、ポンと居て演奏すれば、素晴らしい音が聴衆に届くなどということはないのです。演奏家とホールしかないクラシック音楽の世界では、演奏家には、素晴らしい音を聴衆に届ける義務があります。それは、演奏技術とは異なる、演奏家自身が音を深く知ることにより為されることです。

演奏家とは、間違いなく演奏できるだけでは、まだ一人前ではありません。大きなはじめのハードルを越えて初めて一人前となります。
演奏家がはじめに越えなければならないハードルとは、聴衆に届ける音を知ることなのです。アコースティック楽器は、その演奏そのものによってのみ、音を聴衆に届けます。自身が聴いている音を聴衆が聴いている・・・と思っているうちは、一人前の演奏家ではありません。届けている音と自身が聴いている音が違うことを理解することが、一人前の演奏家です。そのためには、楽器の音がどこから出ていて、どのように届くかを熟知しないといけません。これには、壮大な想像力が必要な場合があります。ほとんどの場合で、自身の演奏を、客席で聴く事が出来ないからです。

この話題はクラシック音楽のように、ホールを前提とする音楽の演奏家に限ります。ホールを好まない邦楽の演奏家の場合は、このようなことはありません。この点には、ご注意ください。ですから、楽器の音の出る場所を知らないことも邦楽では多々あります。藤舎名生が慣れないPAで困惑するのを見て、中国のPA専門家の怠慢に怒りを覚えた話題がこちらにあります。

チェッリビダッケは、指揮者でしたので、そこに大きな違いがありました。彼は、才能だけではなく、その客観的な努力も駆使して、どのようにオーケストラを「鳴らす」のかを理解していたのです。

そんな彼が、録音技術者の録った音を聴きたくないのは、自然であったかもしれません。
では、JPOPSのライブ音楽を聴衆に届ける責任を負っているPA技術者は、練習中などに、実際の演奏を、観客席に行って音のチェックしているのでしょうか・・・想像ですが、ほとんどの場合でしていないと思います。演奏前に周波数特性の測定くらいはしていると思いますけど・・・。それもしてなければ、技術者ですらないですね・・・(^^;

もしも、音のチェックが行われ、可能な限りの対策が行われれば、もうちょっと改善することが多いでしょうが・・・。pa操作卓など、場合によっては遠隔操縦にすればいいのです・・・それができる操作卓があるか知りませんが・・・(^^;
コンサートにおけるPA技術者とは、自身のプランをアーティストに提案して設備を実現しているのですが、本質的な話題として、それだけではPA技術者として半分の仕事もしていないという事実を理解すべきだと思います。観客から「すごい音だった・・・はじめて聴いた・・・!」と感動されて、はじめてその仕事が成立するのですから・・・。感動を伝えるのためにこそ、音楽のためのPAがあるといことに、多くの人の異論は無いでしょうから・・・当人たちは別として・・・。

現在の設備は、本当に駆使すれば、かなりの水準にいたることが出来るはずです。ただ、そのためには、周波数特性のチェックやちょっとした位相特性のチェックでは足りません。人の耳による直接のチェックが大切です。

オーディオのような趣味でも同じです。私たちは、測定信号を人に伝達しているのではなく、音楽を人に伝達するからです。

実は、これまで説明してきた、反射波や左右のスピーカーからの音の干渉による問題は、そうした測定ではあまりわかりません。ちょっとした測定でわかる範囲は、全くお話にならない場合であり、もう、論外なのです。

音を伝える立場で見たときに、測定した特性的に劣っていても正しく音が伝わる場合が、実は少なくありません。そして、それは、聴けばわかるのです。

12 基本へ還ろう

いかがでしょうか・・・コンサートでは、家庭内の再生とは異なる、より厄介な問題があること・・・そして、なぜか、そうした問題の多くが放置されていることが、お分かりいただけたかと思います。
音を人に届けるときに、時間軸がずれないように配慮することが、最も基本なのですが、その基本が守られていません。コンサートの音が、家庭で聴くステレオに遠く及ばない理由がここにあります・・・ま、いいステレオと比較しての話ですけど・・・(^^;
これからは、もう、書き過ぎですですが、ちょっと具体的な話題をしてみようと思います。
それには、2つの視点が必要でしょう。
つまり、機材の組合わせをする、つまりアセンブリを行うPAと、創造する立場のPAという視点です。
前者は、今の技術や設備の範囲で可能なこと、後者は新技術や新設備が必要な観点です。ほとんどのPA技術者は前者の視点しかないと思います。だって、それが仕事のすべてだったりするのですから・・・(^^;・・・。
でも、音楽の世界で、楽器も、様々な現代の技術も、より音楽を深く届けるめに発展を続けてきたのです。paにおいても新技術や新設備を実現するほうが、自然というものです。PAとは、自然には出来ないことを私たちの力で実現するという、創造的な側面があるのは、明らかなことです。だからこそ、PAがあるのですもの・・・
まず、今の技術の延長線による解決策を・・・もっとも、私は試したことが無いので、アイデアだけですが・・・(^^;

13 音楽演奏の基本・・・音源の集中

ここまで説明してきましたので、ライブの音をいい線にする一番簡単な方法は、ステレオ的な再生を止めることにあることはお分かり戴けると思います。

水平方向で音源を1点か1線にする・・・
PAの技術を運用するにあたり、音の速度の問題を忘れているため、歌手の声を、距離のある複数の音源から再生するという過ちを行っています。これが諸悪の根源ですから、これを止めると、いい結果が得られるはずです。

垂直配置のラインアレイスピーカーでも、最適に運用するためには、ユニット間の位相差の調整を行う必要があります。それはだれでも知っているはずなのに、水平方向ではポンと忘れて、何気なしに同相の音をはなれたスピーカーから同時に出してしまっています。そのため、反射波よりもはるかに大きな、位相差のある音を聴衆に届けてしまい、音を歪ませ、音楽を雑音にしてしまうわけです。
この問題の解決の一番安直な方法は、水平方向で見た際に、音源の集中を行うことです。つまり、1点か、1線からのみ、その音源である歌手の声や楽器の音を出すという方法です。決して、左右にスピーカーを別けて配置して、同相の音を出してはいけません。
実は、先の2000-2001カウントダウンライブは、浜崎あゆみとキーボード以外の音は、通常の楽器に直結したPAで音が出ていたと思います。私は、その適切さに驚いたのですが、2001-2002カウントダウンライブでは違っていたと思います。そのため、すべての音が水準に届かなかったように思います。

この方法の問題点は、舞台の物理的なデザインの構成が、スピーカーのために極めて制限を受けるということです。なにしろ、スピーカーが舞台全体の左右に広がって行き、線を成す事になるか、とこか一点に配置されることになるからです。ですから、舞台芸術家と相談がいりますね。いちばん簡単な方法は、舞台上方にスピーカーを保持する強固なものを構築して、点音源か、線音源を水平方向には分散しないで、配置することでしょうか。天井が存在する会場であれば、それほど視覚的な違和感はないかもしれません。

よりライブに特化するには・・・
この方法をより進展して、ライブ演奏に特化すると、操作卓の廃止が思いつきます。

この方法は、演奏家に負担を強いますが、クラシックの演奏家並に、演奏家の制御で音を作ることが出来ます。
ライブでは、位相補正を行ったりしますし、使用している設備そのものが、位相遅れがあるので、演奏者たちは専用のモニターが必要です。

見ている側からすると、そうしたモニターはなかなか邪魔です。それを廃止するためには、PAの位相遅れを可能な限り解決して、PAの音を聴きながらそのまま演奏ができれば、より理想的となります。

舞台中央に歌手用のスピーカーがあるとすれば、その近くで歌うことで(ま、ハウリング・マージンの確保のためにマイクとか工夫が必要そうですけど)、できれば操作卓など使用しない・・・つまり、アコースティックに限りなく近づけてしまうPAを行う方式です。
この形態の場合、使用する機材にはプロ用機器よりも高スルーレイトが求められます。だいたいからして、そうした機種は高性能機種です。ですから、通常のプロ用機器よりも高額になります。例えば、ハイエンド・アナログアンプの多くは、そうした特性を備えています。そんな機器で再生される声は・・・もう、素晴らしいでしょうね・・・。

実は、以前にハイエンド機器を利用したコンサートを楽しんだことがあるのですが、演奏者も体験したことがない音の世界が繰り広げられたのに、聴衆も演奏者もびっくりしたくらいで、楽しかったです。

この場合は、スピーカーもそうしたリニアでハイスピードな位相特性が必要なので、すべてハイエンド機記並みのスペックの機械だといいですね(あまり知られていませんが、スピーカも、アンプも、ずいぶんと信号を遅らせてくれます。この応答速度を早くするためには、大変な技術とコストを必要とします)。
そうした再生で、音源の規模がどうしても大きく出来ないとき・・・コンサートホールを使用するのもひとつの解かもしれません。

14 音楽演奏の別な姿・・・聴衆と音源を混然一体とする

大規模な会場では、一箇所からの音源ではどうしようもない規模があります。

この場合に、今でも出来る解決策のひとつは、音源を均一的に聴衆の間に広く配置するという方法でしょう。

音がいかれてしまう原因は、複数の音源からの距離が不均一で、しかも、かなりの距離が音源と聴衆の間にあることに原因があります。それならば、5〜10mおきに、つまり聴衆の間にスピーカーを配置して、観客全員に均一な音場を提供するというのも、解決策になります。つまり、聴衆の近くから直接音を近くから届けてしまうのです。もっとも、かなりのスピーカーを使用することになります。先のような代々木体育館で50〜200本くらいでしょう。ですから、その設置は、目立たないようにするのはちょっと大変かもしれません。

でも、大きなメリットがあります。まず、それぞれのスピーカーは、それほど大出力は必要としません。システム全体での音量も、今よりも遥に小さくしても、今のコンサート並みの大きさの音を聴衆には届けられます。住居が近いような場所での屋外コンサートの場合、このメリットは計りがたいものかもしれません。

スピーカーは、平面型のような一方向に音がビーム的に進むタイプが理想ですが、逆に無指向性でもいいかもしれません。平面型スピーカーを使う場合は、音を舞台方向から感じさせることが可能ですが、無指向性スピーカーの場合は、頭の中で聞こえる感じになるのではないでしょうか。

実は、こうした形式のコンサートをドイツで体験したことがあります。フランクフルトのトンネルで48時間に渡り行われたテクノパーティーでは、10mおきにトンネルの左右にスピーカーとアンプが配置され、400mほどのトンネルがスモークと音楽の渦になっていました。その音のクオリティに驚いたことが鮮烈な印象としてあります。

その体験はこちらでご紹介しています。

この方式の再生は、私が体験したトンネルのように左右のある場所ですと、無定位ではありませんが、平面的な場所で、しかも無指向性スピーカーを使用すると、無定位な印象を与えるでしょう。でも、歌手の声がそうなると、心の中で響くみたいで、かえって感動的かも・・・(^^;

15 ステレオの原理を離れる

これから述べる話題は、現代の技術で開発は可能でしょうが、まだ実現できていない方法です。
これまで述べてきた方法には、致命的な欠点があります。
それは、ライブの舞台での歌手の動作に、音源が追従出来ないということです。音は、常に同じ方向か、頭の中から聞こえます。
この問題を解決し、聴く人が多く、会場の規模が多くなっても音が崩れないためには、ステレオ音源ではない方式による、拡声技術が必要です。

この一番いい方法は、舞台の幅を持つ多数の水平配列スピーカー群に対して、移動している歌手の位置に対応した場所から再生する技術を採用することです。

この方法は、ステレオとは全く異なる方法ですが、直裁に立体音響を作ることが可能です。
実は、このように技術は一部では研究されていたようですが、最近はどうなのでしょうか・・・舞台での音響に最適な技術なのですが、資料を見た際に、あまり研究者の人は気づいていないみたいな気がしました。技術的な興味でやっていただけなのかしら・・・(^^;

16 音楽よ、届け!

このコンテンツ・・・書こうと思ってから、1年以上書きませんでした。

なんか、当たり前のことを書くのが、なんとなく面倒だったのでした。

でも、大切な話題も多い気がして、のんびりと書き上げました。

ほとんどはかなり前に書き上げていましたが、12以降を書こうかどうかで、のんびりと何ヶ月も過ごしていました。
はじめに書こうと思ったのは、福岡の浜崎あゆみの野外コンサートから帰るときでした。コンサートはとても堪能しましたし、楽しかったのですが、音は散々でした。そして、コンサートから帰る際に、中央にあった操作卓が集中していたテントの後ろを通るときに、ちらっと見たときに、モニターに野球を映し出しているのが見えました。何人かは画面を食い入ってみています。まだ、コンサートが終わってからそう時間は経っていませんでした。観客はまだ多くが残っています。外から見える場所で、やることが、もうおかしいことです。
それを見て、「こいつら、コンサート中からこうだったなんてこと、ないだろうな・・・しかし、弛んでるな・・・」と思うのは、自然でした。
関係ない話題でありながら、不思議と、コンサートの音に得心が行ってしまったのでした。そして、思ったのでした・・・「音楽を届けることを、舐めてるんじゃないかな・・・必要なこと、やってないんじゃないの」・・・と。

実のところ、音を届けるのは技術だけではありません。現代の技術は、まだ不完全すぎて、1つの方法で解決をつける事ができないからです。ですから、関係した人は、細心の注意と、努力によりそれを達成しないといけません。そして、それは、容易な事ではありません。
音楽を届けることは、不断の努力と、それを支える音楽を愛する気持ちにより実現されることです。
現代において、いろいろな分業と専門化により効率が向上しましたが、そのために大切なものが多く失われました。

ライブコンサートを見てもそれを感じる私には、過去をはるかに超える内容を達成しつつある現代の音楽シーンに、同時にとても大きな影があるような気がしてなりません。

本当の質を落とさないための不断の努力が、唯一、音楽を届けることができる、本当の力ではないでしょうか・・・日本における様々な音楽シーンが、実のところ衰退しつつある気がしているのですが、その本当の背景は、音楽を届ける力の衰退にあるような気がする、今日この頃です。

音楽よ、届け!



第15章 でも、意味を明らかにする音はある・・・
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第17章 音楽の結界… ゲシュタルト崩壊の新オーディオ・フォーマット



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