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浜崎あゆみ思跡ツアー
2002/4/26
2002/5/8,14,2007/02/10

このコンテンツは、福岡に訪れた際にちょっと時間があった(4時間)ので、前から疑問に感じていたことについて、「浜崎あゆみの育ったあたりを直接見に行きゃ、なんかわかるかな・・・?」と思い訪れた際に感じたことをまとめたものです。

今回の福岡訪問は、浜崎あゆみのコンサートのためですが、オーディオ仲間のお宅もしっかり寄っています。ちなみに、私は演劇とかライブコンサートは、その期間の初め、真中、最後に必ず行く習慣があります。でも、こう場所が違うと、行きにくい・・・(^^;
旅の詳細は旅行記九州/博多への旅 Vol.Iをご覧ください。
知り合いからはこうした内容は「ちょっと濃すぎ・・・」といわれましたが、仕事柄か疑問に思うと放置することがイヤなので、自分の目で確かめに行ってみました。その後に、感じたことを確認するために、この地域にすんでいる人とか、浜崎あゆみの中学時代の同級生とかにも話しを聞いてみました。その内容も加味してあります。

いくつかの疑問がありました・・・

浜崎あゆみ大百科 / AYUMI HAMASAKI KEYWORDS
吹上流一郎 著
コアハウス発行
ラインブックス発売
ISBN4-89809-064-8
1100円 税別

浜崎あゆみのファンになって、いろいろと入手した資料を見ているうちに、いくつか気になることがありました。

右が私が読んだ本のうちの1冊です。大阪で講演する際にホテルで暇なので、大阪の本屋を巡って見つけました。発行部数が少なかったみたいで、小さな書店で店頭在庫を見つけました。別なもう一冊といっしょに買いました。
こうした本の割には、真面目に書かれているのですが、かえって疑問に思うことが膨らんでいきました。
なぜ、浜崎あゆみがこの本に紹介されているような行動を当時とることができたのか・・・とる気になっのか・・・。この本には、その回答がありませんでした・・・。

気になることのひとつは、浜崎あゆみの同郷、それもかなり身近だった人たちの反応が、ちょっと複雑ではないのかなと感じることです。これは、福岡同郷全体の話題ではありません。福岡というお土地柄、もうそれは、みんなの誇りだと思います。でも、そのごく一部からの反応に、気になる点がありました。ときどき出てくる浜崎あゆみの福岡時代の話題について、ちょっと悪意による脚色が過ぎるものが時々あるように思うからです。そうしたもののルーツを想像するに、かなり身近な同郷者に発信源があるものも少なくないように感じられました。そのためか、彼女自身もかなりカミングアウトしています。

たとえば、高校の件とか・・・浜崎あゆみにもそうした話題の発信者がどのへんにいるのかよくわかるでしょうに・・・。福岡時代の話題で、ローカルにしか知らない話題で情報を発信したら、発信源がどのあたりの人かバレバレやん・・・(^^;

このことが、実は引っかかっていたのです。私は東京生まれの東京育ち、祖父の代から東京ですし菩提寺は巣鴨・・・いちおう生粋といわれる・・・(^^?・・・江戸っ子です。

本当の江戸っ子てのは、山の手あたりにず〜と住んでいる人のことなんですけどね・・・私の生まれ育った大田区とか品川区は、昔は江戸の周辺地域で、田舎でした・・・(^^;
だから江戸っ子なんていうのおこがましいんですが・・・

そんな観点から見ていると、他の地域の方が東京に来られてからお話していて、気づくことがいくつかあります。発音とかファッションは東京の人たちと全く一緒なのですが、話題にちょっと特徴を感じることがあるのです。そのひとつに、同郷の有名人について、よく知っているということがあります。話をしていて、「へ〜、あの人はそうした場所の出身なんですね〜」と、とても勉強になります。でも、それって自然ですよね。お国自慢も自然だと思いますし・・・。まして、身近になればなるほど、うれしいというほうが、自然でしょう。

複雑なほうが自然という意見もあるのですが・・・気持ちはわかるのですが、経験的にそうでもないと思っています・・・うらやましいというのは、同郷であるなしに関わらないでしょ・・・

でも、浜崎あゆみに身近だった人たちは、それだけではない、ちょっと屈折したものがあるように、出てくる情報のカラーから感じていました。身近とは、福岡で同郷という意味ではありません。もっと身近な場合なんです・・・。で、私にはその理由が、わからなかったんですね。ツッパッていたらしいですが、それだけで、誰に迷惑をかけている様でもないので、そうした屈折した感覚がある理由がわかりませんでした。そして、浜崎あゆみは福岡を嫌っているわけではなく、コンサートツアーは必ず福岡からスタートしています。おそらく、浜崎あゆみには、あまりいい思いでばかりの地はなかったのではないかと思うのですが・・・。ま、それが故郷というものでしょうけれども・・・。

福岡で聴いたのですが福岡出身のアーティストは、福岡からコンサートツアーを始める人が多いそうです。

もうひとつの不思議は、かつて盛者必衰という感覚を強く打ち出していた浜崎あゆみの感じ方が、育成された背景です。現代的な教育では、そうしたものは少ないと思えるので、かなり日本的といえるそうした感覚が、どうしたら身につけられるのか、その背景に興味を感じていました。
こうした疑問の答えを知るためには、育ったあたりを見てみるのが一番だと思っていました。

私は仕事が技術の仕事なので、悩んだら考えずにまず実行という、それから状況を見ながら臨機応変に対応・・・手に負えないときは急いで打ち切り・・・というやつが、得意です・・・(^^;・・・ま、行き当たりばったりというか・・・

で、今回の浜崎あゆみ福岡コンサートを見るために訪れた際に、そうした見物を実行に移すことにしたわけです。
福岡に到着してから、その日に行く予定である長崎に行くまでの時間がけっこうありましたので、その時間を利用して浜崎あゆみ思跡ツアーと相成りました。
もっとも、地図は博多空港で購入しました。つまり、空港についてから、実行計画を立てたわけですね・・・(^^;・・・出たとこ勝負・・・あ・・・融通無碍に状況に対応するとも言います。

浜崎あゆみ思跡ツアー・・・(^^?

はじめは史跡ツアーと書いたのですが、なにか史跡のあるわけでもないですし、思いのあった場所という意味で、思跡と造語してみました。

史跡があったら・・・怖いな・・・(^^;

こちらから購入できます

伝言板でいろいろとお話させていただいている千折さんから「福岡音楽本」を教えて頂き、取り寄せて読んでみたときに面白いことが浜崎あゆみについて書いてありました。

この<<福岡の証言者>>企画があがったとき、正直言うと少々悩んだ。なぜなら彼女が福岡にいたのは10代半ばまでで、歌手・浜崎あゆみが誕生したのは東京なのだから、福岡時代のことをリンクするのは少し強引ではないか、と。しかし成人式をわざわざ福岡で迎えたりライブのmcで博多弁を使ったりする彼女から、故郷・福岡への愛着は少なからず伝わってくるのも事実だ。・・・

福岡音楽読本39p

これを読んで、なんと客観的な書き方だろうと感心しました。地方の出版社と地方のライターですから、地元のよいしょが多いのかなーと思っていたからです。

余談ですが、現地の新聞を読む限り、やっぱりよいしょの傾向が強いですね。
この本は全国から引き合いがあるようですが、そうした内容そのものが支持されているのでしょうね。

この本を読むまで、成人式を博多で迎えたという話題を忘れていたのですが、これは「わざわざ」と説明する話題ではないかも知れないなとも思いました。成人式の連絡は、記憶が正しいと、住民票に従って行われるはずです。ということは、19歳の浜崎あゆみは、住民票を東京に移してはいなかったということですね・・・。成人していないのですから、親の住民票に従っていただけなのかも知れませんが・・・。しかし、経験的な感覚で述べてみると、住民票の移動は、結構本人の考えが反映していたりするものです・・・。つまり、転居先に居つく決心がないと、住民票は移動しないこと、若い人には多いと思います。ま、考えすぎかもしれませんけど・・・。

またまた余談ですが、なかなか面白かったこの本で唯一違和感があるのは、東芝EMIの広告ですね・・・矢井田瞳と宇多田ヒカルの広告が入っているんです・・・なんで福岡に関係あるの・・・?・・・椎名林檎を歌舞伎町のなんたらと宣伝したからかしら・・・(^^?・・・この本全体の中で最大の謎を感じました・・・。椎名林檎の広告でない不思議・・・。やっぱ、東芝emi は変な会社になったのかなー?。また、この出版社も企画に賛同した内容の広告だけ受けろよ、とも思いました。

そうしたことに、10代の浜崎あゆみの感じ方について思わさせるものがありました。
先にご紹介した本や、他の市販されている浜崎あゆみ解説本を読むと、福岡時代の話題はいろいろと紹介されているのですが、結構あっさりしています。
曰く、田んぼが残っている田舎という感じの説明が多いようでした。そこが不思議な点でもありました。そんな田舎で、なんで話に聞くように浜崎あゆみはなっていったのか、よけい不思議に思ったのです。そんな田舎なら、のほほんとした子が育つほうが自然にも思いました。片親で育ったという家庭関係だけでは、説明しきれないと思うのです。片親や両親がいなくても、のほほんとした人はたくさんいますから・・・。

かく云う私も両親なく育ちましたので・・・こうした話題を書いてもいいと思います。ちなみに、私は生意気に育ちましたが、グレたといわれたことはありません。またまた余談ですが、これらの伝記?本は、本人の話を聞いてまとめている点も多いのではないかと、疑っています。で、あまり分析がないみたいな・・・そのため、直接に話を聞いている人ならともかく、第三者が文章にした場合に読者の立場では了解しにくいものを感じます。

で、今回はまず、中学校のあたりを訪れて、そして街はどのような雰囲気なのかを見てることにしました。

外観は同じでも、街には文化がある

いろいろな街を訪れて思うのですが、街ごとにローカルな文化があり、独特なカラーがあります。たとえ、街の施設や行きかう人々が同じようなスタイルをしていても、文化的な違いがあります。そして、よけいに異邦人にそれは感じられるように思います。

その昔、バイオモドキ神の信者が猟奇殺人を行った際に、オーディオ仲間の訪問とパナソニックの試聴室見学のため、その一週間後にそのあたりに行ってしまいました。泊めて下さった方のお宅が近くだっのです。そのときに、町全体が同一世代という神戸のニュータウンの有様を見て、ひどく驚いたことがあります。町全体がおなじような均一性をもっていることの異様さは、さまざまな世代が一緒に暮らす街で育った私だから感じられるようでした。長く住んでいる人には日常なのですから、不思議を感じないことのほうが自然ですし・・・。この街の持つ雰囲気の話題は、猟奇殺人当時の報道のいくつかにも指摘されていました・・・。あまり注目されませんでしたが・・・。

空港の売店で購入した地図によると、目的の場所は地下鉄空港線沿線・・・もう、空港から真っ直ぐなのですから、そのまま行くことにしました。
しかし、早速に思いました・・・これ、本当に田舎かね・・・(^^;

駅を降りて、びっくり・・・

駅の階段を上がる途中に見つけた張り紙

目的の場所にいちばん最寄の地下鉄の駅を降りて歩いていると、地元の人の話が聞こえます。こんなとき、黙って聴いてしまうのが私の習性です。
なんでも早良(さわら)区の教育○○の△△さんが亡くなって、その四十九日に行くとか行かないとか・・・なんか、普通の話題よりもちょっと硬くて濃いなーと思いました。だいたい、血縁でもないのに四十九日に行くかね・・・という東京人の感覚でもあります。

実のところ、冠婚葬祭は地域ごとにまったく習慣とやり方が異なるので、普通かどうかもわからないというのが本心ですけど・・・基準となるものは自分の文化圏ですから・・・。
でも、私の感覚は関東地方ならあたりまえだと思います。よほど身近でないと、四十九日には行かないと思います。

で、その地下鉄の駅の階段を上る途中に見つけたのが、上のような張り紙です。
これは、ちょっと驚きました・・・。変わってるでしょ・・・いくらなんでも・・・(^^;。
新宿でも、駅にはこんな張り紙ないよなー、と思いました。

まず、中学校を見てみよう・・・

目的の場所まで、タクシーで行くことにしたのですが、運転手に行き先を告げても、なんかよくわからないみたいです。地図を見ると、この地域には異様に小学校と中学校が集中していて、名前も似ているんですね。東京では、平均的に散れていてそんなに近接して学校があるわけでもないので、不思議な感じがしました。
街を見ていると、以前に読んだ本に書いてあるように、ちょっとだけは名残のように田んぼが残ってはいますが、そんなに多くありません。タクシーの運転手さんに聞いてみました。

「あの、この辺は以前は田んぼだったんですか?」
「そうですよ、ずーっとね・・・」
「いつごろです?」
「もう、結構前ですがねー」
「10年くらい前は?」
「もう、今と変わりませんねー、そりゃ、もっと前の話ですから・・・」

百聞は一見にしかず・・・以前に読んだ本、やっぱ取材の傾向が私の知りたいことと違うみたい・・・。

これが中学

中学校を見て、ちょっと感心しました。なにしろ、植え込みの木、ちゃっんと職人さんの手で刈られているみたいです。それも、大きな校庭の植え込みを含めてです。そんな公立中学校、見たことありませんでした。植え込みの刈り込みの予算を持っているのか、奇特な校長の特技なのか(ときどきこうした校長いるみたいです・・・校長は学校で暇なんですかね・・・)、父兄のボランティアなのか、わかりませんが・・・。

他にも、現地で有名な高校を見たら、やはり植栽にちゃんと手入れが行われていました。このようなことは、福岡では当たり前なのでしょうか・・・(^^?・・・なんか、凄い・・・

そして、この校門の右側には以下のような幕が掲げられていました。

へー、スポーツにも熱心なんだ

と、思ったのですが、よく見ると「平成11年8月」と書いてあります。ということは、当時の生徒はすべて卒業しているはず・・・つまり、過去の栄光を掲げているわけですね・・・教師や関係してる父母にとっては誇らしいとは思うのですが・・・。私のこれまで知る範囲で、年を超えてこうした幕を掲げているのは知らないので、教師や父母が教育を大切にしている気持ちが伝わる思いがしました・・・ちょっと、怖いけど・・・。

校庭も広いですねー

校庭の広さには驚きました。東京の学校は狭いですから・・・私の卒業した高校は公立の割には広い校庭で有名でしたが、それでも100m四方、ラグビーが出来る程度です。この校庭よりもずっと狭いと思います。私の通った中学校や小学校の校庭なんか、そりゃ、狭いものでした。
ついでに、おとなりの小学校も見ようと思いました。
この小学校は浜崎あゆみの通っていた学校ではありません。
で、流れる川のところを見て、驚きました。鯉のぼりが飾られていたのです。

何年ぶりかに見た鯉のぼり

川を利用して飾るのはアイデアだなーと思いました。
子供たちにも楽しいでしょうし・・・。東京ではあまり見かけない光景ですので、感心してしまいした。でも、これって、教育熱心ということじゃないのかなー(^^?

博多駅にも鯉のぼりが飾ってありました。で、ホテルのバーで聞いてみました。

「博多って、鯉のぼりよく飾るんですか?」
「??」
「よく見かけるんで・・・駅にも飾ってありますよね」
「そうですか・・・どこかで川に飾るのは知っているのですが・・・」

どうも、この飾り方、このあたりでは有名なんですかねー

小学校も校庭が広い

学校を見ながら、本に書かれていた「田舎」というキーワードが、もう理解できなくなりました。
なんか、この辺の学校は、かなり力が入っていないかな、と思うようになったのです。
そろそろ12時になります。
おなかも空いてきたので、駅のほうにタクシーで向かうことにしました。
途中に、ダイエーがありました。かなり大きなお店です。
もう30年くらいあるそうです。そうであれば、浜崎あゆみもここには来たことがあるでしょうね。
タクシーで駅に向かう途中で、目に付いたお寺がありました。
その伽藍の構造は見たことがないものでした。
そこで、駅まで行ってしまったタクシーを降りてから10分ほど歩いて戻り、そのお寺に行ってみました。

大悲山千眼禅寺

運転手さんの話では、このお寺は個人タクシーの試験に出た場所で、この辺でも有名な場所とのことでした。でも、ちょっと不思議に思ったので「なぜ?」と突っ込んで聞いてみたところ、予約したら精進料理を食べることができたのだそうです。でも、今はわからないとのことでした。

立派な外門
内門から境内を見る
大光宝殿
掃き清められた境内と、わんちゃん

禅寺が街の中にあるのも珍しいなーと思いましたが、このお寺、さらに立派でもあります。京都のお寺みたい・・・。
なんだか、歴史ある教育熱心な街なのかなーと思い始めました。
で、ラーメンを食べようと駅の近くに戻る途中、今度は鳥居が目に付きました。

紅葉八幡宮

参道入り口です
紅葉八幡宮とはよく言ったもの

見ていて、なあるほどと思いました。
紅葉が多いんですね。

さらに奥へ
奥が本殿です

奥の本殿は、今式にコンクリート製なので写真を撮らなかったのですが、寄付を示す石碑を見たら、100万円単位で寄付を受けていたみたいですね。熱心なことです。神社には、檀家があるわけではないですから・・・。
博多の街中には、たくさんの仏具屋や神具屋さんがあり、そうした宗教的な習慣についてついて、維持されているのが見て取れます。

余談ですが、東京ではそうしたお店はかなり数が少なくなっています。
一番多い場所が浅草だと思うのですが、博多のほうがお店の数も多く、規模も大きいようです。

本殿横のお稲荷さん

この神社は、筑前の国橋本村に鎮座していたものが何回か遷宮されて、大正2年にこちらに遷宮されてきたそうです。あまりこの地で長いものではないのに、規模が大きいのでちょっと驚きました。
なんか、ここに至り、この辺て、本に書いてあった田舎町とは違うじゃないかな・・・とよけいに思うようになりました。

なんだかわからない立派なお宅

駅のほうに向かいながら、周りを見ていると、再び立派な門構えの家がありました。

立派なお宅

このお宅は、ポールが3本立っていました。国旗なんかを掲揚するものでしょうから、来客に合わせるて使用するのだと思うのですが、入り口にはでかい番犬がいますし、猛犬注意の張り紙もあります。雰囲気だけ見ると、料亭のような気もします。料亭によっては、海外からの来客時に国旗を掲揚するお店もあります。また、旅館みたいな気もします。でも、客商売で番犬がいるのも不思議です。停まっている車のナンバーは0001、○○さんかなー、よくわかりませんでした。

「でも、なんか、由緒ありそう・・・」

味楽窒 (高取焼窒元)

戻る途中、またまた眼を引く光景を見つけました。路地の入り口に窒元の看板「味楽窒」というのを見つけました。で、入ってみたのですが・・・

ちょっと驚いた光景

この光景の右側には、ちょっと錆びた看板がありました。早良区の観光案内板でした。
なんか、この辺でも有名な場所に、またまた入ってしまったようです。そこには、窯元の配置図が説明されていました。左側が住居、右側には窯、それも昇り窯みたいです。奥には美術館もあると書いてあります。

昇り窯

この窯を見て、「あれ、以前にテレビで見たことがあるみたい・・・」と思いました。その番組はNHKだったんじゃないかなー?。
で、そのまま併設されている美術館に入ることにしました。美術館は、1Fと2Fに分かれていました。で、1Fは実売もしていました。そこには、老婦人の先客がいらっしゃり、いろいろと見入ってらっしゃいました。販売されている方はいらっしゃらないみたいです。
見ていると、中央のテーブルには15代襲名記念という茶器がありました。
14代亀井味楽から、15代に名前が継がれたんですね。
いろいろと見ていると、なかなか味があります。日本酒大好きな私としては、ちょっと欲しくなってきました。

このホームページのかるばどすほふという名前が示すように、私はカルバドスが大好きです(名前の由来はこちら)。でも、実はおいしい日本酒がもっと好きです。でも、いい日本酒は一期一会、出会いで飲むものであり、安定して楽しめるものではありません。で、お店が手に入れやすいカルバドスをよく飲むわけです。え、カルバドスも珍しいって・・・(^^;・・・大丈夫、どんなお店でも私が通うお店には用意があります。でも、日本酒の場合は、そんなに簡単には用意できないんですよね・・・蔵元と付き合いがないと下ろしてもらえませんから・・・。

で、14代亀井味楽のぐい飲みをもらおうと思いました。待っていると、30台の女性の方が入ってきました。きっと、若いご主人の奥さんでしょうか?

「あの、頂きたい物があるんですが・・・」
「はい、どちらでしょうか?」
「これなんですが、おいくらですか?」
「3万円になります」
「では、頂きます」

この時に購入したぐい呑が右の写真です。
写真からはあまり判りませんが、しっかりしたもので、特に下部の作りに特徴がありました。その持ち味に、買ってみようかな思い始めたのでした。いいぐい呑は、お酒の味をより高めてくれます。
ちなみに、作られる方により価格が大きく違います。このぐい呑みは一番高価なもののひとつでした。

「ご旅行ですか?」
「はい、東京からです」

私は大きな黒いバックを背負い、手には服を入れたスーツケース、Tシャツ、Gパン、そりゃ1970〜80年代のアメリカの若者が日本を訪れているような感じです。

「東京に比べたら、見るような場所はありませんでしょう」
「浜崎あゆみのコンサートがあるんで来たんですよ」
「そうなんですか?どちらであるんですか?」
「なんとかメッセとかいう場所です」

こうした固有名詞覚えるの、苦手なんですよね・・・(^^;

「ああ、わかりますよ・・・浜崎あゆみは、このあたりの出身なんですよ。うちの娘もファンなんです」
「じゃ、会場でお会いしちゃうかもしれないですねー」
「いえ、まだそんな年ではないので・・・中学ですから・・・昔はモーニング娘が好きだったみたいですけど、年が行くと浜崎あゆみがいいみたいですね。このへんが故郷なんですよ」

え、この辺では中学生ってコンサート行かないんだ・・・でも、やっぱりそうしたお土地柄かも・・・とも思いました。なんだか、学校も多いし、ずいぶんまじめなお土地柄と思い始めていたからです。
翌日のコンサートで、親に同伴されている中学生らしい姿を多く見ました。もちろん、中学生だけのグループもありましたけど。しかし、浜崎あゆみのファン層は、年齢の幅広いですね・・・CDLの時よりは若い方にシフトしているみたいですが・・・。きっと、コンサートの時間のためですね、CDLは深夜に終わることになりますから・・・。

「ええ、それで折角なもので、出身したという中学校を見てみようと思ったです。しかし、この辺、学校多いですねー」
「ええ、福岡ではこの辺は文教地区なんですよ。」

あ、やっぱりねと思いました。
この内容は、28日にお会いした楠さんとお話した際も確認できました。

「お伺いしたいんですが、九州北側のあたりって、教育熱心なんじゃないですか」
「熱心ですよー」
「学校なんかでも、進学の仕方なんかで結構いろいろな話題でますでしょ」
「そうですね〜、進学のために東京に行くというと、おお〜っ、という感じですけど、そうでなく東京に行くというと、いろいろと言われますよね」
やっぱりねーと思いました。

「旧いお宅も多いみたいですね」
「ええ、商人の町なんですが、旧いお宅は多いですよ」
「さきほど立派な禅寺があっので寄っていたのですが、あちらは精進料理も出されるんですか?」
「昔はやってらっしゃいましたが、今はもうやられていらっしゃいませんね。あちらは京都の流れを汲むお寺です・・・」

こんな感じで、ちょっと話し込んでしまいした。
だんだんと、この街全体に対して、格式のある、教育熱心な街と思うようになりました。でも、そうしたことは別な意味を同時に含むようになります。そうした中で、あるコース以外は評価されない街になっているかもしれないとも思うようになりました。つまり、進学コースに乗ることが、この街の子達に課せられたひとつのテンプレートなのかもしれないと感じるようになりました。

この話題に、複数の人と話してみたのですが、社会に出た後成功していると、そうしことは気にしないのが、博多でもあるとのことでした。博多どんたくの由来が、博多商人たちが中州の綺麗どころを引き連れて、挨拶して回る際に、綺麗どころ達が贅を尽くして舞ったのが初りとか・・・。黒田公にはこうした粋はできないだろうと見せ付けるものだったそうです。反骨の母体と、それを認める文化も併せ持つ街みたいですね。
ここまで書いてくると、浜崎あゆみの個性と博多という街に深い関係を感じてしまいます・・・。

旧いスタイルの進学重視な文教地区・・・

ここでは写真で紹介していませんが、かなり有名な私立高校とか、街中を見ながら感じ始めたのが、旧いスタイルの進学重視な文京地区というイメージです。

こういう建物が商店街中にふっとある
こうしたお店も残ってる


こんなことを感じながら、お昼を食べに、空港で買った地図に載っていたラーメン屋さんに行きました。

あっさりしていて、とてもおいしいラーメンでした

このお店、博多で一番歴史あるラーメン屋さんだそうです。
おいしさに感心しながら、お店の厨房の話を聞き流していました。

「ゴールデンウィーク、あっちの店は○○じゃだめだな」
「やっぱりねー。本当はあっちの方が忙しいんじゃないの」
「甘いんだよ・・・」

結構ハードな話題を、夫婦?で話しています。その子供たちも、その話題を受け止めながら、もう一軒あるお店のゴールデンウィーク中のシフトの相談をしています。
このような仕事に対する姿勢も、この街の文化の一つなんでしょうか。
そういえば、浜崎あゆみもお仕事には妥協しないタイプとして有名です。
なんか、共通点を感じてしまうのは、一見さんの特権ですかね・・・(^^?

この点についても、28日にお会いした楠さんに伺ってみました。
「九州北側の人って、仕事にかなり厳格で過激な雰囲気あります?」
「よくわかりますねー、ありますよ」
「実はラーメン屋さんでね・・・(ご説明した内容)・・・で、ひょっとすると浜崎あゆみの仕事に対する厳しさも似たような傾向なのかなーと思ったんです」
「それは、言えてるかもしれませんよ」

あ、やっぱり教育熱心な文教地区だ・・・

もう時間は1:30PM、長崎に向かおうかなあと思い始めました。
博多に向かうべく、地下鉄に乗るときに、駅の広告を見ていて気づきました。学習塾の広告です。それも、中学生向けのものです。各有名高校への進学実績を誇るものでした。こうした広告、しばらく見たこと無かったので、驚いてしまいしまた。まだ、そんなことが大切な地域があったのかと思ったからです。

親友と飲みながらこの件を話していたら、東京でも新聞チラシに入ることはあるぜ、と教えてくれました。もう、十数年にわたって新聞を取っていないので、ちっとも知らなかったかるばどすでした。

2002/5/11

2002/7/7の西日本新聞を見たら、私立高校一斉入試が一面でした・・・あきれてしまった・・・(^^;

2002/7/13

で、ふと見てみた駅名の表示は以下のようになっています。
学習塾のマークではありません
ペンと鉛筆から作られたnマーク・・・駅のマークです・・・博多の地下鉄は、駅ごとにシンボルマークがあるんです・・・。
浜崎あゆみは、小さいときからモデルなどをしていたようです。「浜崎あゆみよ、風になれ」のページの先頭にある画面の中で、浜崎あゆみの顔が交互に出てくる中で、最後に出てくるのが、浜崎あゆみの福岡時代のポスターから得た幼少のときの浜崎あゆみです。
このような、進学に対して強い志向性を持つ、旧家が多い、しかし決して大きくない街で、浜崎あゆみが感じたものは、いろいろだっと思います。

だいたい、今の日本の学校生活ってちょっと異様な社会です。
社会から隔絶された、別な社会になっています。
それならば、管理しているはずの学校教師が強く責任を持つべきですが、それをしておらず、生徒自身の責任と、家庭に大きな教育負担を要求しています。

このような理論的背景には、20世紀最大の過ちであった、フラットランド/すべては対等である信じ構造を理解できなくなる考え方があります。小学校で「先生も皆さんから勉強しているんですよ」なんて本気で話している教師、いくらもいるでしょ・・・もう一度幼稚園から通えばと思います。いっぱい勉強できますからね・・・そうした教師って、ただの社会不適格者なんじゃなかろかと思うのは私だけでしょうか・・・?

この状況の源こそ、実は教師のご都合ですよね・・・本音は簡単、楽だから・・・。無責任で求心力が無く糸の切れた凧のような学校社会、そして現実社会からの隔離、その意味の無い無菌室に受験産業が入り込むから、めちゃくちゃな世界になります。そうした学校生活を否定したり、拒否する子が増えることって、自然な気がします。

浜崎あゆみは中学にはあまり通っていなかったとも言います。

この話題は、浜崎あゆみの同級生だった子から直接に聴きました。
同級生だった子に直接聴いたところでは、この中学はかなり教育熱心な学校とのことでしたが、この同級生もあまり学校に通っていなかったといいます。そのため、あまり浜崎あゆみとは会わなかったとか・・・。でも、不思議ですよね。教育熱心な学校って、通わない子がいても気にしないのかな・・・。勉強が嫌いなら勝手にしてろということなのですかね。それでもいいとは思うけど、教師の本音は進学率のアップだけ見たいな気きがします。教育熱心なんじゃなくて、受験産業に飲み込まれた、悲しい学校なのかもしれませんね・・・・ 2002/5/11

でも、こうした街の中で、ひとつの定められたパターンから外れたら・・・それは自然な成り行きでもあります・・・。

実は、私は明治時代の人に育てられたためか、学校は行きたくなければ行く必要がないと教えられ、そのままに育てられました。テストでいい点を取れと言われたことも、勉強しろと言われたこともありません。いい成績を収めても、ふ〜ん、という感じでした。一応は褒めてましたけど・・・。その理由を尋ねたことがあるのですが説明は明確でした。育ての親であった祖母は当時知り合いだった国立大学の教授の幼少時代を例にして説明してくれました。その人は中学のころ不登校になり、親が行きたくなければしっかり遊べと、休学させたのだそうです。すると、同調する親もいて、その人の子と2人が1年休学して、日本中遊びまわり、それから復学・・・やがてひとりは大学教授になり、もう一人は会社役員・・・人生の展開と、学校の成績や学校に通うことそのものなんて関係ないと話していました・・・大切なことはそうした若い時代に自分に何が残せるかということなのでしょう・・・今、私もそう思います。

まだ、羽のなかった時代の浜崎あゆみ・・・

福岡中央銀行のポスターの一部

私が感じている、故郷の人たちが、特に身近で世代が近い人たちが、浜崎あゆみの成功に対して複雑な印象を持っているという感覚は、意外と外れていないかもしれません。自分たちの世界観から外れているのに成功したということ、それは、浜崎あゆみという今までの自分たちが守った伝統的な考え方に対するアンチテーゼを認めることになるからです・・・。その人が弱いほどに認めにくいでしょう。
余談ですが、「浜崎あゆみよ、風になれ」で使用している旧福岡中央銀行のポスターは、天使の羽が、絵として書き込まれています。
そう、まだ羽の無かった時代の浜崎あゆみ・・・それが福岡の時代であったのかも知れません・・・。
ここで、浜崎あゆみが、サンミュージックの地方キャラバンで発掘されたときの裏話をひとつご紹介しましょう(この話題は本などで仕入れたものではありません)。

彼女が当時属していた事務所では、その際に他の子を推薦したのだそうです。しかし、サンミュージックのスタッフ全員が選んだのが、浜崎あゆみでした。当時、地元の事務所では不思議に思ったそうです。この話題は、かるばどすほふで使用した福岡シティ銀行のポスター写真をくれた方のお姉さんから聞きました。そう、ポスター写真をくれた方というのが、当時の浜崎あゆみの所属事務所のマネージャーだったのです。そして、今を見て、サンミュージックの選択は正しかったと思うと話していたそうです。もっとも、それを形にしたのは、サンミュージックではなくavexの松浦専務でしたが・・・。おそらく、サンミュージックは歴史があるだけ、内部が分業化されてしまっていて、発掘した人たちの感性と育てる人たちの感性に齟齬があり、みすみすのチャンスを失ってしまったのでしょう。

人の出会いとは、いつも微妙なものです・・・。
そして、組織とは常に平均的な動作をするものです・・・。

実は、ダイビングでパラオに行っていたときに、このお姉さんの方と一緒になったのでした。で、浜崎あゆみのファンですよと話したところ、「あら」という展開になったのです。そのときに彼女と一緒に行っていた彼氏は、私の知り合いでした。いやはや、偶然に同じ船に乗り込んで、遠くパラオでダイビングクルーズするとはね・・・世の中、広いようで狭いものです・・・。

この時代の博多から、今活躍している多くのミュージシャンが当時排出した背景・・・バブルの末期、お金が潤沢であったために、有能であることは大切でなく革新は妨げられ、窒息しかかった地方社会のあり方が堅固であった時代・・・人に対して定められた?テンプレートに従うことを強く強要した時代・・・そうした行き詰まりから、自由な魂が自身の場を求めて旅立った・・・そんなことだったのかも知れませんね・・・。

もっとも、今もそうした外れ方が、なんの間違いか形だけ伝統として息づいてしまっているのは、やっぱそうした伝統を大切にするという業なのですかね・・・若い人も時代に対応しろよと思います・・・今の時代は、やり方が他にもありそうに思いますもの・・・。

もともと、さまざまな文化の交差点であったこの地は、深い文化的背景を持っているように思います。お寺は弘法大師の時代に遡るものも多いし・・・こんなに禅宗が幅を利かせている場所は、はじめて見ました・・・。

九州・・・諸行無常の街・・・

28日にお邪魔した、オーディオ仲間の楠さんとは楽しい時間を過ごしました。そして、夜に食事をした後に訪れた、門司港レガシーには、感じるものがありました。
門司港が貿易の主流から外れて久しい中、街は廃墟となっていました。

あんまり、観光客は多くないみたいですね・・・

その中で、古い門司港周辺は門司港レガシーといわれてます。
歴史のある、九州のこの地域こそ、諸行無常がそのままに、日常とともにある地域でした。率直なところ、東京生まれの東京育ちの私には、それもちょっと驚きでした。浜崎あゆみの持っていた諸行無常観は、学んだものではなく、日常から自然に感じられたものなのでしょう・・・。かつての日本人と同じように・・・。

得心が行きました・・・

今回、ほんのちょっとだけ訪れた街でしたが、なんだか得心がいってしまいました。
そして、そう考えると、なんでもあり、なんでもOKという東京から、浜崎あゆみのような人が出ないのは、自然かもしれない・・・つまんないけど・・・でも、そうした魂をすべて受け入れる場として東京の文化はあるのかな・・・。そうした場を日本や世界のために維持するのが、東京人の務めなのかもね・・・。


このコンテンツをお読みいただいた千折さんから、興味深い投稿をに戴きました。千折さんからご許可を戴きましたので、こちらに転載させていただきました。本編と合わせてお読みいただければと思います。

「浜崎あゆみ思跡ツアー」

No. : 285name : 千折date : 2002/05/11(Sat) 19:47
 「浜崎あゆみ思跡ツアー」は福岡市民、それもあの一帯で生まれ育った私としてはなかなか新鮮な驚きもあり興味深いものでした。「浜崎あゆみ大百科」は読んでいないので、どういう内容かは知らないのですが、想像は付くように思えます。 椎名林檎も大体このあたりの出身だから(年齢も同じ訳だから2人がどこかで出会っていても不思議はないのですが)彼女の「正しい街」なんてそういう気分が出ているように思えます。
>旧藩校・修猷館高校
 西新の修猷館高校は見られなかったでしょうか。一見すると大通り沿いにある古ぼけた高校でしかありませんが。 ここいらへんが文教地区になった大きな理由がこの修猷館高校だと言われます。公的には県立高校の一つでしかないのですが、元は確か日本で2番目に古い黒田藩の藩校です。そして長い間、福岡の「良家」の子弟はここに行くのが当然とされていた旧制中学であったわけです。その割に大学にはあまりこだわりがなかったようです。むしろ「良家」の跡取りは、東京の有名大学などに行くと帰ってこなくなると敬遠されていたそうです。私の大叔父に当たる人物も確か成績優秀で本人は東京の大学に行きたかったのに、家から反対され、家出して行きましたが、坊ちゃん育ちの悲しさで苦学までは出来ず、手持ちのお金が無くなったら帰ってきてしまったそうですが。
 さて県立高校には学区制というものがあります。昔は、けっこういいかげんで知人に島根県から越境入学していた人なんていうのもいたぐらいですが、その締め付けが厳しくなると、子供を修猷館に行かせたい人は学区内に引っ越して来だしたわけです。特に通学しやすいあのあたりに。浜崎あゆみが住んでいたあたりもそういう感じですね。田んぼばかりだった地帯が急激に市街化したのはそういう理由だったと言われます(もちろん単純なドーナツ化現象としての面もあったでしょうが)。そういう成り立ちだから、自然と町全体に教育熱心というか進学熱心な気風があるのでしょうね。同じ福岡市でも東側の博多部なんかだとまた気風も違うのですが。
 ちなみに福岡市というのは、那珂川を挟んで別の町であった、黒田五十二万石の城下町福岡と商人の町博多が合併してで来た市で本来は別の町でした。(もっとも続風土記(8世紀の文献ですね)に記された博多大津は今の中央区だったようですが。そしてどちらにも属さない那珂川の中州に繁華街ができたわけですね)
 最初の市議会で市名を福岡市にするか博多市にするかでもめ、1票差で福岡市に決まったと言われます。そのため、国鉄の駅名は博多駅にすることでバランスをとったと。ちなみに空港は福岡空港です。元は板付空港といい、米軍が使用していました。福岡空港は、羽田、成田、関空に次いで乗降客数が多い空港で、しかも空港から直接地下鉄で新幹線駅、都心と繋がっているという、おそらくは日本一便利な空港でしょうね。もっともそのため福岡市は高いビルを建てられないのですが。航空法の関係で。
 それはともかく、大大名であった黒田五十二万石の家臣の子弟を教育する藩校であった、つまり地域エリート養成機関であった修猷館を中心に発達した町であることが、このあたりの気風を作っているところはあるでしょうね。文武両道、質実剛健といったような。禅宗の寺が多いということは全く意識していなかったのですが、武士の町であったことが大きいのでしょうね。(一方で派手好き遊び好きな面もあるのですが・・・黒田節で歌われたように)ところで修猷館自体は自由放任を校風とする高校で、締め付け受験教育とは無縁の所です(少なくとも昔は)。おかげで四年制高校なんぞと言われたりもしてました(^_^;)かるばどすさんなんか居心地が良かったかもしれませんね。
 昔は市の中心部から遠く離れた松林の中だったのですが、今では町の真ん中になってしまっています。この修猷館の北に隣接して、misiaが在籍する西南学院大学があります。その北が百道浜でした。今では百道浜は埋め立てられほとんど未来都市の様相ですが。この埋め立て地には博物館やら、蔵書数200万の市立図書館(さらに特にアジア中心のフィルムライブラリーがあります)やらがあります。もちろん福岡ドームも。また南に行くと、学生数2万の福岡大学があります。確かにやたらと学校が多い地域かもしれません。
 そもそも福岡市一帯は歴史が古い地域です。海の中道の先にある志賀島は例の後漢光武帝の金印が発見されたところでですが、魏志倭人伝(正確には「三國志魏志東夷伝倭人項」)にもここいらへんにあった国名がいろいろでてきます。邪馬台国がどこにあったかは未だ論争ですが、そのルート上の伊都国だのがここいらへん(福岡市の西隣、糸島半島前原市あたり)にあったのはまあ間違いない。考古学的発掘でもいろいろ出てますしね。その後、常に大陸へ開けた貿易港(鴻臚館、太宰府など)として存在してきた福岡一帯は歴史の変転をもっとも見てきた一帯でもあります。元寇の時も未曾有の国難だったように言われますが、実際に戦場になったのは途中の島々と福岡市近辺だけで。当時の京都で書かれた小説なんて元寇のげの字もありゃあしません。京都が落とされて、鎌倉の近くまで元軍がせまったというならホント国難だったでしょうが(それだともう征服されていたか?)。そういう「国難」を実際に経験した地域の出身ではないところが、日本の「中央部」の、私の目から見ると馬鹿げた戦争ごっこ体質の遠因かもしれません。ちなみに修猷館前のバス停の隣は防塁前、言うまでもなく元寇防塁のことです。そういうものがごく身近にあるわけですね。
 江戸時代も長崎が唯一のヨーロッパとの窓口だったわけですし、明が滅んだときに台湾に国を建てた鄭成功の母親が平戸(福岡市の西側ですね)の日本人だったように、常に海外を見ていたところですから。考えてみれば明治政府は薩摩・長州の、つまりは九州・山口政権だったわけで、彼らが現実的な国際感覚を持っていたのはそのためで、「中央」の人間が政治の実権を握ったのが昭和に国を誤った原因かな?とまで言ったら郷土びいきが過ぎるでしょうけれど。 西新駅の隣は唐人町駅ですが、言うまでもなく福岡にはるか昔から「チャイナタウン」があった名残です。今の唐人町に特に中国人が多いということはないですが。そういう事情もあり、昔から福岡市民にはグローバルな感覚がありました。 今でも船で2時間行けば釜山ですからね。韓国からの観光客も多いです。天神で買い物して別府で温泉に入って阿蘇山を見物するのが韓国からの観光客の基本コースですね。韓国には火山がないので。
 余談ですが、小林よしのりも福岡出身ですが、どうも私には彼は本州のアホ右翼におだてあげられていいように利用されているとしか思えず、あまり感心しません。彼の言う「公」は日本しか含んでおらず、福岡出身者にあるまじき視野の狭さが不愉快です。どうも彼からは学歴コンプレックスと体力コンプレックスが二重に感じられ、文武両道の気風の中でどちらも無かった彼の劣等感が悪い方に出てしまっているのではないかという気がします。最初の頃はそれなりに良い感覚を持っていたと思いますし、最近はアホ右翼からも利用しつくされて捨てられつつあるようだから、自分を見つめ直してみることができるなら良いのですが。しかし一度落ちた評価を回復させることは極めて困難な道ですが。
 浜崎あゆみに日本人だ何だという意識がないのを新世代の特徴と書きましたが、福岡出身者であることも大きいのかもしれません。
 なんか書いているとけっこう熱くなってますね。意外と愛郷者だったのかな、私は。まあ書いている内に色々と思うところが出てきましたので。私が思っていたよりも面白い町なのかもしれません、福岡市は。住んでいると意外に気づかないもので。 まあもちろんそんなことは無いと感じる福岡市民も少なくないとは思いますが、考え方としてこういうのもありかなと思いますね。


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