旅の記録 (1999年8月15日)

ロスアンジェルス → 成田


ロスアンゼルス→成田

今回のアメリカ出張はトラブルも無く快適でした。飛行機は快適でしたし、ホテルのトラブルも無く、ビジネスの話題も順調でした。
デルタ航空はあまり利用したことはありませんが、実に快適でした。特にファーストクラスやビジネスクラスは良く出来たシートでした。もっとも私が利用したのはエコノミーでしたが・・・。
帰りのdelta79便は11時にロスアンジェルスを発ちます。チェックインは90分前までですが、余裕を見てホテルを8:30に出ることにしました。
土曜日のロスは交通渋滞も無く30分もかからず空港につきました。一緒に帰る方は専用ラウンジを利用できるのですが、わざわざ私に合わせてラウンジを利用せずに通常のバーに一緒に付き合ってくださいました。私の会社では考えられないことなので、ありがたく思いました。
帰りの便も快適で、9時間ほどで成田につきました。
空港を出るまでも実に快適でした。
で、エアポートリムジンバスが・・・・トラぶったのです。
東京に入ったころ、渋滞になりました。エアポートリムジンバスは無線で情報交換をしています。私は最前部の席に座っていたので、無線が聞こえました。
「レインボー(ブリッジ)で事故があった模様」
パスは高速道路を降りて、ウォーターフロント地域に入っていきます。
これがとんでもない過ちだったのです。
この日15日は、14日の花火大会が雨天順延になっている日でした。そして、静岡とか沼津とか宮城とか大阪とから、日本中の田舎ッぺが車でウォーターフロントに集まっていたのです。東京に長く住んでいれば車で花火見物という発想は無いのですが、田舎っぺは逆に、車で移動することしか思いつきません。ただでも車が多い東京に田舎ナンバーの車で集まって、交通渋滞を引き起こしてくれたのです。ああ、石原都知事がんばれ!!!
なんとウォーターフロント地区を抜けるまで1時間40分、バスの中からは呪いの声が出ていました。
「なんだぁ、この車、沼津ナンバーじゃないか」
「あ、宮城ナンバー」
「どうなってんだ、こいつら」
都内のナンバーの車は絶無ではありませんが、1割もありませんでした。東京都は都パスの大幅増発をしていましたが、目も当てられない田舎者の自動車のため立ち往生でした。ああ、石原都知事がんばれ!!!
自宅に着いたのはもう午後6時でした。日本についたのは午後2時、なんとロスから日本までの空路の半分近い時間を成田から大崎の自宅までの時間に費やしたのです。
この帰りの深いな苦痛の本当の原因は、田舎っぺが悪いのではありません。直接には原因ではあったのですが・・・。
本質的には、成田空港の立地が原因なのです。
成田空港は世界のワースト10に入る悪質な空港ですが、設備の悪さよりもだめなのは、その立地です。千葉県出身の代議士の地元利益招致のために、成田に作られたその空港は、現地の反対の為に、戦時下の空港のように警戒されています。どこの国に、戦争状態とか特別警戒にないにも関わらず、空港に入るためにパスポートを必要とする空港があるでしょうか?だれがその警備コストを支払っているのでしょうか?成田空港は、多くの人々に受け入れられない設備の最右翼です。それを建設した莫大なコストと、建設が遅れたことによる機会損失コストは日本に影響を与えなかったはずはありません。世界で最も高額な空港利用料は、世界中の航空会社への大きな負担にもなっています。
利用する側からしても、だいたい、近い外国だと往復5万もかからない時に、東京と往復するのに5〜6千円もかかる無駄さ加減は信じられません。もちろんそれから利益を受けている人もいます。本質的な利益は、社会の寄生虫のものです、つまり、政治家とか一部地方公共xxみたいなところの・・・。多くの人が被害者です。企業であれば株主代表訴訟も出来ますが、こうした場合はどうしてやればいいのでしょうか(^^?
今回の出張は、日本のバブル時期に行われた狂行で清算されてない、成田空港に想い至るものでした。日本の運輸官僚には、英知を示してほしいものですね。

-広告について-

Google
  Web www.calvadoshof.com